地下鉄で電車を待っていたら、 冥途の土産を聞かされた話

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「うん!」 あっさり。 彼女はあっさりと思い直してくれた。 よかった。 疲れた。 本当によかった。 ホームの案内表示を見上げる。次の電車はもうすぐのようだ。ホームにも、いつの間にかちらほらと人が戻ってきている。 皆が遠巻きに俺たちを見ているような気がする。 騒ぎ過ぎた。恥ずかしい。 隣の彼女は、周りの目なんて気にならないようで、そうかーそうかーと一人で何度も呟きながら頷いている。 「わたしは、猫が、飼いたかったのかー。」 「事情があって猫が飼えなくても、今なら猫カフェとかありますしね。」 「猫カフェ! 聞いたことはあるよ。飼い猫を連れていくカフェ。」 「ドッグカフェはそうですけど、猫カフェは猫がいるカフェですよ。」 「そうなの!?」 猫が好きな割に、そういうことは知らないんだなーと思う。 「この駅の近くにも、ありますよ。」 「そうなの!?!?」 嬉しそうに、彼女は声を上げる。 案外、自殺を止めるということも、難しくないんだなあと、彼女の笑顔を見て思う。 何はともあれ。よかったよかった。 「じゃあ、俺はこれで帰りますね。」 「うん。お話に付き合ってくれて、どうも、ありがとうね。」 俺が立ち上がると、彼女も続いてベンチから立ち上がる。 スカートがひらりと揺れて、彼女は膝の上に置いていたバッグを床に落とした。 それは、スローモーションのように見えた。 バッグは、空中で横向きに倒れて、中身がこぼれた。 中から滑り落ちたのは、抜き身の包丁だった。 包丁はそのままホームの床へ。 ガチャーン、という金属がぶつかる音が、地下鉄のホームの壁に反響する。 「えっ。」 それは、中華料理屋で見るような、大きな包丁だった。 「あ、いけない。」 彼女は、うっかり落ちたハンカチを拾い上げるかのように、抜き身の包丁の柄を掴んで、床から拾い上げた。 近くで列を作っていた電車待ちの人が、それを見て悲鳴をあげる。 誰かが緊急ボタンを押したようで、警報が、ビー! ビー! とホーム中に鳴り響く。 「えっ。ええっと。どういうことですか?」 彼女は、電車に飛び込んで死ぬつもりだと、俺は思っていた。 それなのに、包丁? わざわざ駅で、腹でも斬るつもりだった? それとも、既に誰かを刺して逃走中? でも、包丁は綺麗で、誰かの血液で汚れているようには見えなかった。 「な、なんで、包丁?」 「転生ガチャの話をしたじゃない?」 それまでと同じ調子で、彼女は包丁片手に話し出す。 「転生って、善行を積むと、来世はちょっといいものに転生できるんだって。犬が善行を溜めると来世では人になれる、みたいな。ということは、逆をすれば、人も来世では犬になれる。犬、つまりは動物。」 ドヤドヤと駅員が集まって来る。 あっという間に彼女は取り押さえられた。 特に抵抗する様子はなく、大人しく捕まえられながら、彼女は話し続ける。 「未来ある若者であるあなたを害したら、それは善行の真逆。転生ガチャで猫が引けそうだと思った。それだけだよ。」 縁起を担いで、ね。と、彼女は言う。 そういえば、何気なく聞き流していたけれど、そんなことを言っていたような気がする。 そこで、俺はようやく彼女がやりたかったことを理解した。 「冥土の土産……。」 それはラスボスが、主人公を殺すつもりで放つセリフだ。 土産を持たされるのは、冥土に行く側だ。 彼女は最初から俺を殺そうとして話しかけていた。 訳もわからず殺されるのは可哀想とでも思って、冥土の土産として話をしたのだ。 わたしは猫に生まれ変わるために、俺を殺すよ、と言いたかったのだ。
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