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第154話 エピローグ②
ソルマンによって破壊された精霊宮は、ほぼ元通りに再建され、以前と変わらない神聖な空気が流れていた。
正面の扉が開き、私は紺色の布が敷かれている道の上をゆっくりと進んでいく。介添人がいるとはいえ、足を踏み出す度に長いドレスの重みを嫌というほど感じる。
こんな長いドレスもベールも初めてだから、踏んで転ばないようにしなくちゃ……
両手にブーケも持っているから、危ないものね!
絶対に転ばないを心に強く誓いながら視線を前に向けると、フォレスティ王家の方々や、王家に関係する他国の賓客たちが左右に分かれて並んでいるのが見えた。
皆の視線を感じながら、ゆっくりと彼らの横を通り過ぎていく。
先頭には、
(イグニス陛下とエスメラルダ王妃殿下、それにノーチェ殿下もいらっしゃるわ)
知らない中に見知った顔を見つけ、緊張しっぱなしだった心が少しだけ緩む。
イグニス陛下とエスメラルダ王妃殿下が微笑みながら、こちらを見つめていらっしゃる。
心から祝福してくださっているのが、とても伝わってきて、思わず口角が上がってしまう。
それはそうと……
(ノーチェ殿下はなぜ、目が真っ赤なのかしら……)
花嫁が入場している時点で、もうすでに感極まったような表情を浮かべられているのだけれど。時折口元を手で押さえ、肩も震えていらっしゃるし……
身内の結婚式で嬉し泣きされる方はいると思うけれど、はっ、早すぎませんか?
イグニス陛下がノーチェ殿下を見て呆れた表情をされているし……
再び前に視線を向けると、等身大の精霊女王像の前に祭壇があり、光沢を放つ青い生地に、金色の装飾が施されたローブを身につけたルドルフが立っていた。
フォレスティ王国では、婚姻誓約書に署名することで夫婦になれる。
でも、その誓約を精霊女王像の前で交わすようになってからは、王族の結婚式の進行は王宮精霊魔法士長が行うようになったのだという。
ルドルフの前には――黒の婚礼衣装を身にまとったアランが、こちらを振り返りながら待っている。
ど、どうしよう……
ベールで視界が若干遮られているのに、その格好良さや輝きが、容赦なく目に飛び込んでくるんですけど!
この距離からでも、もうすでに心臓がバクバクしてるし、式が始まる前からもう一杯一杯過ぎるわ‼
緊張と焦りと、恥ずかしさと歓喜で心がぐちゃぐちゃになりながらも、身体は勝手に前へと進み、何とか無事アランの元へ辿り着いた。
隣にいる彼をチラッと見る。
……表情が若干強張っているような気がする。
アランも緊張しているのかしら? 隣に来てから、全く私の方を見ないし。
いえ、今こちらを見られても、私の方が一杯一杯すぎて、目を合わせられないのだけれど。
ああ、もうっ!
きっと彼の花婿姿はすごく素敵だとは予想していたけれど、ここまでとは聞いてないわ‼
派手に散らかった私の心とは正反対な静けさの中で、結婚式が始まった。
世界の根幹たる精霊と精霊女王に感謝を伝え、新たに生まれる夫婦の未来を見守り導くよう願う、ルドルフの朗々とした声が空間に響く。
それを聞きながら、今までのことを思い出していた。
クロージック公爵の一人娘として生まれた私は、精霊魔法が使えなかった。
父はそんな私を、大切にたくさんの愛をもって育ててくれた。
幸せだった。
だけど父が亡くなり、私の生活は一変。
育ての両親からは虐げられ、義妹と婚約者には見捨てられ、冤罪をかけられて追放か奴隷として一生を送るかの選択を迫られた。
苦しく、辛い日々だった。
でも私は一人じゃなかった。
ルドルフやマリア、アランがずっとずっと陰ながら助けてくれていた。
フォレスティ王国に来てからは、たくさんの人が私を助けてくれて、故郷では得られなかった人の優しさと温かさに触れた。
虐げられた過去だけじゃなく、私を縛り続けていた前世の因縁にも、決着を付けることができた。
一人じゃ……決して乗り越えられなかった。
今まで私を助けてくれたたくさんの人々の顔が思い浮かび、消えていく。
皆から与えられた温もりを、私の心に灯しながら――
ルドルフの祈りが終わった。
お付きの方が、ルドルフにクッション型の赤い台座を手渡す。ルドルフは軽く頷くと、それをもって私たちの前にやって来た。
差し出されたのは、一組の結婚指輪。
両方ともに大きな宝石――フォレスティの星が煌めいている。キラキラとしたその輝きは三百年前、ルヴァン王からエルフィーランジュに結婚指輪として贈られた時の幸せな記憶を思い出させた。
「指輪の交換を」
ルドルフに言われ、私は両手の手袋とブーケを介添人に預けると、初めてアランと真っ直ぐ向き合った。
青い瞳が私を見下ろす。
それだけなのに緊張とは違う意味で鼓動が加速し、首当たりが熱を帯びる。
この鼓動の速さ、本当に大丈夫?
