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地図
「じゃ、深澤さん。食べてないんだ。猫」
「うん」
「自転車で走り回ったんだよね」
「そ。疲れた。今日は特別暑かった」
「お疲れさまでした」
下村さんと僕はその夜、昨日とはまた別の店で、ビールを飲んでいた。
蒸した鶏をレモン塩につけて食べながら、僕はビアホイ、下村さんは「333」。
「私ちゃんとその地図見てない。結構、しっかり書いてあったよね」
「うん。だから絶対行きつくもんだと思ってたんだけどね」
「駄目だった」
「うん」
「地図ある?まだ」
「いや、ない。片手で持ちながら自転車乗ってたら、汗で濡れてぐしゃぐしゃになっちゃって、最後は捨てちゃった」
「ふうん。じゃ、証拠がない」
「うん」
「あのね。こんなこと言っちゃあれなんだけど」
「何?」
「ガーさんを疑うのは、すごく気が引けるんだけどね」
「うん」
「もしかして担がれたんじゃない?」
「あ」
下村さんは「333」を飲み干すとお代わりを頼み、僕のビアホイと一緒に注文した。
「あのね。私もこっち来て似たような経験したよ」
「どんな?」
下村さんはある日、教えている学生たちにパーティーに招かれたのだという。
その日の12時、約束通り、下村さんは主催者の家に行った。しかし、あろうことか家には誰もいなかったのだった。
翌日になって授業の後、その学生に聞きただすと、先生、パーティーの場所が違います、と言われた。
でも、そんなはずはないと、下村さんは言う。
「間違いない。ニャットさんの家って言われた。でも、二人の会話だったから、証拠がない。彼女が言い間違えたのか、私が聞き間違えたのか、検証のしようがない」
「ああ」
「ない?深澤さん。そういうの、ベトナム来てから」
「ある。すぐ思い出せないけど」
「私も、もっとある。すぐ忘れちゃうけど」
「ベトナムにありがちな」
「ね。ここの人は、後から検証しようのない小さな嘘をつく」
「うん」
「小さな嘘だけど効果が大きい嘘」
「うん」
「でも、ばれてもどうということもない、軽く謝ればいいような、そういう」
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