第三話『真紅』

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 今村との話を終えた美琴は、二階の部屋で待機中の二人を呼びに行った。  階段を登る間も美琴は、事件について逡巡する。  今村には「まだ分からない」、とだけ答えた。  警察が未だ断定していない情報を、他の人に明かす段階ではない、と(わきま)えたからだ。  それに、妊娠初期にいる今村に対し、不確定な情報で余計な不安も与えたくない。  「お待たせしてごめんね、二人とも……」  命花の部屋の扉を軽く叩いて声をかけてから、美琴は入室した。  しかし、二人の姿を見た美琴は瞳を瞬かせた。  命花は絵を描いていた。  てっきり、同級生水入らずで談笑に興じているとばかり思っていた。  命花の意識と視線はカンバスと筆へ注がれ、美琴と佐藤は眼中にない凄まじい集中力だ。  せっかく菓子を土産に訪ねてくれた友人を放って、命花は普段通り絵描きへ憂き身を(やつ)しているとは。  命花の失礼な行為に呆れた美琴は、注意を促そうとした。  「ごめんなさい、佐藤君。ちょっと命花。佐藤が来てくれたから絵は後にしましょう?」  「いえ、気にしないでください。僕も絵が好きなんです。命花さんの絵は独特で自然な感じが興味深いです」  一方、命花の絵を隣から眺めていた佐藤は、嫌な表情一つもせずに微笑んでいた。  命花本人も悪気はないが、一度夢中になると周りもおかまいなしの態度を取る。  そんな命花と過ごす沈黙を、苦に感じていない佐藤の寛容さに、美琴は内心感激すら覚えた。  命花は相手との関係と状況に構わず、自分の好きなことを延々と話し続けるか、相手の話にズレた相槌を打って淡々と聴くかの両極端な意思疎通(コミュニケーション)を取る。  命花自身も、他の人とは何をどう話せばいいのかよく分からない。  常に手探り状態な他者との「何気ない会話」に困難を感じてきた。  「今描いている絵も、迫力があって惹かれるものを感じます」  命花が自閉スペクトラム症だと知った佐藤は、彼女の異質な雰囲気と言動をすんなり受け入れていた。  他の同年代の若者みたいに命花を馬鹿にしたりせず、むしろ尊重的だ。  佐藤の誠実で寛容な態度に、美琴は深い好感を抱きながら、命花のカンバスを覗きこんだ。  「命花、何を……描いているの?」  ソレはあまりに異様だった――。  暗い森色の長毛で全身を覆い、頭部からは巨大牛(ガウル)の湾曲した両角を生やし、獅子の肥大化した鋭いツメと牙を剥き出している獣。  一際目を惹くのは、闇に浮かぶ火の玉さながら不気味な”黄金の目玉”だった。  無垢でありながら冷たい光を灯す双眸は、こちらを虎視眈々と窺っているよう。  今にも、噛み殺さんとばかりの迫力に満ちていた。  命花は、無心になって筆を踊らせている。  「じょうずにかけているかな? ――」  聖なる闇の獣を呼ぶ命花の声と眼差しは、恍惚と甘い光に揺らめいていた。   *
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