テツとユキ

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テツとユキ

 時は過ぎ、暖かな春の朝。とある高校の入学式当日。  雪翔(ゆきと)は玄関入り口の掲示板の前でクラス編成の掲示を見ていた。突然背中をポンと叩かれて雪翔が振り返ると、そこには中学時代からの友人が立っていた。 「おっはよ、雪翔。俺ら一緒のクラスだな」 「おはよ、よろしくね」  雪翔はそばかすの目立つ愛くるしい顔で笑う。  教室に入って席を確認する間も、雪翔は友人とのお喋りに夢中。ちょうど後ろを通りかかった鉄平(てっぺい)に気づかなかった。 「雪翔、後ろっ」 「あっ、ごめん……っ」  うっかりぶつかってしまい、謝ろうとして振り返った雪翔と鉄平の目が合った。威圧感のある鉄平の鋭い視線が雪翔を居すくませる。次の瞬間、鉄平は雪翔を近くの壁に押し付けた。驚いた雪翔は「ひっ」と息を吸って目を見開き、鉄平を見つめた。  鉄平がぐっと雪翔との距離を縮めた。鉄平の壁についた手が拳に変わり、ぶるぶると震えだす。新しい門出に期待でいっぱいだったはずの教室は、突然の出来事にシンと静まり返り、そこにいた誰もが固唾を呑んで成り行きを見守った。 「わ、悪かったよ。雪翔だって謝ってんじゃん。そんなに睨まなくてもいいだろ?」  沈黙を破って雪翔の友人が声を上げた。鉄平はハッとしたようにそちらを一瞥すると、何も言わずにフイっと壁から手を離し、ドアに向かって歩き出した。 「……ちょっとぶつかったくらいで怖っ」  誰かの呟きが異様に響いた。鉄平は振り向きもせず、そのまま教室を出ていった。 「何なのあいつ? 雪翔、大丈夫?」  友人が駆け寄り心配そうに覗き込んだ。雪翔が呼吸を震わせヘタリと座り込む。放心したままのその目から涙がぽろりと溢れた。  周りからひそひそと噂話を囁く声が聞こえる。鉄平は中学生のときに高校生二人を相手に大喧嘩をして、ボコボコに叩きのめしたとか、してないとか。  鉄平の顔には生まれつき大きな痣があった。大柄で目つきも鋭く、何かと誤解されがちで。顔立ちが端正なだけに余計に冷たい印象を与えているのも確かだった。傍から見れば、雪翔は不良に絡まれた不憫な少年にしか見えなかっただろう。  だが。  雪翔が泣いたのは怖かったからではない。懐かしかったのだ。初対面だというのに。なぜだか分からない。目が合った瞬間の、ぶわぁっと血の沸き立つような、あの感覚。そして、鉄平の強い視線から雪翔の心に直接流れ込んできた真っ直ぐな熱い想い。 「……大丈夫、ありがと……」  雪翔は掠れた声でそれだけ言うと、涙を拭ってふらふらと立ち上がった。  入学式が始まっても、そわそわと落ち着かない二人は上の空。雪翔は後ろにいる鉄平を振り返りたい気持ちを抑えるのに精いっぱいで。鉄平は前の席で微かに肩を震わす雪翔から目が離せなくて。    心ここにあらずの二人を置いて式は淡々と進んでいく。やがて、足の少し不自由な校長がゆっくりと壇上に上がり挨拶を始めた。 「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。校長の入間(いりま)庸治(ようじ)といいます」  校長はにっこりと笑って自己紹介をすると、新入生を見渡した。    式も終わった帰り際の教室。 「帰り……ちょっと、いいか?」  鉄平が雪翔に声をかけた。再び教室中に緊張が走る中、雪翔はこくりと小さく頷いた。 「おい雪翔、待てって」 「大丈夫だから、僕行ってくる」  引き止めようとする友人を振り切ると、雪翔は鉄平と共に学校を後にした。  校門を出る頃には、二人はしっかりと手を繋いでいた。一言も発することなくただ前を向き、足の赴くままに歩く。導かれるように辿り着いたのは来たこともない、でもどこか見覚えのある小さな公園。二人は錆び付いたベンチに並んで腰を下ろした。  鉄平と雪翔は無言のまま見つめ合った。握った雪翔の手が少し震えているのに気づいた鉄平が先に口を開いた。 「……名前は?」  雪翔は静かに名を名乗る。 「さ、雀部雪翔(ささべ ゆきと)」 「ユキ、か」  ドクン。  鉄平が『ユキ』と口にしたそのとき。雪翔の体がカッと熱くなって。雪翔はただ、鉄平を見つめた。 「俺は猫宮鉄平(ねこみやてっぺい)」  心臓がものすごい速さで鼓動する。雪翔の口が自然に動いてその名を呼んだ。 「テツ……」  今度は鉄平が僅かに息を詰めた。 「朝は、怖がらせてごめん。何でかな、俺ユキのこと抱きしめたくて、堪えるのに、必死で……っ」 「怖くなんてないよ、僕……」    雪翔もまた鉄平の胸に飛び込みたい衝動に駆られていた。 「テツと初めて会った気がしないんだ。すごく懐かしくて、あったかくて、大好……あ、っと……その……」  雪翔の、鉄平を見上げる顔が赤く染まる。 「……大好きなの」 「俺もだよ、ユキ」 「テツ……抱きしめて、くれる?」  おずおずと腕を伸ばす雪翔を、鉄平はしっかりと抱きしめた。 「あれから全然既読つかねえんだよ。雪翔のやつ大丈夫なの?」 「猫宮ってさ、何考えてっか全然分かんねえよな。マジ怖えし。ヤバいことになってないといいけど……」  翌朝、教室では雪翔の友人がクラスメイトたちと顔を寄せ合っていた。鉄平と同じ中学だった数名も心配そうな顔をしている。そのとき、雪翔が教室に入ってきたのが見えて、友人は思わずガタンと大きな音を立てて立ち上がった。 「雪翔……っ」  雪翔の隣には鉄平がいた。雪翔は「ふふっ」とはにかむように笑って鉄平を見上げた。友人は途端に怪訝な顔になる。 「何でライン返さないんだよ、どんだけ心配したと思ってっ……」 「ごめんね、あのね……」  そう言って雪翔は友人の耳元で小さく何か囁いた。直後。 「ええええっっっ?」  彼の頓狂な大声が教室中に響き渡る。 「ちょ、まっ……ええっ? つ、つっ付き合うって? どどどゆことっ?」  クラス中の注目を浴び、雪翔は薄っすらと顔を赤らめて俯いた。その手が鉄平の制服の裾をキュッと掴む。鉄平は雪翔の肩に腕を回すと、大事そうに抱き寄せた。  優しく雪翔を見つめる鉄平と、恥ずかしそうに笑う雪翔。思わぬ急展開に、居合わせたクラスメイトたちはただ、ぽかんと二人を見つめていたのだった。
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