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1 その猫は、いつの間にか我が家にいた
平成を目前にしたある日、母が街の生活に疲れて田舎に住みたいと言い出した。
私の母は思い立つと初動の早い人で、あっという間に山手にミカン畑のある売り家を見つけて即購入。
街からは離れ過ぎず近づき過ぎず、私の職場もそこから近いと言う事もあってすぐに住み始めた。
昭和何年何月何日からその猫が家にいたかは全く覚えがない。
ある休日の朝、私がベットから身を起こすと足元に白い猫が丸まっていた。
あきらかに寝ている。私の足にその猫の重みをじる。子猫ではないようだ。
猫の年齢など見ただけではわからないが、2歳か3歳位だろうか。
安心しきったように寝ている。
「おかあさん! 白い猫が私のベットで寝てるよ。これどこの猫?」
母が、私の声を聞きつけてやって来た。
「そうなのよ。この家に引っ越してきた時に見かけたんで、ちょびっと餌をやったら何となくなつかれちゃってね。この辺りの人に聞いてみたけど、誰もどこの猫か知らないって」
「で、おかあさんそれからずっと餌をやってるの?」
「そう。この辺の飼い猫じゃないし。ひょっとすると前にこの家に住んでいた人が飼ってた猫かも。いいじゃない。和ちゃんになついたみたいよ」
「ええー? 猫は嫌いじゃないけど。世話はしないからね。私の飼い猫にはしないよ。飼うんだったらおかあさん、お世話宜しく」
「わかりました。おとなしくて可愛いじゃない。純白だし。雌だし」
純白……白い猫……白い猫は、人間に近い……。
昔そんな事を聞いたような……いや、ちょっと違うかな。
ふと、セピア色に煤けたような記憶が、ぼんやりと浮かんで来た。
子供の頃、私の家は私鉄の駅のそばにあった。いわゆる駅前通りだ。
その頃は家の近くに、まだ舗装されていない道路がたくさんあって、車も少なかった。赤い円筒形のポストが駅舎の前にあったのを覚えている。
その時の記憶だ。
向かいの加藤さんの家に真っ白い犬がいた。中型の雑種犬で、ルルと言う名前だった。加藤さんの玄関で飼われていた。
私は、小学校の帰りなどルルを見つけるとよくしゃがんで頭をなでた。ルルは向かいの住人である私の顔を覚えているらしく、しっぽを振って喜んだ。
しかし、見知らぬ人が加藤家に近づくとルルはよく吠る。番犬としては優秀な犬だった。
昔は今と比べて、犬を飼うという感覚がちょっと違っていた。犬は番犬として飼うのだ。ルルは、家族の一員だけど番犬と言う役目をもった存在だった。
その加藤家に純子ちゃんという同じ小学校で年上のお姉さんがいた。
私がルルのほっぺをなでていると純子ちゃんに言われた事があった。
「和子ちゃん知ってる? 真っ白い犬は人間に近いのよ」
私は、純子ちゃんが何を言っているのかよく分からなかった。
「え? どういう事?」
「真っ白な犬はね、死んだら次は人間に生まれ変わるんだって」
純子ちゃんは、私の隣にしゃがんでルルの頭をなでながら言った。
「本当? なんで? なんで?」
今から考えるとその時初めて、生き物が死ぬと生まれ変わるなどという事を聞いた。今ではそのような事は信じてはいないが、その時は子どもの柔軟な思考力で生まれ変わりと言うものが何となくイメージできた。
「なんでかは、わかんない。でもおばあちゃんがそう言ってたの」
おばあちゃんの言う事は絶対正しい時代の話だ。
純子ちゃんの事は、とっくに忘れていたが「白い犬」や「人間に近い」というキーワードは心のどこかに引っかかっていたのだろう。
そうだ、白い猫じゃないや。人間に近いのは白い犬だった事を思い出した。
しかしながら、白い動物は、神の使いだの人間に近いなどと言う事は、折に触れ見聞きしていた。
それなら、やはり白い猫も人間に近いのかもしれない。
多感な少女時代だったが、その後、私は神様だの生まれ変わりだのをあまりテーマにしない科学方面の勉学にいそしんだ。
そして、科学的根拠のない事は一切口にしない、教職の道を選んだ。
今は、高校の生物の教員をしている。
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