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第124話 俺を救ってくれたのは――
「私を……否定?」
「う、うん……ごめん。この話は……本当はエヴァにするつもりはなかったんだけど……」
アランが、もの凄く気まずそうに私から視線を外している。
もしかして、これがマリアが言っていた、アランがバルバーリ王国に渡った個人的な事情なの?
以前の私なら、彼の言葉のまま受け止めて、ショックを受けていたかも。そう考えると、アランが胸の内に秘めておこうと思ったのも納得がいく。
でも、実際エルフィーランジュの人格に引っ張られそうになった今の私には、彼の言っている意味や恐れが分かる。
だから、アランの罪悪感を少しでも和らげたくて、平気だと微笑んで見せた。
「気にしないで。私もあなたの気持ち、少しは分かるから」
「ありがとう、エヴァ」
アランの表情から申し訳なさが消えた。代わりに、彼の手がそっと私の手と重なり、真剣な眼差しが向けられる。
「もちろん、今はそんなこと微塵も思っていないよ。忘れないで? 俺がどれだけエヴァのことを想っているかを……」
突然想いを告げられ、心臓が跳ね上がった。
両想いになりいずれ夫婦になる関係だというのに、真っ直ぐに想いを告げられると、未だにドキッとさせられてしまう。
大変なときだとは分かっていても、頬に上がってくる熱を止めることはできない。
そんな私の変化に気付いたのか、アランが少しだけ意地悪く笑ったのが、ちょっと悔しい。
「もちろん、当時第三王子だった俺が、クロージック家に向かうことは反対されたよ。俺を引き止めたかった父は、どうしても行くなら王位継承権を捨てていけとまで言ったんだけど……」
「アランのお父さまの思惑は、外れてしまったのね?」
「ああ。その場で王位継承権破棄を申し出ると、すぐにバルバーリ王国に発ったんだ。さすがに一人では行かせられないから、歳の近いマリアが護衛としてついて来ることになったけどね」
その後、ルドルフの手助けもあり、アランとマリアは無事クロージック家で働くことが決まった。
そして――
「エヴァと……出会ったんだ」
彼がクロージック家にやってきたのは、私が十二歳のとき。この時の私は、すでに使用人に落とされ、働かされていた。
だから、挨拶にやってきたアランに、私がクロージック家の長女であることを告げると、一瞬だけ驚いた表情を浮かべたっけ。だけどすぐさま私の前に跪き、公爵令嬢としてとても丁寧な挨拶をしてくれたのを覚えている。
これから使用人として働く人間だとは思えないほどの、綺麗な所作で。
「アランは、初めて私を見てどう思ったの?」
何気なく訊ねると、再びアランは気まずそうに目を逸らした。
え? な、何かしらこの反応……
私、何か悪い印象でも与えていた?
必死になってあのときのことを思い出していると、逆に彼が訊ねてきた。
「エヴァは、俺を見てどう思った? 俺が怒ってるとか怖いとか、思わなかった?」
「え? 思わなかったけれど? むしろとても丁寧に挨拶してくれて、嬉しかったわ」
「そ、そっか、よかった……」
ふうっと安心したようにアランが息を吐くと、ちょっとだけ口元に苦笑いが浮かんだ。
「初めてエヴァを見たとき、正直……妬ましかったんだ」
「妬ましかった? わ、私、アランに何かしちゃった?」
「違うんだ‼ エヴァには前世の記憶がなかった。だからあのとき、今までずっと前世の記憶で苦しんできた俺とは違い、何の苦労も知らないかのような満面の笑みで俺たちを迎えてくれたエヴァを見たとき、腹が立ったんだ。エヴァが辛い境遇にあることは報告されていたけれど、俺に比べれば、ずっとずっと恵まれていたんじゃないかって……」
何の苦労も知らないかのような満面の笑み、かぁ。
当時、どれだけマルティたちにこき使われていたかを思い出し、心の中でちょっとだけ笑ってしまう。
だけどアランの考えは、クロージック家で働き、私への扱いを目の当たりにするにつれ、変わっていったんだという。
むしろ、疑問すら湧いた。
私は何故、クロージック家を滅ぼさないのだろうと――
