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「この度、軒下に越して来ました。
今日はそのごあいさつに伺いました。」
とある昼下がりインターフォン越しに私の目の前に表れたのは、紛れもないハチワレの猫だった。
(・・・猫がしゃべった。しかも器用に立っている。)
寝癖頭とスウェット姿の私はモニターの前でお手本の様なリアクションで立ち尽くした。
(いやいや・・・これはきっと昼寝のせい!寝ぼけているのよ!だって私はもう40!
流石に酸いも甘いも知った中年女の前に
こんなファンタジーが起こるわけないもの!)
そう考えているうちにもインターフォンが再び鳴り響く。
(どうする?出る?出ない?・・・・・。)
「お忙しい時間にすいません。はじめまして私この度、お宅の軒下に越して来ました猫沢と申します。」
ニコニコと丁寧にお辞儀をする猫沢と名乗るハチワレ。
好奇心でなりふりかまわず出てしまったが、その猫沢氏を目の前に自分の格好を恥ずかしく思った。
だが聞かないわけにはいかない事がある。
「こちらこそわざわざご丁寧に。あの・・・ところで先程から我が家の軒下に越して来たとの事ですが・・・どういう事でしょうか・・・?」
そう本題はこれだ。
たとえファンタジーと現実の狭間に居ても私は主婦。
結婚して20年。普段はだらだらとしていても自治会や近所付き合いをそつなくやり抜いて来たのだ。おかしいと思った時にはそれらを相手に異を唱える時だってあったのだから相手が喋る猫だからといって「あら、そうなのね~」と引き下がる訳にはいかないのだ。
「そうですよね、突然の事でさぞ驚かれたと思います。やはり下見の段階で一度ごあいさつをしておくべきでした。大変申し訳ありませんでした。」
猫沢氏は深々と頭を下げた。
「いや、そうではなくてですね・・・。そもそも我が家の軒下って貸し出していませんし・・・。いったいどちらで契約なさったんでしょうか?」
私は自分自身に一体何を言っているんだろうと思いながら猫沢氏を追及する。
「・・・契約?そういうのはしていませんが、お宅に以前住んでいた黒猫のボンさんと仲良くさせて頂いておりまして。そのボンさんからの紹介というか・・・」
猫沢氏は耳とひげを下に向け言い辛そうに続けた
「ボンさんの事はお悔やみ申し上げます。」
猫沢氏はそう言うと少し猫背になりうつむいた。
猫沢氏の背中がお日さまに少し照って白い毛が金色に輝いた。
それを見て私はハッとなった。
「あなた、もしかしてボンと窓越しにお話していた野良猫?」
「そうです!奧さん!まさか私の事を覚えていてくださるだなんて!」
猫沢氏は目をまん丸にしシッポをモフモフ膨らませながら私の手を握った。
その肉球の柔らかいこと、暖かいこと、懐かしいこと・・・。
ボンが天に召されて以来、私は猫には二度と触れまいと心に誓って来たのだが、まさかこんな形で猫に触れるとは思ってもみなかった。
「分かりました。いいでしょう。
我が家の軒下をお好きどうぞ。
あっ!ただしゴキブリやネズミがわかないように清潔に使って下さいよ。それと寒くなったら毛布を差し上げますから遠慮なくおっしゃって下さい。」
現実とファンタジーの狭間で私はそう答えた。
どちらだとて、やはり猫には勝てないのだ。
2月22日の昼下がりの出来事。
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