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第150話 私のお姉さん
ソルマンによって引き起こされた戦いは、フォレスティ王国の勝利で終わり、私たちは一度、王都に戻ることになった。
とはいえ、バルバーリ王家が降伏していないため、戦争自体は終結していない。
まだ警戒を解くわけにはいかないため、この地域の防衛をウィジェル卿に任せ、一部の兵士達を護衛として引き連れて、私たちは戦場を後にした。
フォレスティ城に戻り真っ先に通されたのは、イグニス陛下の寝室だった。
オドを奪われた陛下は、この部屋で眠り続けていた。
私もここに通い、ずっと傍で付き添われていたエスメラルダ王妃殿下が見守る中、陛下の容体がこれ以上悪化しないよう精霊たちに祈ったのを思い出す。
だけど暗い記憶は、ご夫妻の優しい眼差しによって消え去った。
イグニス陛下は、長い間寝たきりだったため、随分と痩せてしまわれていた。
でも心はお元気なご様子で、力ある青い瞳が迎えてくださった時には、アランとノーチェ殿下が目に見えて安堵していた。
「私の軽率な行動が、皆に迷惑をかけてすまなかった」
話しやすいようにと少し身体を起こされたイグニス陛下が、私たちに向かって頭を下げられた。
ソルマンに襲われたアランを助けるため、単身飛び出したことを、酷く後悔されているみたい。
頭を下げる陛下に、アランが自責の念を滲ませる。
「兄さんは悪くないっ! 俺がソルマンに捕まったのが悪いんだ!」
「だがお前を助けるにしても、他に方法はあったはずだ。得体の知れない、最も警戒すべき相手に対し、私は最も意味のない方法を選んでしまったのだから」
「で、でも、俺が兄さんの立場でも、同じことをしたはずだよ」
「私は、この国を背負っている立場だ。同じであってはならない。その結果、お前達には、一番大変な戦いを任せることになった」
「そんなこと、俺がバルバーリ王国にいる間、この国を守ってきた兄さんの苦労に比べたら――」
「はいはい、二人ともそこまで」
アランの言葉に被せるように、ノーチェ殿下の声と手を打つ音が響いた。二人の視線を一身に受けつつも間に割って入ると、ご自身の両手を腰に当て、どこか呆れた表情で陛下を見下ろす。
「終わったことを、ああだこうだ言っても仕方ない。ソルマンは消滅し、兄さんは無事目覚めた。反省すべき点は次に生かせば良い。だからこの話はもうおしまいだ」
そこまで一息で仰ると、ノーチェ殿下は一度言葉を切った。そして表情を一変、陛下から気まずそうに視線を逸らすと、吐き出す息に弱々しく言葉を乗せた。
「……ま、自分も、国を兄さんに任せて自由にさせて貰っていたから、このくらいはしないとな」
「全く以てその通りだ」
「確かに」
「いや、何でそこの意見はピッタリ合うかなぁ……」
突然悪者にされ、ノーチェ殿下は罰が悪そうにそっぽ向かれた。
その反応に、アランとイグニス陛下が噴き出し、二人に釣られるようにノーチェ殿下も遅れて笑う。
部屋に響く明るい笑い声が、先ほどまでのあった重々しい空気を軽くした。三人が心の底から笑い合う光景に、自然と笑みが零れてしまう。
「エヴァ」
不意にイグニス陛下に呼ばれたかと思うと、深々と頭を下げられた。戸惑っている私に優しく微笑みかけながら、一語一句噛みしめるようにゆっくりと話し出された。
「あなたには感謝してもしきれない。これまでのことは全て、報告を受けている。私だけでなくフォレスティの民を、いや――この国の未来を救ってくれて本当にありがとう」
「い、いえ! フォレスティの皆さんが命を懸けて頑張ってくださったから、成し遂げられたのです! そのお言葉は、この国のために戦った皆さんにかけて頂きたく存じます」
そう。
私の力だけじゃない。
私が力を取り戻すまで、たくさんの人々が命を懸けて戦ってくれたのだから。
「だけど本当に良かったです。陛下が無事目覚められて……」
「ああ。あなたも、精霊女王として本来もつ全ての力を取り戻せて良かった。そこに辿り着くまで、恐らく、とても辛い思いをしたと思うが……」
イグニス陛下が、表情を曇らせながら言葉尻を濁された。
確か、フォレスティ王家の一部の人々に、ルヴァン王やエルフィーランジュの死の真実が伝わっていたはず。
きっとそのことを気にしていらっしゃるのね。
だけど私は、大丈夫。
隣にいるアランをチラッと見ると、優しい眼差しが返ってくると同時に、彼の手がこの手に触れた。
互いの指が絡み合い、ギュッと強く握り合う。
その温もりが心地よくて、自然と口角が上がる。
「全てを知ったからこそ、私の大好きな人々を、国を、守ることが出来たのです。確かに前世の記憶には辛いものもありました。ですが……全てを取り戻したことに後悔はありません」
