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本編
世の中クソ。
今はもう黒歴史として身体中を掻き毟りたくなる中学時代の俺は、そりゃあ絵に描いたオタク野郎だった。いつも千円カットで適当に整える髪型は寝癖付きが当たり前だったし、お洒落と聞いて買った黒縁眼鏡は何がお洒落なのかわからない。それでも人として最低基準である『清潔』の項目はクリアしていたし、パッとはしないが見られない顔ではない……そう思っていた。
が、クラスでちょっといいなと思ってた隣の席の女子が「チー牛丼顔って無神のことじゃん笑」と笑っていたのを目撃したときはショックを隠せなかった。怒り狂ったし、悲しかった。俺ってそんな顔だったのかよ。
しかし何事もポジティブに考えなくてはならない。
それをきっかけとして、忌まわしい過去を乗り越えんと俺は中三の冬を肉体改造に費やし、筋トレに明け暮れた。
そうして卒業までにコンタクトの付け方や化粧というものを覚え、高校に入学する頃には控えめに言っても一般から上位に食い込む顔面と肉体を作り上げたのだ。これに関しては自惚れではなく、入学と同時に教室で得た女子の視線で確認が取れている。こっちはそれどころじゃないくらい緊張して上手く喋れなかったけど。見た目はお洒落になれても、中身は陰キャオタクのままだから。
しかし、俺は努力して欲しいものを手に入れた。高校一年生の無神隼人は人生の絶頂期に差し掛かっているか、これから更に上昇する未来しかない。
そう思っていたのに。
「ちょっと聞いてんの? 隼人くーん」
「ヒッ、は、はひ……」
「はひて。なーに怯えてんの? ウケる」
全然ウケねーよ。誰だこいつ。
ファミレスで向かいの席に座りメロンソーダを飲むこいつのことを俺は知らない。高校は誰も友人どころか知り合いと被らない場所を徹底して調べて選んだし、そもそも昔の知り合いにこんなキラキラした顔面のやつはいないからだ。
キラキラした顔面というのは整ってることの比喩ではない。金髪と顔面ピアスだらけで物理的にキラキラしてるということだ。特に耳元。えぐい数の穴が開いていて銀の装飾品がギラギラしてる。
俯きながらも時折視線を向ける俺に気づいたのか、ピアス男がにやっと笑った。何だよその笑顔怖いんだよ。
「俺のこと覚えてる?」
「え、や、えっとぉ……はは、メ、メロンソーダ好きだったよね……」
破茶滅茶に雑な誤魔化し方をしてしまったが、男には気に留めた様子もなく「コーラのが好きかな」と返された。普段炭酸を飲まない俺からすればコーラもソーダも変わらないし、もっと言えば好きでも嫌いでもどうでもいい内容だ。反論したい言葉を飲み込んでコーヒーを啜った。沢山入っていた氷はすっかり溶けてしまい、薄いことこの上ない。
「隼人くんは子供の頃からチョイスが渋かったよね。みんなジュース飲んでんのに緑茶選ぶの隼人くんだけだったじゃん」
「それはジュースよりお茶飲んでるほうが大人っぽいって思ってたからで、ちょっと待って何でそれ知ってんの?」
それ小学生の頃の俺の黒歴史。よく遊ぶグループにいた可愛い子に少しでもかっこよく見られたくて、苦いものとか辛いものが好きってめちゃくちゃアピールしてたやつ。遊ぶのに持ち寄るお菓子は必ずブラックチョコだったし、ハバネロとか唐辛子入りのお菓子はろくに食べれないのに母親にねだって買ってもらってた。
「今は苦いのちゃんと飲めるようになったんだ」
彼は俺の薄くなったアイスコーヒーのグラスを撫でると、そのまま流れるように指が俺の手に移った。結露で濡れた指先が俺の手の甲を濡らす。
「ね、俺のこと本当わからない? 類ってんだけど」
「る、類? るい……」
まず俺の広くない交友関係においてこんな恰幅の良い男はいない。俺が忘れているだけで知り合いにいただろうか。
考えている間、男はおずおずと俺を見つめてくる。見下ろしているのにまるで見上げているようなしおらしさで。この至近距離だからか、ピアスだらけの彼の耳に黒子があるのが見えた。
左耳の耳輪に二つと、右の耳たぶに一つ。その耳に見覚えがある。
「あっ、ひょっとして類ちゃん……!?」
「! あったりー。多分その類ちゃん。久しぶり」
類ちゃんとは俺が昔よく遊んでいた近所の子だ。背が低くて、内気な割に男子に混じって外で遊ぶのが好きな活発な子だった。可愛くて、短めの髪を二つ結びにしていて、スカートを履いている姿は見なかったが靴やヘアゴムなんかはピンク色のものが多かった。
小さくて可愛い、俺の初恋の女の子だ。
「る、類ちゃん……!?」
あの子に兄とか弟がいただろうか。それも歳の近い、高校生くらいの。きょうだい揃って名前が同じってあり得るのか?
