「赤い球」

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「赤い球」

 ある日のこと、久しぶりにパチンコ店にやってきたKは、目当ての台を見つけると一万円を筐体に入れて遊び始めた。  コロコロと落ちていく球の様子をじっと眺めながら、無心で煙草を吸う。  突然、赤い球が落ちてきた。  それは吸い寄せられるようにスタートチェッカーに入り、演出が始まる。  変な色の球だったのでエラーが出るかなと心配したが、何事もなく演出は続き、結果的に大当たりになってしまった。   見間違いだったのかなと頭では思いつつも、手はハンドルを回して出玉を確保していった。  大当たりが終了し、通常演出に戻った直後、また赤い球が落ちてきた。  まさかと思ったが、またもスタートチェッカーに入り、大当たりになった。  その後も、赤い球が現れては絶対に大当たりになるという異常事態が一時間ほど続いた。  打ち続ければ続けるほど、座席の後ろに出玉を入れる箱が積み上がっていく。  ふと、辺りを見渡すと自分と同様に大当たりの客が多いことに気付いた。  さすがに、全員が全員、ツイているということではないだろう。店側のサービスか何かで、今日は放出日なのかと納得する。  しかし、今日は特別な日だったか? この店の開店記念日は先月だったし、なぜこんなサービスをしているんだろう。  そして、この赤い球は何だろう。目印か何かなのか?  そう、疑問に思っても大当たりが永遠と続く快楽が勝り、次第に忘れていった。  打ち始めてから二時間が経った頃、トイレに行こうとして席から立つとめまいがして、ガシャンと派手な音を出して倒れこんだ。  運悪く、手をついた先に出玉の箱があって中身が転がっていく。  ちょうど一箱しかない場所だったのは不幸中の幸いだった。積み上がっている方に倒れていたら非常に迷惑だっただろう。  だが、少しこぼれただけでも迷惑は迷惑だ。拾いに行こうとして立ち上がろうとするも、体に力が入らない。  息が浅いことにも気付く。久しぶりに打ってこれだけ当たったから熱中しすぎたのか……?  隣で打っていた男は、心配そうにこちらを見ている。  気恥ずかしさで、再度立ち上がろうとするも体に力が入らない。  誰かが呼んだのだろうか、慌てて店員が駆け寄ってくる。  大丈夫ですか、と店員に声を掛けられるもうまく返事ができない。  それでも、決死の思いでなんとか立ち上がると、「大丈夫です」 と一言だけ返して休憩所に向かう。  フラフラとした足取りで自動販売機にたどり着くと、ジュースを購入して一気に飲み干す。  そのまま何度か深呼吸してベンチに座るも、一向に体調は良くならない。  立ちくらみだろうか……いや、違う感じがする……。  今日がとんでもない放出日であっても、これだけ体調が悪いとさすがにどうしようもないだろう。下手に居座っても、店から追い出されるだけだ。  今日はもう帰ろう。右手に握ったままの空き缶を捨てに行こうとすると、隣に誰かが座った。  「兄ちゃん、赤い球、見たか?」  声の主を見ると、相手は初老の男だった。長らく、この店に通っているという雰囲気を感じる。  人と話すのも気分転換になるだろう。そう思って、会話に応じることにする。  「ええ、見ましたよ何個も。しかも、不思議なことに全部当たりになるんです」  初老の男はKに憐れみの視線を送る。  「兄ちゃん、あんたは悪魔に魅入られちまった。早く、家族に電話しなさい」  「どういうことですか?」  「あんたはこれから死ぬってことだよ」  ……意味が分からない。なんでそんな話になるんだ。  初老の男は座りなおすと、こちらを向いて話しかけてくる。  「俺は、編加(あむか)っていうんだが、この店には長いこと世話になっててな……出るんだよ、アレが」  「出るって、お化けですか?」  「違う、違う。兄ちゃん、この店にはな、悪魔が居るんだよ」  「……悪魔?」  「悪魔はな、誰か一人、贄を選んでそいつの血を取るんだ。で、その血を丸めてにする。それが『赤い球』だ」   編加と名乗った男は、ポケットの中から赤い球を取り出す。  「さっき、知り合いが赤い球が出たって言ってきてな。受け皿に来たから一つ貰ったんだ。ほれ、兄ちゃん舐めてみろ」  言われるがまま、差し出された赤い球を受け取る、舐めてみると確かに血の味がした。  「赤い球はな、他の客の台にも出てくるんだ。出るたびに、あんたの血も取られていく……」  編加は煙草を取り出し、火をつけて吸い始める。  「……もう、だいぶツラいだろう。ずっと出血してるようなもんだからな。