「……そうか。なら良かった」
イグニス陛下は小さく微笑むと、アランの方を見た。
まるで何かを問うような陛下の視線に、アランが力強く頷き応えると、納得したように頷き返された。
さて、と陛下が場を仕切り直す。
「充分休ませて貰ったからな。皆に任せていた分、これからしっかり働かせて貰うよ」
そう仰いながら首や肩を回された。
アランが口角の肩端を持ち上げ、声色に嘲笑を滲ませながら答える。
「もうあの国は虫の息だよ」
その言葉に、鳩尾辺りが重くなった。
というのも、精霊を閉じ込めるためにバルバーリ王国を囲っていた結界が、ソルマンが消滅したことで消えてしまい、国内に残っていた僅かな精霊たちも逃げてしまったのだ。
さらに私が、この世界に存在する全ての霊具の消滅を願ったことで、バルバーリ王国は精霊魔法をも失った。
精霊を失ったあの国が、今後どうなっていくかは……想像に難くない。
バルバーリ王家が、早く降伏を選んでくれればいいんだけれど。
ただでさえ、ソルマンが引き起こした戦争で、バルバーリの民も疲弊しているというのに。
「エヴァ、心配しなくてもいい。できる限り早く戦争が終わるよう尽力する」
「そうです。元々は、ソルマンが勝手に引き起こした戦争。バルバーリ王家的にも、これ以上戦争を長引かせて、被害を大きくしたくはないでしょうから」
「ありがとうございます、イグニス陛下、ノーチェ殿下」
私は、深々とお辞儀をした。
お二人のことだもの。仰ったことを、間違いなく実現してくださるはずだわ。
「早速、バルバーリ王国に降伏勧告を出す準備をしなければな。ノーチェ、アラン、手伝え。決めなければならないことが、山ほどある」
イグニス陛下のお言葉に、ノーチェ殿下とアランの表情が真剣なものへと変わった。
今までバルバーリ王家の者から見ることのなかった、国を守る責任と自信に満ちた、力強い表情だった。
これから三人が話し合うということで、私とエスメラルダ王妃殿下は、話し合いの邪魔にならないよう部屋を出た。
寝室のドアが閉まると同時に、王妃殿下が私に向かって深く頭を下げられた。
今まで聞いたことのないか細い声が、慌てる私の頭をスッと冷やす。
「……本当に……ありがとうございました、エヴァさん。あの人を……救ってくださって――」
顔を上げられた表情は一国の王妃ではなく、愛する人の身を案じる一人の女性だった。
お辛かっただろう。
しかし王妃殿下が動揺し悲しみを表に出せば、民を不安にさせてしまう。
だから、毅然とした態度をとり続けていた。
心の奥底では、不安で不安で堪らなかったはずなのに――
「……いいえ。王妃殿下の強い想いが、陛下を救ったのだと思います」
時間が許す限り、陛下のお側にいてその手を握っていたエスメラルダ様の姿を思い出しながら、私は微笑んだ。
王妃殿下と別れて自分の部屋に戻ると、部屋の前に人影があった。
(あれは……マリア?)
ちゃんと顔を合わせるのは、私がソルマンと対峙するために別れた時以来だわ。
戦いが終わった後も、マリアは色んな後処理で奔走していて、ゆっくり会う時間がとれなかったから。
彼女の元に向かう足が、自然と速くなる。
「マリア!」
「エヴァちゃん!」
マリアは弾かれたように顔を上げると、一直線に走り寄り、私の身体を強く抱きしめた。
抱きしめる腕から伝わってくる力強さと震えが、彼女の心配を言葉なく物語る。
アランたちとともに、私を守り続けてくれていたマリア。
いつも明るくてお茶目で元気で、恋愛の相談にも乗ってくれる心強い相談役。
そして私のことを大切な妹だと言ってくれた、優しくて強い――私のお姉さん。
「エヴァちゃんの活躍、見てたわ。本当に、ほんとう、に……よく頑張ったわね……」
「そんなことないわ。皆が頑張ったからよ。私はただ――」
自分ができることをしただけ、と続けようとする前に、マリアが抱きしめる力を強くした。
まるで、それ以上言わせないように――
「確かに、皆頑張ったわ。だけど……エヴァちゃんも凄く凄く頑張ってたの、お姉さんは見ていたんだから。怖かったはずなのに一人で立ち向かって……本当に凄いわ、エヴァちゃん」
「……ありがとう、マリア。私……頑張ったって言って、いいの、かな?」
「もちろんよ。さすが、私の自慢の妹ね……」
これ以上の言葉は、喉の奥で声が詰まってしまったせいで出なかった。
代わりに瞳を閉じ、マリアの身体にギュッとしがみ付いた。
長年、私の心を蝕み続けた自身を卑下する気持ちが、マリアの優しい言葉によって溶けていく。
それは、瞳から大きな滴となって零れ落ち、地面に染みを作って、やがて消えていった。
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