前編

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前編

 あの日僕は今考えるとどうでもいいような事に拘って、風邪をひいているにも関わらず登校した。  熱も微熱程度だったし、咳は酷いもののマスクを二重にすればいいと思っていた。  僕は小さい頃は身体が弱く小中と学校を休みがちで、友人もまともにできた事がない。  高校生になってようやく丈夫とは言えないけど人並くらいにはなった。だから高望みをしてしまったんだ。軽い風邪くらいで休んで、生まれて初めて狙える『皆勤賞』を逃したくなかったのだ。僕にとって皆勤賞は何物にも代えがたい程の栄誉だった。だって『健康』の証明みたいな物だと思えたから。  これによって誰かの人生を狂わせてしまうなんて事、思ってもみなかったんだ――。 *****  僕は結局その日の夜に高熱を出して、翌日から一週間も学校を休んでしまった。  熱も下がり久しぶりの学校に、あーあと思う。皆勤賞を貰う事で僕は諦めてきた人生から抜け出せると思っていた。僕はまだ一年生だからチャンスはあと二回あるにはあるけど……「よし、次頑張るぞ!」とは思えなくなっていた。  数日その事を引きずって落ち込んでいると、隣りの席に座る工藤(くどう)くんとその友人の(あずま)くんが話しているのが聞こえてきて、こっそり耳を傾けた。  工藤くんも僕が休んでしばらくして風邪で二日程休んでいて、僕よりも随分早く復活して登校したようだ。全部僕が休んでいる間に始まって終わっていた事なので、話を聞くまで知らなかった。未だ少し咳が残る僕とは違い血色も良く、本当に羨ましい。 「しっかしこないだは本当びっくりしたぜ。元気だけが取り柄だと思ったのに、お前が風邪ひくなんてな。これが所謂『鬼の霍乱』? ってやつ?」  と茶化すように言う東くんに工藤くんは、いつものように冗談を返すのではなく眉間に皺を寄せた。  工藤くんにしては珍しいなと思った。 「それが……冗談じゃすまないって言うかさ、()()別にいいんだけど兄貴が……」 「お兄さんって――ふたつ上だっけ? 受験生じゃん、なになに? まさか風邪うつしちゃったとか?」 「――そのまさかだよ……。兄貴すんげぇ頑張って勉強してたから、もうなんかね……結果はまだなんだけど――当日真っ赤な顔して出てったし……相当ヤバい」  え? と思う。工藤くんの風邪は多分僕のがうつったもので――それが受験生のお兄さんに……?  そこでやっと僕は自分がしてしまった事に気づき青ざめた。  それから毎日お兄さんがどうか合格していますようにと必死に神様にお祈りした。  だけど結果は不合格だった。  工藤くんと東くんの話を聞いていると、お兄さんは頑張り屋で優秀な人のようだった。だとすれば風邪のせいで受験に失敗したという事になる。その風邪の原因は僕――。  僕はそんなにしゃべるのが得意な方ではなく、僕と工藤くんは特に親しいわけではなかったから直接話をしたりはしない、お兄さんの情報は工藤くんと東くんの話を盗み聞くしかない。必死にお兄さんに関する情報を集めた。  お兄さんはひどく落ち込んでしまって勉強どころではなくなってしまったそうだ。成績も良く、風邪をひいていなければ合格は確実で、勉強をするよりもメンタルを心配したご両親が気分転換にバイトを勧めて、今は塾に通いながらコンビニでバイトをしているらしい。塾に通うのだって『勉強している』という安心感を得る為だと言うのだから、本当に学力の問題ではなかったんだなと責任の重さを再認識した。  僕は罪悪感で押しつぶされそうになりながら、ひと目お兄さんに会って謝りたくてコンビニに行った。  遠くから胸の名札を確認しつつ『工藤』を探す。  三日ほど通ってお兄さんを発見した。  あの人が――。 *****  工藤くんが語るお兄さんは密かに僕の憧れだった。何にでも一生懸命で弟の工藤くんにも頼りにされていて、元気いっぱいな人。僕は身体が弱かったから羨ましくてしょうがなかった。弟である工藤くんだってこんなに明るくて元気なのだ。そのお兄さんは更に元気だと言うのだから憧れないわけがなかった。  だけど今視線の先にいるお兄さんは、病弱で色々な事を諦めてきた自分を見ているようだった。伏せられた瞳、張りのない声――。  僕はショックのあまり謝る事もせずそのまま逃げ帰ってしまった。  それから一年近くコンビニに通ったけど声をかける事すらできなかった。  途中からは最初の頃に比べ段々元気を取り戻していくお兄さんを見るのが嬉しくて、謝罪ではなくただお兄さんに会いにコンビニに行くようになっていた。  そしてお兄さんが二度目の受験に失敗した事を知り、このまま黙っていてもいいのかもしれないと思ってしまっていた自分を殴りたくなった。見た目は大丈夫そうに見えても全然大丈夫なんかじゃなかったのだ。  僕はどうするべきか考えていた。今更謝ってみても工藤さんの為になるのだろうか? それはただの自己満足ではないか。  そんな時聞こえてきた工藤くんと東くんの会話。 「兄貴にチョコでもくれる子いたら少しは元気になりそうなんだけどな」 「あーねぇ。やっぱ男はそういうの弱いよな。俺らでこっそりチョコでも贈るか?」 「んーバレそう」 「あー……」  そのままふたりは黙り込んでしまった。  チョコ! チョコでお兄さんが元気になるの? だったら僕が贈る! 少しでも元気になって欲しいんだ。僕にはそんな事くらいしかできないから――。  その日の放課後早速チョコレート専門店に向い、わきゃわきゃとチョコに群がる女の子たちに混ざって何時間もかけてお兄さんに贈るチョコを選んだ。 *****  僕はお兄さん……工藤さんを元気づけたかった。  『あなたは素敵な人です』『応援しています』という意味を込めたチョコ、付き合いたいだとかそういう事は少しも思っていなかった。だって工藤さんがああなってしまったのは僕のせいだから……『好き』だなんてどの口が言うんだって話だ。  そんな意味しかないチョコだったはずなのに、自分なんて好かれるはずがないと思ってしまう工藤さんについこんな事を言ってしまった。 「僕の()()()……要らない……?」 「要ります! 好きです!!」  そう叫ぶ工藤さんは工藤くんの話に出てきたお兄さんそのもので、僕の憧れの人で――大好きな人。  僕は嬉しくて、嬉しすぎて、ただ目の前の幸せに微笑んでしまった――。
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