生者に穢されて

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その瞬間、何か、「サアーーーーッ」と流れる音がしたと思いきや、真っ白い粉末が一本の線を引いて私の太腿に零れ落ちたのです。黒のタイトスカートが真っ白に染め上がりました。すぐに私は、パートさんは、それが「骨」である事に気付いたのです。  暗い視界、虚ろになった目、骨壺と同じ白。私は、骨の粉末が壺の底にこびりついていたことを、見抜けなかったのです。  パートさんたちは、「ぎゃーっ」と悲鳴をあげながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。私もその時ばかりはさすがに、身を強張らせ、責任者が駆けつけてくるまで、その場を動くことが出来ませんでした。  どうしてゴミ捨て場に、骨の粉末が入った骨壺があったのか。実は私は、経験から既にそのわけに気づいていました。動けなかったのは怖かったのではなく、その事実に「恐れて」いたからです。  そこには、おぞましい事実が待ち受けておりました。 *** 「それはつまり、葬儀会社に骨壺の処分を押し付けられたのではないでしょうか」  数日後。調査会議に参加した際に、私はこう発言しました。 「骨壺の移し替えは自体は、式が始まる前に起こることもあります。移し替えられた後の骨壺の処理は、葬儀会社が請け負うのが普通ですが、それがうちのゴミ捨て場にあったというのは、つまりは……そういうことだと思うのですが……」  それに周りは、「さもありなん」と、頷き合いました。事実、葬儀会社は、生花業者を下に見る傾向があり、言葉遣いが粗暴だったり、また使用人のようにこき使ったり、無茶ぶりを言うのも多かったからです。そうだとすれば、骨壺を捨てた人とは、うちの従業員の誰か、ということになります。    幸い、骨壺には名前が記載されていたので、その名前から担当者を突き止めることが出来ました。それを仮にAさんとします。しかし、Aさんはその道二十年のベテランであり、誰にも言わないで骨壺をゴミに捨てる、という悪手を取るとは思えず、皆は納得しませんでした。  では、Aさんでないとするなら、一体誰なのか。うつ病が故に、動揺や感情が入らない私の頭は皮肉にも、冷静にそして残酷にその正体を読み取りました。 「なら、Aさんと一緒に仕事をした、派遣の誰かもしれませんね」  Aさんは、ベテランで仕事慣れしているだけでなく、人柄が良いことで評判でした。だから、配送部はAさんの付き人として、まだ若い初心者の派遣さんを選ぶ傾向がありました。   「だとしたら、葬儀会社がその不慣れを見抜いて押し付けることもあるでしょうし、初心者だからどう対処すればいいか分からないまま、ゴミ箱にこっそり捨てたのでしょう。そしたら辻褄も合います」  そうした推理の基に、派遣会社に問い合わせてみると、その読みは見事に当たり、まだ入社2週間目のアルバイターが骨壺を捨てたことが分かりました。それを仮にBさんとします。  Bさんは若くて小柄な女性で、後日会議室に来て貰った時には、背中を丸めてビクビク怯えていました。哀れにも思いつつ、その臆病な性格もまた、一連の騒動の要因になったのかなと思いました。  そうして、見守るAさんの隣に座るBさんから、それからの事情を聞けば一件落着と思っていたのですが、彼女の口からは、私でも予想しなかった、更に恐ろしい事実が明かされました。 「ええ……? 葬儀会社からでなく、喪主から言われたんですか?」 「はい……。看板下の花周りを掃除していた時に、突然……」  彼女が泣きじゃくりながら語る経緯は、以下のようなものでした。  その時、視線を感じて斎場の中を見た時、斎場の奥、祭壇に飾られた遺影の前で、一人の老婆が手をぶらぶらと下ろしながら、Bさんを見つめていたそうです。その顔はとても常人といえるものではなく、眉は吊り上がり、目は剥いて、血色の悪い唇を黄ばんだ上歯で噛んでは、何かにすごく怒っているようでした。  どういう事だろう、と、Bさんが老婆と目を合わせた瞬間、老婆はその顔のままずんっと前に飛び出しては、覚束ない足取りで走り寄ってBさんに向かってきたそうです。斎場の入り口を飛び出した時をして――、Bさんは骨と皮しかない老婆の手に、骨箱がぶら下がっていることに気づきました。 「これ、いらない! 捨てて来て!」  そして、大声でBさんをけん制し、骨箱をBさんの胸に押し付けてきました。当然のことながら、Bさんはパニック状態です。 「うちのね! バカ娘がね! こんなね! 便器みたいな骨壺をね! 