俺の困惑を他所に、類ちゃんを名乗った男はそっと汗を掻く俺の手のひらに自分のものを重ねた。ぎゅっと握り込まれる。
「ずっと一緒だって言ったのに途中で引っ越しちゃって悪かったよ。また会おうって約束、俺は守ったよ」
そのとき脳裏に蘇ったのは、類ちゃんとの最後の思い出だった。俺と類ちゃんとの約束。
『ずっとずっと大好きだよ。また会えたら、大人になったら結婚しようね』
無邪気な子供同士の口約束だ。ランドセルすら背負い始めたばかりの子供がませてると思う。それでも結構、俺はこれを気に入っていた。俺の人生の中で唯一の、人並みの異性との交流として大切に胸の奥に仕舞っていた美しい思い出。
「ね、隼人くんは約束守ってくれるよね?」
ぎゅう、と握り込まれた手の力が強まる。彼はたいして力を込めていないのだろうが、それでも俺には払い退けられない力強さがあった。落とした視線の先には男らしい血管の浮き出た手の甲が見える。
「あ、あの……類ちゃ……いや類くん……いや、も、最上くん……」
ああ……ああ神様、受験のときか財布を失くしたときくらいしか頼ったことのない神様、むかし賽銭箱に投げ入れた百円分の恩をここで返してくれ。今すぐ円満にこの男とお別れできるチャンスがほしい。
「俺、明日から隼人くんと同じ学校に通うんだよ。家も昔住んでた家に引っ越したから毎日一緒に学校行けるね」
世の中クソ。
■
「え? つまりなに? それってむかーし昔に結婚の話までした幼馴染みがこっちに戻ってきて健気に約束守ろうとしてくれてる……ってコト!?」
「その気持ち悪い喋り方やめろ」
クラスで唯一俺の友達である男は、俺と違い生まれながらに整った外見をしている。が、口を開けばネットスラングを多用する姿はオタクそのものだ。
その高坂によくある『顔はいいけど重度のオタクだからモテない』なんて設定には当て嵌まらない。フィクションは所詮フィクション、現実では天然ものの顔の良さというのはそれだけで常時バフがかかっているようなものだ。最強の装備だし、バフ剥がしが効かない天資。生まれ持ったギフト感ある。こいつが性格まで完璧なら数多の女子に少女漫画のヒロイン願望を植え付けていたことだろう。
性格は悪く言えば軽薄だが、一般に同級生との会話なんて軽口を叩くくらいの関係がちょうどいい。高坂は俺の唯一の友達だがこいつ自身は呼ばれればホイホイどこにも飛んでいくし、どこのグループにも属していないタイプの人間だ。つまり悪くない。ただ顔面に合う王子キャラじゃないだけで。
「えーでも何でそんな嬉しくなさそうなん? 無神幼馴染み属性持ってなかったっけ」
「いや、それはそうなんだけど……」
俺は日常系ハーレムもののラノベが大好きである。幼馴染み万歳だ。ダブルヒロインものに幼馴染みがいるなら真っ先に幼馴染みを推すし、ラノベに限らず一般向けの恋愛映画でも漫画でも幼馴染みってだけで好感度が高い。
だが今回の場合は話が違う。現実は紙に印刷された文字の羅列でもなければ薄っぺらな絵でもなく、好きな声優が声を当てたアニメでもない。フィクションと現実とで嗜好が合致しないのはおかしな話ではないし、ものによっては切り離されるべきだ。作者の経験が丸ごと創作物に活きるわけではないし、スリラー映画やミステリー小説が好きだからって人を殺したいわけじゃないのと同じこと。
しかも何でそんなに幼馴染みキャラが好きかって言うと、類ちゃんという存在に思い出補正がかかっていたからだ。
「相手、あれ」
「あれ?」
振り返らずに親指だけで指し示した先には季節外れの転校生がクラスメイトに囲まれている。主に女子が多いその人だかりの中心には類ちゃん……もとい、最上の姿があった。
「……あれ?」
「幼馴染み男説」
「は? マ?」
「マ」
「うわあ……ご愁傷様。俺のおやつあげるよ」
面白がった詫びのつもりか慰めの意図か、高坂がそっと俺の机に板チョコを置く。食べる直前だったのかラベルは剥がされ銀紙が剥き出しのままだ。
「学校に板チョコおやつで持ってくるやつ初めて見た」
「俺結構食ってるよ、それ二枚目だし。要らない?」
「食うけど……いや待てデロデロじゃねーか! いま中ぐにゃってした!」
「あーごめんカイロと一緒に入れてたかも」
「この時期にカイロ持って来んなよ!」
「ごめんて。暑くて鞄に入れたんだよ」
力を入れずとも簡単に折れ曲がった銀紙を囲んで騒ぐ。すぐ側の席で本を読んでいた女子が嫌そうな視線を向けてくるのが見えた。少し恥ずかしくなり声のトーンを下げるのと同時に、ふと背後から影が射す。
「楽しそうだね、何してるの?」
「お、やっほー最上くん」
「げっ最上……」
最上は俺が顔を歪ませるのを見て一瞬真顔になったが、それでも「ひどいな」と笑った。厳つい顔に似合わないふにゃりとした笑い方だ。その笑顔が記憶にある類ちゃんの笑顔そのもので、形容し難い感情が生まれる。