後々、身体の不調に繋がらない?
アランが私の手を優しくとると、指輪をはめてくれた。
私の左手の薬指に、光が灯る。
とても……とても綺麗。
「エヴァ」
アランが左手を差し出した。
彼の手をとり、私と同じ――だけど大きな指輪をゆっくりと薬指にはめた。
私と同じ光が彼の薬指に宿ったのを見て、胸の奥がくすぐったくなった。口元が緩むのが抑えられない。
だってこの光は私たちの指に、宿り続けるのだから。
この先、ずっと――
少しかがむと、アランが私の顔を覆っていたベールを上げてくれた。
今まで薄く視界を遮っていた物が取り払われ、目の前がハッキリする。
そうなると、ますますアランの姿がよく見えるようになるわけで……
今私、どんな顔しているんだろう。
ドキドキして目を合わせるのも苦しい気持ちが、顔に出ていなければいいんだけれど。
それに比べてアランは余裕そう。
だけど何かしら、さっきから気になるこの違和感は。
(……あ)
指輪を交換した時を除き、ずっと私と目が合っていないんだわ。
やっぱり緊張しているのかしら?
アランって何でもそつなくこなすっていうイメージがあったから、何だか意外かも。
不思議に思いつつも、私たちはルドルフに促され、祭壇の上に置かれた誓約書にサインするために前へ出た。
金貼りされた豪華な誓約書には、私たちが夫婦であることを認める文章、そしてフォレスティ王家の紋章、その下に新郎新婦と結婚の証明人の署名欄が続いている。
ここに全ての名前が入れば、晴れて私たちは夫婦となるのね。
ずっとずっと夢見てきたことなのに、いざ実現一歩手前になると緊張してしまう。
アランは本当に私と結婚していいのかと、ふと不安に駆られる。
だけどその不安は、ペンを手に取ったアランが、一瞬の躊躇もなく署名をしてしまったことで消え去ってしまった。
なら私も……緊張している場合じゃない。
大きく息を吐き出すとペンを握る。
クロージックの家名を表立って名乗るのは、恐らくこれが最後。それを噛み締めるように、一文字一文字を大切に書いた。
イグニス陛下も証人欄への署名を終えられると、誓約書を確認したルドルフが婚姻が無事結ばれたことを宣言し――次の瞬間、割れんばかりの拍手が精霊宮内に響き渡った。
新たに生まれた夫婦を祝して――
「エヴァ、行こうか」
すっかり賑やかになった会場の中でも、アランの声はハッキリと聞き取ることができる。
彼とともにルドルフに頭を下げると、ルドルフは目尻を下げて応えてくれた。
ブーケを受け取り、今度は来賓に向き直ってお辞儀をすると、アランと腕を組み二人で並んで歩き出す。
式中は色々と一杯一杯だったから、夫婦になった実感があまり湧かなかった。
けれど、入場のときは一人で歩いた道を今、二人で歩いていると思うと、じわりと湧き出た喜びが、ゆっくりと身体全体に広がり満たしていくのを感じていた。
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