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4 その猫ミーちゃん
教員になって8か月目、仕事で大きなストレスを抱えてしまった。
期末テストの監督中に教室で男子生徒とトラブルになった。
テストの問題について、その男子生徒は、授業では聞いていないところがテストに出ていると言って、いきなり私に食って掛かって来たのだ。
私は、確かに授業をしたと応戦したが、男子生徒は聞く耳を持たなかった。
実は、私が件の授業をした時その男子生徒は、欠席していたのだ。
冷静になれば、その問題については点数を配慮するなど、対処はできたのだが、当時の私は若く経験不足で余裕もなかった。
男子生徒にまともにぶつかっていったのだ。
『テスト前に欠席したところの内容を聞きに来ない方が悪い!』と一方的に男子生徒の責任にしてしまった。
私の主張と男子生徒の主張は、歩み寄る事なくテスト中の教室で、にらみ合いは続いた。相手は高校3年生の男子だ。眉間にしわを寄せて私を見下ろしている。本当はとても怖かった。でも、引くわけにはいかない。
結局、他の生徒が職員室に行って、クラス担任を連れて来た。
その場は、担任の取りなしで私は職員室に、男子生徒は生徒指導室に、分けられた。
ショックだったのはその後だ。
先輩教員からは、欠席した男子生徒に対してケアを怠った私に非があるようにいわれた。
私は、何もわざとあの男子生徒を差別しているわけではないのに、そう言われると何か本当に自分が悪い事をしたように思えて来た。
さらに学校側に不信感を持ったのは、男子生徒が何のお咎めもなかった事だ。女子教員に対して威圧行為をしたのに、詫びの一つも入れてほしかった。
そうすれば私も冷静になって男子生徒のテストの問題について配慮ができたかもしれないのに。
今回の騒動は全て私の対応のまずさによって起こったという事で落着した。
私は、納得がいかなかった。大変だったねと、ねぎらってはくれるが、私の言い分に賛同してくれる人はいなかった。
家に帰ると涙があとからあとから零れ落ちた。
私が悪いの? 私の落ち度なの? その日は、布団を被って枕を濡らした。
翌日、私は学校に行く気力を失った。
頭痛がすると言って休みを取った。本当に気分は悪かった。
このときは、落ち着いたらまた仕事ができると思っていたのだが、次の日の朝も学校へ行くと考えただけで凄まじい嫌悪感に襲われた。
そして、休んだ。
3日目も同じだった。
4日目に休みの連絡を入れた後は、声を出して大泣きをしてしまった。
どうなったんだ私は! 自分が不甲斐ない! もうこんな事嫌だ!
ひとしきり叫んだ。
疲れ切って、ベッドでぼさぼさの髪をした私は呆けたように座っていた。
ふと、気づくとミーちゃんが静々とベットに上がって来るではないか。そして私の足の辺りでよこ座りになった。自分の前足をなめては私の顔を見る。
「なあに。慰めてくれるの? ミーちゃんだけだね」
そんな、ミーちゃんを見て肩の力がフッと抜ける感じがした。
私は、再び布団を被って丸くなった。ミーちゃんは、ずっと布団の上にいた。
5日目も休んだ。ミーちゃんは、私の布団の中に入って来た。添い寝をするように私の脇の辺りで丸くなった。
「今日も一緒にいてくれるんだね……」
ミーちゃんは、私がベットで寝ている間ずっと一緒にいてくれた。
慰めるでもなく励ますでもなく、ただ傍にいるだけだった。
6日目。
何もせずに一緒にいるだけ。
それが、今の状態の私にとっては一番の癒しになった。
7日目。目が覚めるといつものように、ミーちゃんは布団の中にいた。
ミーちゃんは私になにも求めず強制もしない。
私は、起き上がって服を着替えると発作的に母に言った。
「東京に行ってくる!」
東京には母の弟、つまり私から言うと叔父さんがいるのだ。
3日間だけ泊まらせてもらう。そう言い残して私は、東京に向かった。
毎朝襲われる震えるような嫌悪感は、なかった。ただ学校へ行く前に大都会の雰囲気を味わいたくなったのだ。私の悩みなどおかまいなしに目まぐるしく人間が日々の営みを繰り返している場所を見ておきたかった。
電車に乗って、夜東京に着いた。高層ビルでは蛍光灯がこうこうと灯り、人が働いていた。
人だ、あそこにいるのはどこの誰だかは知らないけれどエネルギッシュに動いている。
私は、3日間東京を満喫した。
大きな映画館で映画を見た。
上野動物園へ行った。
古本屋街で大好きな本を漁った。
楽器店では珍しい民族楽器を買った。
満足した。帰ろう。
家に帰ると母が
「東京はどうだった?」
と聞いてきた。
「うん。人がたくさんいたよ。夜遅くまで働いている人もいた」
そう答えて私はベッドに入った。
ミーちゃんが、いつものように布団の中に入って来た。
「ミーちゃん。東京に行ってきたよ。やっぱり都会はすごいね。自分がちっぽけに見えちゃうんだもん。私の悩みなんかちっぽけよね。私、明日から学校に行くよ。ミーちゃんもいつも一緒にいてくれてありがとうね。おかげで寂しくなかったよ」
ミーちゃんは、まん丸の瞳で私の顔を見ていた。
翌日、私は学校に復帰した。しばらく休んでいたので違和感はあったが、勢いで仕事に戻った。
校長からは、『もうこういう事の無いように』などと注意を受けたが、何言ってんだか。『校長がもっとしっかりしてたらこんな事にはならなかったんだよ』と言葉に出しては言わないが、逆切れするだけのパワーを自分に感じて嬉しかった。
あれだけ私と言い合いをした男子生徒は、どうしたわけか素直に謝って来た。
私の長期休暇中に他の先生から絞られたのかもしれない。
私も男子生徒に、今度からは配慮する事を冷静に伝えた。
この事がきっかけになってか、その後彼とは良好な関係が築けた。
相変わらず仕事は大変で辞めたいと思う事は度々あるが、寝込んでしまうまでの事はなかった。
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