意識があるうちに、家族に電話しときなさい」  馬鹿げている、そんな話は嘘だ。そう喉まで出かかるも、休憩所に来てもなお悪化していく体調が、真実味を帯びさせていく。  Kは赤い球をぎゅっと握りしめて、呟く。  「……なんで、俺なんですか……」  編加は煙草の息をフゥーと吐くと、口元をしかめて話し出す。  「俺は、長いことこの店に居るがな、赤い球で死んだ奴は何人も見てきた」  「だがな、魅入られた者の共通点はわからん。悪魔の気まぐれなのか、何かあるのか……」  編加は煙草の灰を受け皿に落とすと、台の方に目線を向ける。  「……赤い球はな、異様に当たるんだよ。だから、誰かが死ぬとわかっていても、俺たちは回すのをやめられない」  「ひどいもんさ。俺は赤い球が出始めたら打つのをやめる。人の命を奪って当てようなんざ、気持ちが悪いからな」  ホールを歩く従業員を目線で追いかけながら、また一息肺に入れる。  「店側も見て見ぬふりだ。俺の話を聞いて半狂乱になった奴が他の客たちを無理矢理台から引きはがしたことがあってな、暴れているのを店員に取り押さえられているうちに、そのまま死んだよ……」  「誰が魅入られたのか、気付かないうちに出血しているんだから兄ちゃんみたいになるまで誰もわからない……」  「意識がだんだんなくなり、やがて心停止するだろう……兄ちゃん、残念だったな……」  編加は煙草の火を消してベンチから立ち上がると、その場を離れていく。  Kは何も言わなくなり、うなだれる。  Kはすでに息をしていなかった。  自分の鞄を置いていた台に戻った編加は、筐体に残った出玉を消費するべく、打ち始める。すると、隣に座っていた男が話しかけてくる。  「編加さん、今日はどうでしたか」  「うん、なかなかだったよ尾中さん」  尾中と呼ばれた男はニコッと笑うと満杯になった出玉の箱を後ろに積み上げる。  「しかしねえ、編加さんも好きだねえ、それ」  「うん、そうだね。これが、私の生きがいだからね」  「編加さんのおかげでこっちは楽できてるんだ、ありがたい限りだ」  尾中が手を合わせるような芝居をすると、編加は苦笑する。  「いやあ、そう言ってくれると嬉しいね。では、打ち終わったので私はこれで」  「ええ、またお会いしましょう」  編加はずっしりと重そうな鞄を取って席から立ちあがると、上機嫌で店を出ていく。歩きながら、コロコロと口の中で音を立てる。  大きな鞄を持って店の出口に向かう編加。わずかに開いていたチャックからナニカが零れ落ちる。  気付いた客の一人が話しかける。  「おじいさん、出玉。落としてるよ」  「ああ、大丈夫。あげるよそれ」  「……?」  怪訝な反応を示す客。編加は笑顔で返してその場を後にする。  危ないところだった。には気が付かなかったようで助かった。  編加はそう思いながら、口を開ける。  舌の上には、いくつもの赤い球が乗っていた。  Kを見つけた店員は、救急に電話してから同僚を呼ぶ。  「またあの人だよ、これで何人目だ」  駆け付けた同僚は、Kの様子を見てため息をつく。  「仕方ない。なぜか警察もろくに捜査しないんだ。あの人を出禁にしようとした前の店長は自宅で亡くなったらしい。失血死だそうだ」  「しかし、どうすればいいんだ。俺たちは何もできないのか?」  「あまり関わるなよ……あれは悪魔だ。邪魔をしたら殺される」  「犠牲者の対応をするのはこっちだぞ……? 嫌でも気になるさ」  「……とりあえず、マニュアル通りに店長に報告。救急はもう呼んだよな?」  「ああ、一応な。……今日の営業はこれで終わりだな」  無線で店長に報告をしつつ、他の店員は客たちを帰らせる作業に移る。  二人は、Kの様子を見ておくために休憩所の設営を片付ける作業を始める。  「……そういえば、一回だけ逃げられた人がいたよな?」  「確か、あの時は悪魔の話を聞かないですぐに店から出たから助かったらしい」  「この店に憑いている悪魔だから、店外に出れば赤い球は出なくなるんだな」  「多分な。だから、悪魔は話しかけて店に留まらせようとしてくるんだ。電話をかけろってのも、長話してここに居ろってことだろう」  店員たちが話していると、次第にサイレンの音が近づいてくる。  「お、来たか」  「じゃあ行くわ。ほんと、面倒をかけやがって……」  店前に救急隊が到着し、店員の説明を受けながらKを搬送する。  乾いた老人のような姿になったKの手からは、溶けた赤い球が血の滴を垂らしていた。
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