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子猫と子雀
ぴぃぃぴぃぃ
どこからか甲高い鳴き声が聞こえてくる。やっと毛が生え揃ったばかりの子雀が草の上でもがいていた。どうやら巣から落ちてしまったらしい。
みゅぅぅ
近付いてくる弱々しい鳴き声。小雀の鳴き声につられて、子猫がよちよちと足を進めていた。五匹いた兄弟たちと一緒に捨てられたのは昨日のこと。兄弟猫の背中を乗り越えて段ボールから脱出したものの、行くあてなどない。他の兄弟たちはどうしているだろうか。自分と同じように逃げたか、人間に拾われたか、或いは……。
その小さな公園のほんの小さな茂みの奥。まだ何も知らない彼らにとって、そこは初めての広い外の世界。不安だった。押し寄せる空腹と疲労。一匹と一羽は顔を近づけくんくんと匂いを確かめ合う。初めて見る相手に警戒心を抱くどころか、寧ろ、互いの温もりにホッとしさえした。
ぴぃぃ……みゅぅぅ……おなかすいたよぉ
「おや、可愛い声が聞こえると思ったら」
突然ガサっと音がして、人間が茂みから顔をのぞかせた。眼鏡をかけた学生風の青年だ。足が悪いのだろうか、少し引きずるように歩いている。
「そうだ、僕はまだお昼を食べていないんだ。一緒に食べるかい?」
そう言って青年は持っていたパンと牛乳を少しずつ分けてくれた。
「きみたちは友達なの? なんて可愛いんだろう」
指に付けた牛乳を夢中で舐める一匹と一羽を見つめる青年は、なぜか少し切ない顔をしていた。
「名前を付けてあげようね。きみは顔の模様が鉄の塊みたいだから『テツ』なんてどうだい。強そうだろ? きみは『ユキ』だね、羽に白い斑点があるから」
青年は子猫にテツ、小雀にユキ、という名前をくれた。その日から青年は毎日のように様子を見にやって来ては食べ物をくれた。テツとユキは少しずつ元気を取り戻し、茂みの中で大人しく青年を待つようになっていた。
天気のよい暖かな日のことだった。ユキと遊ぶテツの目がふと蝶を捉えた。蝶は花に止まり蜜を吸い始める。テツは狙いを定めた。そろそろと近付いて。一気に飛びつくと、蝶を仕留めた。
「ユキ、ユキ、見て」
「うわぁ、テツ、凄い」
テツとユキは小さな蝶を分け合って食べた。
それから、テツは毎日狩りに出た。虫を捕まえたり、木の実や草の実を採っては、ユキと一緒に食べる。やがてユキは飛べるようになり、テツと一緒に狩をするようになった。
あるとき、青年は嬉しそうにカメラを構え、テツとユキをたくさん写真に収めた。
「僕は来年から学校の先生になるんだよ。このカメラはね、そのお祝いなんだ」
そう言って、青年は葉っぱをお皿代わりにテツのお気に入りのチーズとユキの大好きなピーナツをくれた。
またあるとき、青年は一人の男と一緒だった。いつものようにチーズとピーナツをお土産に持っている。二人は夢中で食べるテツとユキをにこやかに見つめた。
「この子たちがテツとユキかあ」
「可愛いだろ?」
「可愛いね。すっかり庸治に懐いてるんだね」
優しく微笑む男の髪には白髪が混じっていて、青年よりも随分年上のように見えた。その日テツとユキは、青年と男が抱き合い顔を寄せ合っているのを見た。青年は幸せそうな顔をしていた。
「ねえ、テツ。いつもの人間と新しい人間、番なのかなあ」
「そうかもな」
「僕たちも大きくなったら番になれる?」
テツはじっとユキを見つめた。そして呟く。
「無理だろ。俺たちは猫と雀だもの。それに雄同士だ」
「でも、人間は雄同士でも番になれるんだよね。あの人間たちみたいに」
ユキは真っ直ぐにテツを見上げる。
「ねえ、僕今度生まれ変わったら人間になりたい」
「どうして?」
「だって、僕はテツと番になりたいんだもの」
無邪気に夢を語るユキ。テツはゴロゴロと喉を鳴らした。
「じゃあ俺も人間に生まれ変わらなきゃな」
「うん、ずっと一緒だよ。それでね、ピーナツとチーズ、いっぱい食べるの」
「ははっ、そりゃいいや」
「ね、約束しよ?」
「ん、約束な」
ユキはテツの腕の中。
「大好きだよ、ユキ」
「僕も。テツ、大好き」
人間の真似をして、ユキは嘴をテツの顔に擦り付けた。お返しに、とテツはユキをペロッと舐めた。
悲劇は突然だった。
狩りから帰って来たテツは、甲高い悲鳴を聞きつけて毛を逆立てた。知らない匂いがする。辺りには飛び散ったユキの羽。駆け付けたテツの目の前で、一匹の大きな野良猫がユキを嬲って遊んでいた。
息も絶え絶えなユキを見て、テツは吠えた。
うなあああああおおぅ
ユキのために捕まえてきたバッタがぽとりと地面に落ちる。テツは小さな牙をむいて野良猫に飛びかかった。
野良猫は、動かなくなったユキからテツに標的を変えた。テツは何度も野良猫に挑みかかる。いつもの青年といつかの男がやって来るまで戦いは続いた。優勢だった野良猫は突然現れた人間に驚き逃げていく。そして。無惨に傷ついたテツとユキだけがそこに残された。
「テツ、ユキっ。早く病院にっ……」
「庸治」
思わず手を差し伸べようとする青年を、男がそっと肩を抱き寄せて制した。青年はハッと息を飲む。二人の視線の先には、まだ微かに息のあるユキをそっと咥え、最期の力を振り絞り、茂みに向かって這い進むテツの姿があった。
「僕たちに出来るのは見守ることだけだよ。哀しいけどこれが自然の摂理なんだ」
優しく諭すような男の言葉の後には、青年の静かにすすり泣く声だけが聞こえていた。
こうして。
テツとユキはひっそりと公園から姿を消した。
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