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店に臨時休業の貼り紙をして、履きなれないパンプスにさっそく憂鬱になりながら、聡子はまだ心を決めかねていた。
父の実家のある街へは新幹線で1時間、それから在来線とバスを乗り継いで1時間の距離だった。
さっさと駅へ向かえばいいのに、急ぐ必要はないと自分に言い訳をしつつ、聡子の歩みは遅々として進まなかった。
18年間音信不通だったのに、いきなり訪ねていって「娘です」と名乗ったらどんな待遇をされるのだろう。
もし新しい娘や息子がいたら、異母兄弟ということになる。
ましてその母親にはなんと挨拶すればいいのか。
遺されたものを争いに来たと思われるのも嫌だし、親戚中からひそひそと観察されるなんてぞっとする。
「やっぱりやめておこうかな」
とはいえ、母には行くと言ってしまったし、店まで閉めたのに結局、意気地がなくて行かないなんて、それはそれで今後何度も後悔するしこりになってしまいそうでいやだった。
気が付くと、聡子は駅を通り過ぎ、いつのまにか住宅街に迷い込んでいた。
もうこのまま帰ってしまおうか。
そう考えた時、目の前を黒猫が横切った。
「あ、黒猫ちゃん」
反射的に聡子が呼び掛けると、黒猫は立ち止まって振り返った。
胡散臭げに聡子を見上げ、金色の瞳が頭からつま先までを精査するようにするどく一巡する。
そしてもう一度聡子の顔に目をやり、黒猫は踵を返して近寄ってきた。
「こんにちは、綺麗な黒猫ちゃん」
聡子はしゃがみこんで手を差し出した。
その指先を嗅ぎ、聡子のてのひらにぐりぐりと頭をこすりつけてくる。
「人懐こいのね、どこの子かな」
聡子は道端に生えていた猫じゃらしを一本失敬して、黒猫の前で振った。
厚みのある堂々とした黒い体が柔軟に敏捷に猫じゃらしを追いかける。
「それそれ」
上下左右に振り回す聡子の手に、勢いあまって黒猫の爪が当たった。
「痛っ」
正確には、興奮した黒猫のスピードについていけなかった聡子が躱しきれなかっただけなのだが。
目をまん丸にした黒猫が、しまった、という顔をした(ようにみえた)。
その瞬間、
「レイン!?」
背後から声がした。
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