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「うちの猫がすみません。大丈夫でしたか?」
慌てた様子で駆け寄ってきたのは、制服を着た高校生くらいの男の子だった。
聡子の人差し指から血が垂れているのを見て、青ざめる。
「大丈夫です大丈夫です。私が調子に乗りすぎてよけきれなかっただけなんです」
「手当するので、どうぞうちへ」
「そんな、大袈裟すぎます。本当に大丈夫ですから」
「いえ、猫に引っ掻かれた傷は油断すると後で化膿したり大変な事になったりするんです。すぐに手当しましょう」
男の子は遠慮しようとする聡子の手を取り、血のにじんだ細い引っ掻き傷を仔細に調べてから言った。
表情は優しいが、このまま立ち去ることを許してくれそうにない断固とした口調で説明してくれる。
聡子は諦めた。
「それじゃあ、お世話になります」
聡子が言うと、男の子はホッとした顔をして聡子の荷物を持ってくれた。
「レイン、お前も来い」
黒猫に向けて、厳しい口調で命令する。
レインと呼ばれた黒猫は悄然として、大人しく男の子の後に続いた。
「お出掛けの途中だったんじゃないですか? どこかへ連絡するなら電話使ってください」
襟のついた聡子のワンピースを見て、気遣わしげに訊いてくる。
「ありがとう。でも大丈夫です。時間的にははまだ余裕があるし、行くかどうかも決めていないので」
男の子が案内してくれたのは、見上げるようなソテツの植わった広々とした芝生の前庭のある古風な洋館だった。
漆喰塗りの白壁が美しいポーチに立ち、木製の大きな扉に取り付けられた銅製の叩き金を叩く。
「おかえりなさい」
扉を開けるとガランガランとドアチャイムが鳴って、磨き込まれた長い廊下の奥から女の子がパタパタと走り出てきた。
「あら、お客様?」
「レインが引っ掻いて怪我をさせてしまったんだ」
「そうだったの。それは申し訳ございませんでした」
「いえ、私のほうこそ迂闊だったんです」
長い髪を軽快なポニーテールに結った小学生くらいの女の子は、こちらが畏まってしまうほど丁寧に詫びを言い頭を下げた。
「妹さんですか?」
「いえ、従妹です」
先に立って案内してくれながら男の子が言った。
「まずは傷を洗いましょう」
聡子の荷物を女の子に預けて、男の子は聡子を洗面所へ連れて行ってくれた。
片側にはドアが、もう片側は庭を望める縦長の窓が連なる板張りの静かな廊下を、手を引かれて歩いているとまるで小さい子どもの頃に戻ったような気分だった。
いつかこんな風にだれかに、大事に気遣われながら手を引いてもらったことがあった。
そんな記憶がふとよみがえった。
あの時、そばにいたのは誰だったっけ。
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