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ビアホイ
「深澤さん。それ、私ちゃんと聞いてないんだ。どうしたの?校長」
「ああ。あん時、下村さん、いなかったもんね」
「うん。職員室でみんな笑ってたけど」
「あのね。やりもらいの表現でね」
「うん」
「あ。ビアホイ来た」
まだ平成という年号に新鮮さが残っていたその日、僕は、ベトナムのハノイ郊外にある日本語学校で日本語教員をしていた。下村さんは僕と同時に日本から派遣された、3つ年下の大学出たての女性教員だった。
僕たちは、裸電球が揺れるがやがやした食堂の、テラスと言うにはあんまりな外の席で、背の低い椅子に座り、背の低い小さな丸テーブルを挟んで、向かい合っていた。
僕が頼んだのは、ビアホイ。
薄い薄い、炭酸も弱い弱い、生ビール。
店にある大きなブリキの樽の中のビアホイは、水道に使うようなゴムホースからコップに注がれ提供される。コップの中にはどんな水で作られたのかわからないたっぷりの氷。ぬるいビアホイは、氷で冷やされる代わりに、薄い液体をさらに薄くしないと飲めない。
そんなものを当時、僕がなぜ好んで毎晩飲んでいたのかと言うと、とにかく安いのと、妙にこの国の雰囲気にマッチしていると思えたからだった。
「深澤さん。好きだね、それ」
「うん」
「私も初めはがんばったけど」
「無理しないで好きなものを飲めばいいんだよ」
そう言う下村さんが頼んだのは、缶入りのベトナムビール「333」。
ベトナム語で「バーバーバー」と呼ばれている。
味は日本のビールと比べ物にならないけれど、それでもビールはビール。
下村さんにも僕と同じように氷の入ったコップが提供されたけれど、彼女はいつも缶から直接ビールを飲む。
「で?校長、どうしたの?」
「うん。ほら、校長。今日さ、具合が悪いって休んだ佐藤先生の代わりに中級クラスに入ったよね」
「うんうん」
「でも、校長は外国人に日本語を教えたことが殆どない。小学校の先生だった」
「うん」
「で。北海道の人じゃん、校長」
「うんうん」
「教えたのは、やりもらい表現」
「うん」
日本で小学校の先生をしていて定年退職したばかりの校長の他に、日本人の日本語教員が全部で4名。そんな職員室内で、下村さんと僕は教壇に立った経験が圧倒的に少ない新米だった。そんなわけで同時に赴任してきた下村さんと僕は、ハノイに住み始めた1年前から、仕事が終わった後のひと時をこんな風に情報交換、および、愚痴の言い合いで過ごしているのだった。
「校長、「私はズンさんに本をくれました」ってやっちゃったんだよ」
「わあ」
「ははは」
「そりゃ、学生たち、混乱する」
やりもらい表現はちと面倒だ。
私から本が相手に渡るときは、「あげる」を使わないとならない。
「くれる」を使うのは、相手から私に本が渡るときだ。
その他に「もらう」という表現もあって、これも用法がちと違う。
やりもらい表現は、教科書の中の大きな一章なのだった。
「北海道弁か」
「そ。校長、それを指摘されてもわかんなかったってさ」
「そうなんだ。でも、意味は通じる」
「意味は通じるけどね」
「ははは」
その時、道から溌溂とした声が僕たちに飛んだのだった。
「ふかさわせんせい!しもむらせんせい!」
あ。ガーさん。
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