父と娘と

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父と娘と

荒涼とした大地にふたつの影があった。まるで生命の存在とその痕跡もない荒れ果てた大地にそのふたりはいた。 「ここらあたりにいそうだな」 「まわりはごつい岩ばかりだね、父さん」 「いいか、エル。こういうところにバグがいるんだ」 「砂じゃなく岩に潜ってるの?父さんの言うリガリアンって」 「そうさ。やつらの甲羅は固い。そして力も強いんだ。こんな岩場なんか屁でもないさ」 そう言って大男はつるはしを足元の岩盤に振り下ろした。ガチン、とそれを弾き返した岩盤は、相当堅いのかもしれない。 「なんて堅さだ。エンリ鉄のつるはしじゃビクともしないか…」 「大丈夫、父さん?」 「ああ、何とかするさ。おまえはまわりをよく見張ってろ。とくに空をな。飛行バグの群れに襲われるのだけはゾッとしないからな」 「わかったわ」 「少しどいていろ。粉砕魔法を使う」 「ドカーンっていうやつだね。あたしあれ好きだよ」 「はは、俺唯一の得意技だがな。母さんは使うなっていつも父さんに怒るんだ」 「ベリム鳥の小屋を吹き飛ばすからだよ」 「ばかあれはガルルジャ(飛行バグ)が襲って来たから」 「そういうことにしといてあげるわ」 そう言って大男のそばにいた少女はペロッと舌を出した。大男は眩しそうに、そのわが子を見つめる。ふたりはこの近郊に住むバリアントたちだ。無差別に襲ってくる恐ろしいバグも、彼らにとっては生活の一部だ。あるものはこの地に数少ない食料に、あるものは家畜や移動手段として。そして皮や甲羅は彼らの服や武具となる。捨てるところがない、というところだ。 「それじゃあやるぞ。岩陰にでも隠れていろ。音がしなくなっても顔を出すなよ。魔法の威力はまだ続いているからな」 「わかってるって」 だからベリム鳥の小屋が吹き飛んだんじゃない。魔法の余波が爆風よけの壁をなぎ倒すなんて思わなかった。おかげでまたベリム鳥を捕まえて増やして卵を産ませるまで三カ月もかかった。毎朝楽しみだった目玉焼きもその間ずっとお預けだったわ。こんちくしょう。 「いくぞ」 そう言って大男は腕を上げ、そして勢いよく振り下ろした。 「シュゲルト!」 男の足元の堅い大地が轟音とともに吹き飛んだ。しかし男のまわりにはうっすらと光の壁ができ、そのかたい岩石の破片や爆風を防いでいる。そうしてしばらく破片が降り続き、それがやがて収まると、こんどはいきなりその爆発点にものすごい勢いで空気が流れ込んで行った。魔法の、揺り戻しと呼ばれる現象だ。どんな魔法にもこれがある。魔法は何もないところから何か作用を生みだすものではなく、もとからあるものを引きだすもので、そしてそれはまた元に戻ろうとする。それが揺り戻し…ガルと呼ばれる力だ。 「すごい…」 少女は岩陰でその力を感じた。父のガルはおよそ倍の対価を持ったガルなのだ。ちっぽけな土壁の防壁など微塵に吹き飛ばしてしまう。 ガルはもとに戻ろうとする力…だが元と同じ力ではない。ときに弱かったり、まったく何も起きないこともあるが、たった少し…爪の先の火で、その何億倍のガルが起きることもある。 「もういいぞ、こっちへ来い。見ろ、すごいやつが寝てやがる」 大男が誇らしげにそう言った。少女が岩陰から出て足早に大男のそばに駆け寄る。 「寝てるっていうより気を失ってるみたいね。なにこれかわいいバグね。まだ赤ちゃんなの?」 「うーん…どうだろう。思ったのと違うからな」 「どういうこと?」 「ほら、バグって手足が六本とかそれより多いとか、堅い甲羅があるとか触角があるとか、だろ?」 そういえばこの穴の中で寝ているそれはバグというよりザリアに近い。ザリアはサバクトカゲの一種で、バグとは種がちがう。バグよりはより人間種に近い。 「ヘムじいさん所のザリアに似てるね」 「ああ、ザリアかな、こいつ」 「どうするの?これ」 「縄でもつけて持って帰るか。