本を読んでいた女子が顔を上げてちらちら最上を見ているのがわかる。少年時代の類ちゃんが美少女であることからわかる通り、最上は今も顔が整っているのだ。
「常時バフ野郎どもがよ……」
「? ジョージバフ?」
「最上くん気にせんでいいよ、こいついつもこんなんだから」
高坂の顔面への恨み節はいつものことだ。こいつは俺が毎朝必死に整えてる眉よりも整った眉毛が天然物で生えてる。許せねえ。
「あっちのグループ抜けて来ていいん?」
「質問責めにあって疲れちゃった。あと、隼人くんの凄く大きい声が聞こえたから何かあったのかなって」
「こいつ大袈裟なんだよ、オタクだから」
早く席に帰ってほしい。無言を貫く俺に最上は気づいていないのか、高坂は敢えて無視しているのか会話を途切れさせない。
お前覚えてろよ、と言葉に出さないまま視線で訴えれば、高坂は意味ありげな笑みをこちらに向けて来た。まるで俺が爆死したガチャのキャラを単発で引き当てたときに見せるあれだ。高みからの邪悪な笑み。許すまじ。
視線だけの会話に何を思ったのか、俺と高坂の間に図体の大きな身体が割り込む。言うまでもなく最上の身体だ。
「無神くんチョコレート好きだったよね、懐かしいな」
「あ、もしかして俺これ幼馴染みマウント取りに来られてる感じ?」
「そんなんじゃないよ。ああでもほら、隼人くんはバレンタインデーにあげたチョコレート、お返しに何くれたか覚えてる?」
勿論、覚えてる。チョコレートを貰ったお返しにお菓子を渡してあげなさいと母に教わり、用意してもらったクッキーを家まで渡しに行ったことも。
類ちゃんの家の玄関先でクッキーの包みを渡したとき、あの子に大泣きされた日のことははっきりと覚えている。
「……何だっけそれ」
「もう覚えてないかぁ……隼人くんはホワイトデーのお返しに意味があるなんて知らなくて、クッキー貰った俺が号泣したやつ。俺めちゃくちゃ困らせたよね」
「飴はOK、クッキーはお友達でいましょうってやつ? 無神なにそれ、めちゃくちゃエモエピ持ってんじゃーん」
「だから覚えてねえって!」
声を荒げる俺の背後から控えめに最上を呼ぶ声がする。無邪気に笑った最上はそのまま呼ばれるほうへと向かっていった。ほっと息を吐き、高坂は無表情で俺の後ろに視線を向けている。
ひそひそと背後から声がした。声は潜められているからはっきりとは聞こえないが、どうしてか声を抑えたところで自分の名前だけは聞き取れるものだ。
「あーあ無神、お前また言われてんぞ。この顔だけ男」
「うるせえよ顔以外も完璧男……」
俺の高校デビューは失敗した。外見は高い完成度まで整えられても、中身がそれに伴わなかったのだ。
入学して数日、俺はオープンオタクでいた。それしか会話の引き出しがないから。それが駄目だったらしい。
「高坂も俺の話が通じるレベルのオタクなのに納得いかねえ」
「や、俺は教室のど真ん中で深夜アニメの規制表現について是非は話さないし、ソシャゲの上位ランカーになるための寝てない自慢もしないからな?」
「けど神絵師に自分のツイートがいいねされた話はするじゃん」
「それはいいだろ別に。同人時代から追っかけてた人が商業デビューしてたら応援するに決まってんじゃん」
相互フォローだし即売会でオフでも会ったことある武勇伝はいいのかよ。
しかし、俺ももう大人になったのだ。深夜アニメに出てくる未成年の煙草描写で顔面が黒塗りになってるのもブチ切れるほどの案件ではないし、寝てない自慢より試験勉強そっちのけで寝てましたアピールするほうが高校生あるあるっぽいし、神絵師も人間だから感想にいいねすることもある。
俺は重度のオタクからライトオタクへと切り替えた。オタクとしか会話できないけど、こだわり強いオタクもそれはそれで面倒くさいし。高坂が「今期の深夜アニメ? ああ、昨日やってたやつならヒロインの演技が雑だから1話で切ったわ」と素直な批評をしても怒らない奴でよかった。こいつは目の前で推しを引いても笑って喜んでくれる奴だし、マルチで回復のタイミングミスって全滅させたことガチギレしないし。
「無神は無神でいいところあっからさ、陰で性格悪いとか卑屈陰キャオタって呼ばれてんの勿体ねーって思うわけよ」
「呼ばれてんのかよ……知りたくなかった」
「最上くんは無神のこと全肯定なところありそうだし、上手いこと使って株上げとけよな」
えっこいつ思ったよりエグいこと言う。
思わぬ腹黒さが垣間見えたのと、それと同時に最上を軽んじた発言に内心苛立ちを感じて言葉に詰まった。高坂は目を丸くした俺を無視して「そういやアクナイの次イベさあ……」と通常運転の高坂に戻りながら三枚目の板チョコを鞄から取り出して銀紙を剥いでいる。
お前、溶けてないチョコ持ってんじゃねえか。
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