第三話『真紅』

4/9
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
 二時間前・自宅の居間にて。  「それで、事件の捜査に何か進展は……?」  「幾つかの手がかりと可能性はある程度。しかし、『真犯人』の特定には未だ判断材料が足りていません」  午前中の勤務を終えた美琴を家の前で待ち迎えたのは、金曜日の夜に事情聴取を担当した小町警察官だった。  今回は警察服ではなく、普通のOL風私服姿で再会した小町は、改めて警察手帳を提示しながら会釈してきた。  捜査担当へ正式に任命された小町が改めて訪ねてきたのは、やはり聴取が目的らしい。  「あれから娘さん……命花さんの様子はいかがですか」  「命花は元気に過ごしているわ。今朝も大学へ行きました。好きなことを自由に学べるのが楽しいみたい」  「それは何よりです。あれから娘さんは、何か思い出しました?」  小町が事件の重要参考人として、命花へ目を光らせているのは察しがつく。  母親として依然、不安と不愉快に苛まれる一方、小町から捜査の進捗情報を聞き出す好機と捉えた。  「いいえ、何も。あの夜、自分が何故駐車場にいたのか、先輩や同級生に何があったのかすら覚えていません。ところで、命花のそばにいた二人の容態は、どうですか」  事件は大々的に取り上げられたが、現時点では瑠璃山大生への私的情報(プライバシー)保護と大学生活、大学の風評への影響を配慮した報道規制が実施されている。  焼肉店事件に関わった学生の氏名と学籍は伏せられているが、SNSや過激派記者の書き込みによって知れ渡るのも時間の問題な気がした。  そういったメディア問題や社会へ落とす影響を鑑みている警察としては、早急にもっともらしい事件の真相究明、と元凶の排除による解決を望んで奔走しているのだろう。  「事件当時、二人の傷と出血はひどかったですが、早い発見と救命処置が為されたおかげで、奇跡的に二人は一命を取り留めました」  「よかった……っ」  小町の報告を耳にした美琴は心底安堵した。  一歩間違えば、娘の命花が二人の立場になっていた可能性を思えば、彼らの無事は素直に喜ばしい。  「それで、結局二人を怪我させた者は、一体何だったのですか?」  瀕死を負った二人が命を取り留めたのならば、彼らから事件の経緯と犯人の顔についても聞き出せるかもしれない。  美琴は素直な疑問を寄せるが、小町は沈着な表情で眉をひそめた。  質問に答えるべきか否か数秒思案してから、小町は淡々と口を開いた。  「我々が思うに、下山した野生動物による襲撃の線が強いでしょう。二人の首筋から胸元にかけて、人や刃物ではなく、獣がつけたとしか考えられない鋭い引っ掻き傷と噛み傷を確認できました……それに」  「何か気になることが?」  テレビでも報道された野獣下山説が濃厚だと知り、美琴は安堵と不安が半々だった。  獰猛な野獣の仕業であれば、事件は人の手で起こされたのではないため、命花への疑いは晴れる。  しかし、釈然としない表情を浮かべた小町の微妙な変化を、美琴は見逃さなかった。  「二人を治療した医師が報告したのです。出血部位の範囲と傷口を分析した結果、獅子(ライオン)の四倍もの大きさの爪と牙を備えた”動物”によるものだと分かりました……私の言いたいことは、分かりますね?」  目配せを送る小町の言葉を肯定するように、美琴は驚愕に双眸を震わせながら固唾を飲んだ。  過去数年の間、瑠璃山大学周辺に野生動物の下山、と目撃情報は確認されていない。  しかも、過去に獅子や熊、狼などの獰猛な野生動物が瑠璃山に生息しているのも、聞いたことはない。  人ではなく、”正体不明の獰猛動物”が前触れもなく下山し、人間を襲った――。  不可解な話に、美琴は改めて空寒さに震えた。  *
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!