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電車に飛び込んで自殺……自死する人は珍しくはない。人身事故なんて月一レベルで起きている。
それでも、俺は事故に巻き込まれたことはなかった。実際に、人が線路に落ちたところも、はねられた現場も見たことはない。
それが、今から死ぬので! なんて。自殺予告される立場になるなんて、想像もしなかった。
「お、おち、落ち着いて、ください。」
「うんうん。貴方も落ち着いて。」
自殺したいくらい、思い詰めている。
そのはずなのに、彼女はケロッとした顔をしていた。
俺の方が動揺している。
いや、今から死ぬなんて言われたら、普通は動揺する。
すぅ、はあ。深呼吸をする。とにかく、深呼吸だ。
つまり、この人は、今から死ぬので、俺に遺言を、死に際の一言を残そうとしているのだろう。
俺は? 俺は、どうすればいいのか。
ただ、言われるままにその最後の……最期の言葉を聞けばいいのか? どうして俺が。
自殺は良くない。初対面で、今まで俺の人生には何の関わりのない人だったけど、だからと言って見殺しにもできない。
だって、関わってしまった。
もしかしたら、この人は、迷っているかもしれない。
自殺するか、しないかを。
それで、俺に話を聞いてもらおうとしているのかも。
だとしたら、俺は、この人を止めるために、話をした方がいい。
どんな理由があっても、自殺は良くない。
「……立ち話もなんです。ベンチに座って、お話ししませんか?」
「いえ、別に長くはならないから、手短にパパッと聞いてもらえれば、それで。」
「そんな軽く言うな!」
……思った瞬間、言葉が口から飛び出していた。
俺の突然の大声に、彼女は怯んだようだった。
その隙に、俺は彼女のスーツの腕をとり、ホームの端にあるベンチへ引っ張っていって、そこに無理やり座らせた。
「冥土の土産なんでしょう! 手短に済ませちゃいけませんよ!」
自分でも何を言っているかわからない。
しかし、彼女はピンときたようだった。
「……ああ! もう! 欲張りさん!」
「お土産いっぱい欲しいのか! みたいな顔をしないでください!」
天然なのだろうか。無理やり座らせた彼女は、得意げな顔をしている。どうして。
俺も彼女の隣に座る。ふわり、と彼女からいい香りがした。
俺は、今から彼女を、自殺から、思いとどまるよう、説得する。
真剣な顔をして、彼女の顔をじっと見つめる。
すると、俺の言いたいことを察したのか、彼女も俺の顔を、見つめ返した。
「で、その……悩みとか、その、冥土の土産? 聞きますよ。」
「猫になりたい。」
「そう、それはツラい……うん?」
……何?
「猫になりたいの。わたし。」
それは真剣な顔だった。
「猫、猫って、あの、にゃーと鳴く?」
「そう。ふわふわで、柔らかくて、丸くなって、いつも寝ている、あの生き物。」
「何故。」
「猫が好きだから。」
俺の聞き方が悪いのか? と眉間を揉む。
冥土の土産に、猫の良さを聞かされても。
「猫は置いておいて。その……思い詰めているのなら、話、聞こうって。俺。せっかくあなたから声をかけてくれましたし。」
「猫の話を聞いてくれるんでしょう?」
「猫の話じゃなくて! あ。もしかして、飼っていた猫が亡くなって、悲しくて、とか?」
「飼ったことは今までないの。一度も。」
なんなんだ! わからない! なんだ? この会話はなんなんだ!
「あの……猫の話が、冥土の土産?」
「うん。」
ふざけているのか?
ただの変な人か。
やめよう。帰ろう。電車は? まだ来ないようだ。
「えっ、聞いてくれないの?」
俺が電光掲示板を見上げたからか、彼女は急に困ったような声を出して、俺の手を握った。
「この流れは、聞いてくれる流れだったでしょうー。」
シュン、と綺麗に整えられた眉が下がる。
彼女の手は、ひどく冷たかった。
「聞こうって気になったのは、あなたが何か恨みとか、悩みとかを抱えているんなら、と思ったからで、ふざけているのなら別の人を当たってください。」
「そっか! 貴方は、わたしが死にたくなった理由を聞きたいの!」
ようやく察してくれた。
「でも、それはどうでもいいの。」
「えっ。」
「そんなことを聞いて欲しいわけじゃない。」
自殺の理由を、そんなことって。
「ええと、俺も、悩みがないわけじゃないですし、あなたに、なにかしら共感できたりとか……。」
「不幸比べ?」
「違います。」
「それなら負けないよ!」
「違います。」
何故か彼女は腕をまくる。張り切らないでくれ。
「い、いや、死にたくなるくらい、思い詰めるくらい、辛いことがあったわけでしょう?」
「OLが死にたくなるような理由なんてテンプレートだもん。聞かなくていいよ。」
「自殺の動機をテンプレって言うか!?」
「そもそも本気で相談に乗って欲しいなら、同僚とか、占い師とか、然るべき機関に相談してるから。」
「急に正論!」
ナイナイ、と彼女は顔の前で手をパタパタと振っていた。
相談をしたいわけではないらしい。冥土の土産と称した話を聞いて欲しいだけ。
ドッジボールのような会話。そもそも会話、できてますか? 俺ら。
こういうのもコミュ障に含まれるのだろうか。
その辺に、自殺に思い至った理由があるかもしれない。わからないけれど。
「わたしは、貴方に恨み言が言いたくて、呼び止めたんじゃないの。」
フッと、彼女の目が真剣になる。
「もっと、ポジティブな話をしましょう? 自殺志願者は、現世に絶望して死ぬだけじゃない。来世に希望を持っている。そんな話を、現代の、未来ある若者に伝えたい。そうわたしは考えた。」
それは、呪い、では。
けれど、『呪い』という単語は不謹慎かと思って、なんとか言葉を飲み込む。
「生の声を現場に届けたくて……。まあこれから死の声になるんだけど。」
当の本人は不謹慎ギャグをかましてくる。
無敵か?
「とにかく、わたしの話を聞いてくれれば、それでいい。聞いても聞かなくても結果は同じ。ね? お願いします。」
彼女はそう言って、顔の前で手を合わせて俺を拝んだ。
結果は、同じ。なんてことを言うんだ。
俺がこのまま彼女を振り切って帰っても、おそらく、明日の朝にはテレビや新聞で彼女の死亡を知ることになる。そうすると、今度は手を合わせて、俺が彼女を拝むのだ。
その光景は簡単に脳に浮かんだ。嫌すぎる。
「一生のお願い。」
正真正銘、一生のお願い、と、彼女は余計なことを言う。
助けてくれ。
一緒のベンチに座って、見合ってしまった自分が悪いけど。
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