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時間の数え方を私は知らない。
でもあなたは知っている。
ピピっピピっというおなじみの音が聞こえるとすぐに、あなたは長い手を伸ばして私を探す。
広いベッドの端っこで丸くなって眠っている私を探り当てると、大きな手でそっと頭をなでる。
少しかすれた声で「おはよう」と顔を寄せられて、私は少しだけ目を開ける。
カーテンの隙間から光が漏れていて、それがどうやら一日の始まりだと気付いた。
「むんっ」と言いながら起き上がり、背中を伸ばすあなたは大きな猫みたい。
あなたがさっさとベッドから抜け出しても、私はまだまるまったまま。
顔を洗ったり服を着替えたり、忙しく動き回る音に耳を澄ませている。
やがてあなたが作った食べ物のおいしそうな匂いが漂ってきて、私の鼻がぴくぴくしてくると「おーい、ごはんだよー」と呼んでくれる。
ゆっくり起き上がってベッドから飛び降りると、まっすぐあなたの元へ歩いていく。
あなたが好きな優雅なステップで。
「お腹なんてちっとも空いていないけどせっかく用意してくれたから食べてあげる」という態度に見えるように、お気に入りのお皿に口を寄せた。
「おいしい?」といつも聞いてくるけど、あなたが色々調べて私の身体のために選んでくれたごはんなんだから、おいしいに決まっている。
返事の代わりに差し出された指に少しだけ額を摺り寄せた。
しばらく私の食事に付き合ってからあなたは立ち上がり、自分のための食べ物をあっという間に食べ終わる。そしてバタバタと支度をすると「行ってきまーす」と言ってドアを閉めた。
あなたがいなくなった後の私の定位置はここ。
あなたが教えてくれた「窓際」だ。
この小さな部屋に不釣り合いなほど大きな窓を気に入って、ここに住もうと決めたと言っていた。
この窓の手前にある狭いスペースは、私が外を眺めるのにちょうどいい場所だった。まだ小さかった頃はあなたが抱き上げてのせてくれたけど、今では自分で飛び乗るのにちょうどいい高さだ。
ここに座って冷たいガラス窓に額を擦りつけながら外の景色を見るのが好き。
窓の下には「道」があって、たくさんの人や乗り物が通り過ぎていく。
「道」の向こうには「公園」があり、大きな木々や花、子供のための「遊び場」が見える。
私がここに住み始めた頃、あなたは私を胸に抱いてこの窓を開けると、色々な言葉を教えてくれた。
開けた窓から入ってくる、目には見えない気持ちのいいものが「風」。
時々強く吹いて外の木々を揺らしたり、洗濯物をはためかせたりする。
窓から見える景色をゆっくりと変えていくのが「季節」で、公園の入口にある大きな木にピンク色のきれいな花が咲き始めると「春」。
花がすっかり散ってしまい、緑の葉で枝が覆われると「夏」。
その葉の色が変わり、ちらほらと落ち始めると「秋」。
枯れた葉っぱが全部落ちて茶色い枝だけになると「冬」になる。
今の季節が知りたかったら、あの木を見ればいいと教えてくれた。
一日に何度も色を変える広い場所は「空」。いつもは青い空を時々覆う白いかたまりは「雲」。たまに黒い「雲」が出るときはたくさんの水が降ってくる。窓を叩く不思議な水は「雨」だ。
一瞬でいつもの景色をにじませて、遠くまで見通せなくさせる「雨」だけど、さぁさぁと降り注ぐ音は心地良くて嫌いじゃない。
窓のすぐ隣には私のための「公園」があって、外の観察に飽きるとその「遊び場」で運動をした。階段を上り下りしたり、一番上の台に飛び乗ったり。時々天井に近い壁で爪を研ぐこともある。
背の高いあなたに見つかって怒られたこともあるけど「しょうがないか。習性だもんな」とすぐに許してくれた。
私に甘いあなたは、いつも出かける前にこの部屋を居心地よく整えてくれる。
清潔な砂や自由に飲める水、そして窓からの日差しが差し込む絶妙な場所に置かれたふかふかのクッション。
少しの運動で疲れた身体を横たえると、際限のないまどろみにいざなってくれるのだ。
そのローテーションを数回繰り返すと、外はすっかり暗くなっている。部屋はいつも明るくされているので怖くはない。ただどんなに頑張っても外は見えなくて、真っ黒なガラスに映る自分の顔を見るとなぜか悲しくなった。
やがてあなたが出ていったドアからガチャガチャと何かを回す音がして、私は急いでそちらに歩いて行く。
「ただいまー」と言いながら入ってくるあなたにすぐに見つけてもらえるように。
私はあなたが好き。あなたも私が好き。
この小さな部屋はとても安全で安心な場所。ふたりが一緒にいればいつも幸せだった。
昼間、あなたは私をおいていなくなるけど、不安になることはない。
だってあなたは必ずここに帰ってくるってわかっているから。
それに時々だけど、あなたが一日中一緒にいてくれることがある。
「行ってきます」が聞こえない日は嬉しくてちょっとドキドキする。
私のクッションの横に自分のクッションを並べて長い体を横たえたり、私を抱いたままソファーに寝そべって優しく背中をなでたりしてくれるのだ。
あなたの胸のドキドキを聞きながら、いつの間にか一緒にまどろむ至福の時。
「なぁ、たまには可愛い声を聞かせて?」
そう言って差し出してくる指をペロッとなめると、あなたは嬉しそうに笑った。
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