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第125話 ティオナの軌跡
嬉しかった。
ただただ、嬉しかった。
クロージック家でずっと虐げられ、家族から、元婚約者から、私を取り巻く周囲の人々からも、
言葉で、
表情で、
態度で、
無能力者の私には価値はないのだと言われ続けた。
できるだけ前を向こうとしてきたけれど、皆から存在を否定されることの辛さは、少しずつ私の心に積み重なっていった。
だけど無価値だと言われてきた私の存在が、愛する人を救っていたのね。
クロージック家で苦しんだ日々が、報われた気がする。境遇を憎む代わりに笑顔を浮かべ、前を向き続けた意味があったんだって。
そして前世の縁だけでなく、今世の私を――エヴァとしての私を愛してくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
喉の奥が詰まって声が出せない私を、アランが強く抱きしめる。優しく、心地の良い声が、耳の奥をくすぐった。
「だから、もっと自分に自信をもって。エヴァは自分が思っている以上に、ずっとずっと凄い人間なんだから。皆、君のそんな人柄を愛しているんだからね」
彼の言葉に、真っ先に思い浮かんだのは、マリアの笑顔だった。
私のこと、精霊女王だからではなく、人柄が好きだって言ってくれていたわ。
それに、大切な妹だとも――
マリアの笑顔をきっかけに、ルドルフやイグニス陛下、エスメラルダ王妃殿下、それにフォレスティ城でお世話になった人々の顔が浮かんで消えた。
心の奥に温かさがジワッと広がり、自然と唇が緩む。
「ありがとう。そう言って貰えて、本当に嬉しいわ」
「でも忘れないで? その中でエヴァを一番愛しているのは、俺だから」
その言葉とともに頬に彼の唇が触れ、ゆっくりと離れていった。
一瞬にして、全身の血液が顔に殺到する。
これ、絶対耳まで真っ赤になってるやつ‼
私がこうなるのを分かっていてやってるわよね?
確信犯よね⁉
と、心の中で叫びはしたけれど、彼の言葉がからかいでなく、本心から出たものだと分かっていたから素直に頷き……だけど一人だけ恥ずかしさに翻弄されているのがちょっと悔しくて、緩みそうになる唇を真一文字に結びながら、上目遣いでアランを見た。
視線が合うと、青い瞳が僅かに瞠った。
そして私を抱きしめていた腕を解くと、右手で口元を押さえながらボソッと、
「……ほんっと、反則過ぎ」
と呟いていた。
未だにアランの言う【反則】という意味が分からないけれど、何だか、勝った感があるのは私だけ?
だけど浮ついた気持ちは、自分の両手に視線を向けると消え去った。ドクドクと伝わってくる血の流れを感じながら、ゆっくりと口を開く。
唇から零れた声色は少し掠れ、泣きそうだった。
「精霊女王が、こうして存在しているということは……ティオナは……生きていたのね」
「……ああ、そうだよ」
アランの声も掠れていた。
精霊女王は血を残すと、代々の長女の血筋――ティオナが産んだ長女が成長して結婚し、長女を産み、その子も結婚して長女を産み、という形で続く血筋の中――から産まれた女児にしか転生できなくなる。
つまり、精霊女王の生まれ変わりである私が存在するということは、ティオナの血が今まで守られてきたことに他ならない。
三百年前、エルフィーランジュはソルマン王の妻から、ティオナは死んだと聞かされていたけれど、きっとそれは、彼女の心を折るための嘘だったのね。
それなら、恐ろしいほど罪深い嘘だわ。
もしこの嘘がなければ、ルヴァン王はティオナを救う為に、自死を選ばなかったはずだから……
そう思うとやるせない気持ちとともに、怒りが湧いた。
私のお父さまが信頼できる人間だと判断したルドルフは、お父さまに全てを打ち明け、三百年前に何があったのか調べようとしてくれたみたい。
「三百年前のことだから、憶測ではあるけれど、恐らくソルマンはエルフィーランジュの死後、クロージック家にティオナを育てるように命じ、その対価として、当時伯爵だったクロージック家に公爵を与えたんだと思う」
驚くことに、バルバーリ王家と結んだ盟約は、クロージック家で生まれた無能力者の女児を、王家に嫁がせるだけではなかった。
ティオナの血を引く長女の血筋を、どんな手段を使ってでも決して途絶えさえないことも、含まれていたのだという。