荷物運びくらいにはなりそうだしな」 そう言って大男はザリアの首に縄を巻いた。ついでに縄に魔法を封じる。大したことはない魔法だが、暴れて縄が切れそうになると張力魔法が発生し、ガルもまた起きる。そのガルが半端ない苦痛をザリアに与えるのだ。 「へえ、こいつバグを捕食してたんだな。寝床にいっぱいバグの堅い甲羅なんかが散乱してやがる」 「父さんやったね!」 「ああこれで母さんの縫い針や櫛が作れる」 「あたしの武具もね」 「おまえには武具はまだ早い」 「なんでよー」 「作っても直ぐ小さくなっちまうだろ?おまえいまいくつだ?」 「十一よ」 「なら少なくとも四年待ってろ」 「えーっ」 そんなに待てない。なにしろ武具なしじゃひとりでバグを狩リにもいけない。魔法で何とかしのげるにしても、いまの力じゃ一発で相手を仕留めることは難しいし、そう何度も魔法は使えない。武器である程度弱らせてから魔法をぶち込む。そのために武具は必要不可欠なのだ。 「いいから縄を持て。こいつを起こすぞ」 「暴れないかな?」 「そんときはこいつが地獄を見ることになる。まあ死なない程度にな。しかしこいつの力が大きかったら、そんときは文字通り地獄行きだ」 「なんだかかわいそう…」 「俺たちが生きるためだ。『哀れみは死を招き入れる惰弱の心、悲しみは死を厭う脆弱の証』さ」 「あたしそのガルン教の教えって大きらい。とくに預言者エデンの言葉もね。なによ『弱者は溺者のこと。掴まれたらハイおしまい』って」 そんなこと言ってないぞ、という顔を大男はした。でもまあ意味は合っている。『溺れる者は沈む石でも掴む』が正しい。弱者を溺れたものに例えた言葉だ。まあ娘流にアレンジしたんだろうが、なんだハイおしまいって。 「まったくお前は変わっているよ」 「父さんの娘だからね」 「あはは、ちがいない、か」 そうこうしていると、身の丈は大男より少し大きいくらいのザリアが起き出した。きょとんとしている。目だけがあたりをせわしくうかがっているようだ。 「ふうん、こいつはかなり賢そうだ。まんざらバカでもなさそうだな」 父が言うにはこのザリアはまだ赤ちゃんらしいのだ。赤ちゃんと言っても百年くらいは生きているという。まったく、大人になるまで何万年かかるんだか。 「ねえ、名前つけてもいい?」 「名前?おかしなことを考えるもんだな。ふつう、自分の子供にしか名前はつけないがな」 「じゃああたしたちの村の名前はだれがつけたのよ」 「そりゃあむかしむかしの村長さまだ。国の名だって王さまが決める。そういうもんだ」 「じゃあオルガディアって誰がつけたの?」 「そ、そりゃあ神さまだ」 「そんなのおかしいわ!なんで神さまがわざわざこの大地に『オルガディア(死の大地)』ってつけんのよ。それってあたしたちに死ねっていうこと?」 「うっせえなあ。仕方ないだろ、それがガルン教の教えなんだから」 「またそれ?なんだか嘘くさいなあ」 「やめとけ。ここで異端と思われてもいいのか?火あぶりになるぞ」 過酷な大地にすがるもの…それが唯一神ガルンの教えであり、オルガディアの普遍の宗教だった。魔物や獣のなかに生まれたひ弱な人間が、その存続を得たのは約五千年前に現われた預言者エデンのおかげだという。彼はガルン神を広め、人類をまとめ過酷な人間の運命を切り開いた。彼が魔族に引き裂かれ殺されるまで、彼は長らく人間を率い、その礎を作り上げたのだ。 「まさか愛する自分の娘を密告するの?」 「バカな。誰がそんな…いいから縄を持て。そして黙ってろ」 「口に縄はできないわ」 「へえ、さるぐつわってえのを知らないみたいだな。おまえのその減らない口をきちんと閉じらせてやってもいいんだぞ」 「やって見なさいよ。そしたら母さんに告げ口するから」 「あのー、ちょっといいですかあ?」 ふたりは同時に驚いた。だってザリアがしゃべったからだ。
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