ある老婆の証言

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ある老婆の証言

あれはね、80年生きてきたけど初めて見たよ。ユキちゃんがチョコちゃん連れて歩いてきたからさ、手を振ろうとしたのよ。そしたら急にね、チョコちゃんが吠えだしたの。チョコちゃんがあんなに吠えたところ初めてよ? 普段はとってもお利口さんなんだもの。 初めはね、私に吠えたんだと思ったのよ。いつも私が触っても怒らないしこれまでも吠えられたことなんてなかったからびっくりしちゃって。 そんで驚いていたら、きれいな小豆色の着物の年寄りが前を横切っていくじゃありませんか。子供の前で斜め横断するなんてと思ってね、声をかけようとしたんですよ。そしたら彼女、すごい速さで渡り切ったんですよ。まるで光の速度だったわ。でもそれなのにね、まったく着崩れてないんですよ。まぁ普通、着物を着て大股で走るなんてことはしないものですよ? でも彼女は絶対走っていたわ。じゃないとあんな速度で車道を渡りきるなんてできませんもの? どの道ですかって? ほら、ユキちゃんの白い家のある国道一号線ですよ。ね、あんな 大きな道路を光の速さで着物を乱さずに渡るなんてヒトのなせる業じゃないわ。それにあんなに小柄でせむしの婆さんには無理無理。私が言うのもなんですけどね、もし彼女が普通の人間なら、90歳くらいの年寄りに見えましたよ。でもね、私、見ちゃったんですよ。あれの顔 を。ちらりとですけどね。昔ながらの頭巾をかぶって顔をかくしていたようだけどね、あんなぎょろ目じゃ隠し通せないわね。きっとそいつもね、犬に吠えられて驚いたんでしょうよ。大きな金の瞳をかっと開いてね、それは怖かったわ。それにへの字に結んだ口からは 細い牙が覗いていてね。お顔はなんと別嬪、キジトラの猫ちゃんなのよ。さあもうお分かりでしょ警部さん。そう、おとぎ話みたいだけど本当の話よ。だって私でしょ、ユキちゃんでしょ、それにチョコちゃんが確認したんだもの。はいはい、ボケ婆さんや子供の話なんて信じるに値しないと思っているんでしょう。気持ちはわかりますよ? 猫又をみたなんて人の話、一人一台携帯電話を持つような時代ですからね、誰が信じるかって思いますよね? でもね警部さん、あなたには「猫又はいない」ということを証明できます? できないでしょう。まぁいいわ 、猫又のいるいないの話は。でもね、仮に私の証言もユキちゃんの証言も信じてもらえなくても、まだチョコちゃんの証言が残っているわ 。あの時間、あの道をユキちゃんとチョコちゃんがお散歩することはご近所のひとの大半は知っていますわ。それにね、何度だって言いますけど、チョコちゃんはお利口さんで、めったに吠えることがないことも有名ですもの。その日、チョコちゃんの吠え声を聞いていた人も多いはずよ。え? チョコちゃんが吠えたのは猫又じゃなくて、どこかこの辺の出身ではないよそ者ですって? チョコちゃんは優しい人慣れしたワンちゃんよ? もしユキちゃんに意地悪をした人がいたなら吠えるかもしれないけれど、チョコちゃんは知らない人にも触らせますよ? 今年のお正月なんて、生まれたば かりの意思の疎通もできない私のひ孫にだって、頭を触らせましたからね。なにが言いたいかって? チョコちゃんは普通の人に吠えるなんてことしないのよ。だからあれはきっと猫又で間違いないの」
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