「ソルマンは、ティオナの血を受け継ぐ長女たちの中に、いずれエルフィーランジュが生まれてくることを知っていた。だから長女の血筋をクロージック家に管理させ、彼女が転生した際、王家に――新郎の肉体を乗っ取った自分に嫁がせようとしたんだ」
「つまり、クロージック公爵家が存在する理由は、エルフィーランジュを生み出すためだったのね……」
「そういうことだね。まあ、ソルマンがクロージック家に、精霊女王の存在まで伝えてたかまでは、今となっては不明だけど」
伝えていたとしても、途中で失われたのかもしれない。バルバーリ王家が、クロージック家と盟約を結んだ理由を失ったように。
でもクロージック家は、盟約を忠実に守り続けた。
だから私が――エヴァ・フォン・クロージックが存在している。
ティオナが生きていたのは、とても嬉しい。
嬉しいけれど、
「ティオナは幸せに……生きられたのかしら?」
正直、生きていたと素直に喜んで良かったのか不安だった。
もしティオナ自身が、死んだ方がいいと思うような人生だったらと考えると、心が何かに掴まれるような苦しさを覚える。
アランは私を一瞥すると不意に立ち上がり、部屋の本棚から一冊の本を持ってきた。
薄さと描かれている絵柄を見る限り、子ども向けの絵本みたい。カラフルな色使いでありながらも柔らかな絵柄に、心が和む。
タイトルから、精霊と少女の冒険物語らしいことが窺えた。
でもこの絵本が一体どうしたのかしら?
「ルドルフも、エヴァの存在からティオナが生きていたことに気付いてね。君のお父さんに全てを話した後、ティオナのその後について調べてくれたんだ」
そう言って、アランが絵本の原作者を指さした。
名前は――
「ユニス・ラド・ヴァルク? この人は一体……」
「ティオナの孫だよ」
「え⁉︎」
私は原作者名を二度見した。
アランが言うには、ユニスはティオナの娘が産んだ子どもたちの末っ子で、今は廃絶しているフォレスティ王国のヴァルク家に嫁いだらしい。
「ほら見て、ここ」
アランが最後のページを開き指をさした。
それはあとがきだった。この本をかくに至った経緯が書かれている。
読みすすめていくにつれて、目の奥が熱を帯びた。喉の奥が詰まり、言葉にならない声が洩れそうになったのを、口元を両手で押さえて堪えた。
代わりに双眸を閉じると、一筋の涙が頬を伝った。
ここに書かれていたのは、ユニスによって書かれたティオナの軌跡だった。
ティオナは、幼い頃から精霊を愛していた。
精霊を敬い、霊具とギアスを嫌っていたクロージック公爵夫人の影響もあり、精霊の悲鳴が響き渡るバルバーリ王国の中で、どうにか彼らの苦しみを取り除けないかと、精霊について勉強をし続けたらしい。
結局ティオナは目的を果たせなかったけれど、得た知識は、自分の子や孫達に、物語として伝わっていった。ユニスも幼い頃からティオナに精霊の話を聞き、その結果がこの本になったらしい。
そして、子どもたちとその孫たちに囲まれながら、ティオナは静かにその生涯を閉じたのだという。
『祖母は精霊の物語を語るとき、とても生き生きしていた。本当に精霊を愛していた。精霊魔法を使うと、幸せな人生だったと語る祖母の笑顔を思い出す』
と――
「きっと、クロージック家で大切に育てられたんだね。そして幸せだったと孫に言えるくらい、充実した人生を送ったんだ」
「あっ……あぁっ……」
涙が溢れて止まらなくなった。
遠い遙かな記憶の中で、ティオナを初めて腕に抱いたことを思い出した。
幼い我が子を、守ってあげられなかった。
両親であった私たちは辛い最期だった。
だけどティオナは……娘だけは幸せに生きた。
自分の人生に満足しながら、一生を終えることができた。
それだけでもう、充分――
「アラン、ごめんなさい……自分のことじゃないって分かってても……涙が、止まらないの……」
「泣いていいんだよ、エヴァ。俺だってこれを見つけたとき、涙が止まらなかったから……」
「よかった……ほんとうに、ほんとう、に……ティオナ……」
アランにしがみ付きながら、私は声をあげて泣いた。
自分の経験じゃないのは分かっていたけれど、泣かずにはいられなかった。
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