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真っ暗くて狭い静寂は好き。
昼の太陽に温められた後、夜月にひんやりと涼しくなった花畑みたいに柔らかな夢心地のものさえあれば完璧。
そしたら、大いなる自然の存在に抱擁されているような安らぎに、身を沈められる。
ゆっくり瞳を閉じれば、美しくて懐かしい故郷――本来、自分のいるべき世界が見える。
生まれた時からずっと、そんな感覚を抱いてきた。
今ここに在る自分は、この世界の住民ではない。
生まれながらの異形の精神の持ち主だ、と。
幼い頃は自覚すら抱いてなかった分、毎日ひたすら戸惑いながら常に手探りに生きなければならなかった。
人の顔が見えないまま、どうやって相手が誰で、今どんな気持ちでいるのか分からないといけないのだ――と世界に厳しく教えられた。
嘘だと分かっていながら、悪いことだと知っていながらも決して口にしてはいけないと教えられた。
自分が好きじゃないものを好きだと言い、好きなものを嫌いと言わないといけない事もあると教えられた。
他の子どもは、実に見事なまでにその心の技術を獲得するのだが、私は未だにどうしてもできない。
やってみたとしても、猿真似さながら稚拙でみっともない、出来が悪いのだ。
それでもいいよ――。
ヒトの心が分からないと言われた自分でも、それは本心だと分かる言葉を贈ってくれた大好きな『あのヒト』を想う。
繰り返しの世界を生きる自分は、四六時中あのヒトを繰り返し思い描く。
もはや、呼吸と同じくらい大切で付き纏う存在なのだ。
首元から揺らめく瑠璃石を、指先で摘んで眺める。
星海のように艶めく瑠璃石は、太陽か花に似た不思議な形をしているのが可愛らしい。
物心ついた頃から肌身離さず大事に持ってきた首飾りは、自分と優しい世界、そしてあのヒトを繋ぐ大切な臍の緒と似ている。
「もうこんな時間……」
一枚の真新しいカンバスに色を描いていた途中、携帯端末に設定していた時限装置が鳴った。
今日は午前八時〇分に今村洋子が迎えにくる。
午前八時二十五分発・瑠璃華大学前駅行きの電車に乗り、午前九時〇分開始の一限目「基礎心理学I」の講義を受けにいく。
予定通りに事を進ませるには、三分後の七時三十分から十五分以内に朝食を済ませる必要がある。
出来れば、このまま延々と筆を走らせ続けたい欲を何とか抑え、水彩盆の蓋を静かに閉じた。
「おまたせ。ごはんにしよう? エルゥ」
天野命花は無邪気に呟くと、パタパタと階段を降りて行った。
淡い若草色や薄水色の絵具が飛び散った、乳黄色の野暮ったい長衣も脱がないまま。
窓風にゆらめく萌黄色の窓掛け布を背後に佇むのは、一枚のカンバス。
清明な森の緑に艶めく長い髪と両翼を生やした天使は、背を向けて天を仰いでいた。
何かを哀しげに呟いている寂しげな唇を覗かせて。
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