「あれだけ酷い扱いを受けていれば、誰だってクロージック家を強く憎むようになる。だから俺は当初、クロージック家は遅かれ早かれ、エヴァによって滅ぼされると思っていたんだ」
「え? 私のこと、そんな風に思ってたの?」
「誤解しないで‼ 始めだけだから! 今は全くそんなこと考えてないからっ‼」
「ふふっ、大丈夫よ、ちゃんと分かってるから。だからそんなに不安そうな顔しないで?」
こちらに向かって身を乗り出したアランを押し止めると、私は安心させるように笑って見せた。眉間に皺を寄せ、縋るような瞳で私を見つめていた彼の表情が安堵に変わる。
ふうっと小さく息を吐くと、アランは遠くを見た。何かを思い出しているのか、彼の口元に柔らかな笑みが浮かびあがる。
「でも実際は、そうはならなかった。時々、マルティのお茶会に間に合いたいというエヴァの些細な願いを叶えるため、精霊がマルティにちょっかいをかける程度で、君が憎しみで家を、国を滅ぼすことは決してなかった」
真っ直ぐこちらを見つめる熱を帯びた青い瞳が、私をとらえて離さない。
「純粋に凄いと思ったよ。環境を憎む要因は揃っているはずなのに、周囲に笑顔を、優しさを与え続けるエヴァの態度がね。俺は長い間、前世の記憶に苦しめられてきた。でも、家族や周囲にはとても恵まれていた。それなのに……自分だけが辛いと、境遇を憎み続けたんだ。初めて……自分を恥じたよ」
「そんなこと――」
ない、と言おうとしたけれど、彼の強い眼差しがそれを拒む。
「君の強さは本物だった。俺に向けてくれる笑顔が、眩しくて堪らなかった。自分も辛くて堪らないはずなのに、与えてくれる優しさが温かかった。気づけば俺は、エルフィーランジュではなく、エヴァ・フォン・クロージックに堪らなく惹かれていたんだ。君の存在を否定するために、やってきたはずだったのに……」
そしてある日、私がこっそり泣いているところを見てしまう。
このとき、アランがかけてくれた言葉が、今世の私を支えてくれる大切なものになるとも知らずに。
「エヴァの涙を見たとき、心の底から思ったんだ。何としてでも守りたいって。君にはいつまでも笑っていて欲しいって。このとき初めて俺は、愛する人を守りたいというルヴァンの気持ちを、本当の意味で理解することができた。だからこそ、彼の気持ちと向き合おうと決意したんだ」
その後、アランはルヴァン王の声を――ソルマン王やバルバーリ王国への憎しみを、エルフィーランジュや娘であるティオナへの想いを、ずっとずっと聞き続けた。
そして気付く。
「ルヴァンが最も憎んでいたのは、自分自身だってことにね」
「じぶん、じしん?」
「……ああ。エルフィーランジュを死に追いやったのは、ルヴァンが彼女を現世に引き留めたからだって、ずっと後悔していた。そんな自分を一番憎んでいたんだ」
「後悔って……そんな……」
「それを見て思ったんだ。ルヴァンは……エヴァを守り切れなかったときの俺の姿でもあるんだって」
だから、アランはルヴァン王を受け入れた。
もう二度と同じ過ちを繰り返さないと誓い、今世の精霊女王を幸せにするために力を貸して欲しいと伝えた。
今度こそ、愛する人を幸せにしようと――
「俺がルヴァンを受け入れたことで、ようやく前世の記憶による苦しみから解放されたんだ」
まあ未だに、彼の人格に引っ張られることはあるけどね、とアランが笑って付け加えた。
その笑みを見つめていると、心に浮かんだ言葉が口を衝いた。
「凄いわ、アラン。あの苦しい記憶を乗り越えることが出来たなんて、本当に……」
「そんなことないよ。俺は始め、前世の呪縛から逃れ、自分を取り戻すために、クロージック家にやってきた。だけど、存在を否定しようと思っていた君を愛したことで、俺は自分を取り戻すことができたんだ。俺を本当に救ってくれたのは――」
アランの顔が近付いたかと思うと、彼の胸に抱き寄せられた。耳元に寄った唇が、優しさと温もりに満ちた言葉を吹き込む。
「エヴァ、君だよ」
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