選んでね! 周りの皆さんに恥知らずにもほどがあってね! 移し替えたから! 捨てて! 早く!」  間近に迫られた時、老婆の薄い髪にはフケがびっしりと張り付いて、その喪服の肩にも散らばっていたようです。そして、身体を洗っていない青臭い体臭も漂っていて、その恐怖で何も言えないBさんに対し、老婆は頭を振り乱して叫びました。 「何で言ウコトキイテクレナイノオッ! キャアアアアーーーーアアアアアアアッーーー! ステロッテイッテンデショオッ! ステロステロステロステロステロステロステロオオオオオオーーーー! キイヤアアアアアーーアアアアアアーーーー! アアアアアアアアアアアアアーーーーー!」  最後には、金切り声で噛みつかんとばかりに命令したようです。その開いた口の中は真っ黒で、また凄く臭かった、と、Bさんは涙を流しながら答えました。最初はただの異常者かと思ったら、その胸に「喪主」と書かれた名札があったことに、もう意味が分からなくなった、と。 「そして……受け取ってしまったというのですか……?」 「はい……もう、怖くて……。でも、勝手に骨壺を受け取ったら、Aさんに怒られると思って、それも凄く怖くて……。もう、どうにもこうにも、どうすれば、もう、分からなくって」  それで、何とか「全てなかったことに」出来ないかと、骨箱をこっそり帰りのトラックの中に入れ、戻った後、気づかれないようにゴミに捨てた、と、いうことだったのです。中途半端に木材の上に置いたのは、さすがに骨箱とあって、普通のゴミみたいに投げ捨てるのもなんか怖かったからだと、言いました。  どうやら、計り知れない「恐怖」が、彼女に正しい判断を奪ってしまったようでした。その後、Bさんはあんなおかしい老婆がどうして喪主なんかに、と、嘆いていましたが、私は、そしてAさんは「それは充分ありえる」と、説明しました。 「例え本人に喪主をする能力がないとしても、体面を立てるために、亡くなった方の奥様が喪主を名乗ることはよくあるのです」 「その様子だと、お葬式の準備は実質娘さんが代わりにやっていたんだろうな……それなのに、バカ娘なんて言われてね……かわいそうにね、娘さん……。Bさんもね……大変だったね……」  そうして、Bさんへの教諭は終わり、骨箱が捨てられたのは「喪主からの命令だった」と、分かりました。しかし、その事情を担当していた葬儀会社に連絡し、改めて骨箱を引き取ってもらおうと電話した時、葬儀会社の人から激怒されてしまったのです。 「てめえ、何を嘘ついてやがんだ!」 「な、何のことでございますか……?」 「あの喪主さんはそんな人じゃねーよ! ずっとニコニコしていて、すげえ優しいバアさんだったぞ! 移し替えた骨壺を俺たちが引き取ろうって時にも、あのバアさんは大事そうに骨壺持ちながら、これでも大事な主人が入っていたものだから、と、涙零しながらとっておこうって言っていたんだ! それを派遣のソイツが勘違いして、勝手に持ち帰っただけってことだろう!」  私はそこで初めて、肝が冷える瞬間を味わいました。つまり、Bさんの証言は――、 「自分の不手際を誤魔化す為の嘘だろ! 余計な手間かかせやがって!」 「いえ……、あの様子からは、とても嘘をついているようには」 「ああ!? 俺たちが嘘をついているとでも言うのか!? 付き合いの長い俺たちより、派遣なんかを信じるってのかよ!」  最早、埒があきませんでした。結局葬儀会社は、「そっちの不手際を尻ぬぐいするつもりはない」と、骨箱の引き取りを拒否し、骨箱はこちらで処分することになりました。  あの一連の騒動は、最後の謎を残しました。  誰かが嘘をついたというのでしょうか。喪主さんだったのか、Bさんだったのか、それとも、骨箱の処理を面倒と思った葬儀会社だったのか。  嘘だったにせよ、または嘘ではなく、全てが本当だったによ、そうした生きとし生ける者の強情が、見栄が、保身が――、自分の親族よりも前に、見知らぬ人の骨を私に被らせました。  骨の主もまさか、普通に働き、結婚し、家族を作り生きた自分の骨の末路が、草花の腐臭漂う花屋のゴミとして捨てられ、見知らぬ女のスカートにかかることになろうとは、夢にも思わなかったでしょう。  そして、私は忘れることがないでしょう。群青色の空の下、どす黒い煮汁が染み込み、ぐちゃぐちゃになったオアシスと草花に積み上げられた木材の上、その真ん中に乗せられていた白い骨箱を。  そしてそれがまるで、骨箱の主を飾る『祭壇』のようであったことを。
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