黒い猫

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 そんなある日のこと、本を抱えた聡子が東屋へ来てみると、年季の入った木製のベンチの下に一匹の黒猫がひそんでいた。  黒猫は濡れたように艶々とした毛並みをしており、愛想のない丸い顔とピンとしたこれまた真っ黒なヒゲを持っていた。  聡子が近寄っても逃げる気配はない。よく見ると背中に黒いガサガサした紙がくっついていて、それが重くて動けないようだった。  金色の絵の具で見たこともない文字がびっしりと書き込まれたハガキくらいの紙なのだが、黒猫はまるで抑えつけられててでもいるかのように動きを制限され、不機嫌に耳を寝かして唸っている。 「この紙をどかせばいいの?」  聡子はこわごわ紙切れの端っこをつまんだ。  黒猫がさも重そうにしていたので、聡子は思い切り指に力を込めて引っ張った。 「ぶみゃっ」  大袈裟な黒猫の悲鳴とは裏腹に、黒い紙はカンタンに剥がすことが出来た。  紙は、一度濡れて乾いたあとみたいな手触りで、金色の細い筆文字で漢字でも『かな』でもない聡子の知らない文字が書き連ねてある。  黒猫は紙を剝がされたあたりを小さな赤い舌で必死で舐めては、後味が不味いのか時々鼻に皺を寄せてえずいていたが、しゃがみこんだ聡子が見ているのに気付くと、舐めるのをやめ、金色の瞳でじっと聡子を見つめ返した。 「どこから来たの? 綺麗な黒猫ちゃん」  聡子はそっと手をのばし、黒猫の耳と耳の間を撫でた。    その日から、聡子が東屋に本を読みに行くと、いつのまにか黒猫が遊びに来るようになった。  聡子がベンチに掛けて本を開くと、溜池沿いの遊歩道をテクテクと歩いてきて東屋の手すりに飛び乗る。  溜池に飛来する水鳥を静かに眺める午後もあれば、聡子の持ってきたスナック菓子をねだる日もあった。 「その猫、相田さんの?」 「あ、中原さん」  ある日、猫じゃらしで黒猫と遊んでいた聡子に声を掛けてきたのは、アパートの裏手の住宅街に住んでいる同じクラスの中原由佳里だった。  真っ黒に日焼けした顔にショートヘアで、手足もほっそりしているから、男の子みたいに見える声の大きな子で、教室でもあまり話をした覚えがない。  日焼けしてるのはソフトボールのチームにはいっているせいで、声が大きいのは男3兄弟の下に生まれ育ったせいだと知ったのはだいぶ後のことだったのだが、とにかく急に話しかけられて、聡子はどぎまぎと顔を赤くした。 「ううん、そうじゃないけど」 「相田さん、さわれるんだね」 「え?」 「その子、撫でさせてくれないんだよ、私には絶対」  そう言って聡子の隣にしゃがんだ由佳里は、聡子の手のひらにぐいぐいと頭を押し付けて甘える黒猫を羨ましそうにじっと見ている。 「無理に抱こうとして、引っ掻かかれた子もいるよ」 「撫でてみる?」  聡子は聞いていた。  自分の猫というわけではないが、今なら由佳里と黒猫が仲良くなれる予感があった。 「う、うん」  闊達自在な見た目を裏切って、由佳里は繊細な思いやりのある性格であることも、だいぶあとから聡子は知った。 「こんにちは」  優しく話し掛けながら、由佳里は黒猫の背中に触れた。 「ほら、怒らないし逃げない」 「うん!」  由佳里はにっこりした。  聡子もにっこりした。  それから二人は色々な話をした。  読書好きの聡子とボーイッシュな由佳里は、意外と気が合った。  来月からの夏休みに実行する楽しい計画や、遊びの約束もたくさんした。  東屋に二人の笑い声が響きわたる。  黒猫はかわるがわる二人から撫でられながら、しばらくはおざなりに喉を鳴らしてたが、やがて丸くなって本格的に眠ってしまった。
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