第34話 イグニスとアラン(別視点)

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第34話 イグニスとアラン(別視点)

「エヴァの様子はどうだ?」 「落ち着いたみたいだ。今は、部屋で眠っているよ」 「そうか……」  イグニスはホッと息を吐き出すと、立ったままだったアランに椅子を勧めた。  ここはイグニスの自室。  完全なプライベートスペースなため、護衛も侍女も、呼び出されない限りこの部屋には入ってこない。  そんな他人を排した部屋の中に、アランは呼び出されたのだ。  勧められた椅子に腰をかけると、アランはテーブルに肘をつきながら、兄と同じように息を吐き出した。その表情には少し疲れが見えたが、肉体的な疲れではなく心労からくるものだ。  少しの間の後、イグニスが口を開く。 「改めてだが、アラン、おかえり」 「ただいま、兄さん」  姿勢を正すと、アランは微笑みを浮かべながら兄の言葉に答えた。  国を半分飛び出す形で出てから十年。  自分がクロージック家で使用人として働いている間に、兄は王位を継承し、苦労を重ねながらも国を治めてきた。国を出る時よりも、良い意味で大きく変わった王都を見ると、兄のフォレスティ王国に対する愛が伝わってくる。 「王都に戻ってきて驚いたよ。父が……いや、歴代のフォレスティ王が目指す、自然と精霊、そして人間が調和する理想の国に、とても近付いていたから」 「別に特別なことはしてないさ。精霊が住み良い国を考えた結果が、ああいう形になっただけだ」  大したことはしていないと、イグニスは笑う。  精霊が集まり、留まる国作りは、フォレスティ王国の国策であった。  精霊がいなければ自然の豊かさは得られないし、自然が豊かでなければ精霊は消滅するか、いなくなってしまう。自然がなくなれば、フォレスティ王国の民は飢えで苦しみ、精霊がいなくなれば精霊魔法の恩恵がうけられなくなる。  だからどちらも、人間にとって大切な存在、守り敬うべき存在なのだ。  さらに言うなら、精霊魔法を使う際には、心の正しさ、清らかさが求められる。  つまり精霊魔法を使う者が集まるということは、人格が清廉な者が集まるということであり、自然と国の秩序が守られる、という利点もある。  そして―― 「精霊が住みよい国を創る。それは、初代フォレスティ国王ルヴァンの願いでもあるからな」  イグニスの青い瞳から親しみが消え、代わりに真剣で真っ直ぐな視線がアランを射貫く。 「アラン。私は、今でもお前が王位を継ぐべきだって思っている。その資格が、お前にあるのだと――」 「やめろよ、兄さん! その話は、とっくの昔の終わっただろ?」  イグニスの言葉に被せるような形で、アランが強い口調で遮った。 「俺には、王になる資格なんてないよ。憎しみと復讐に燃える記憶に支配された人間が、上に立てばどうなるか、兄さんなら分かるだろ?」 「しかし……」 「この話は終わりだ。この国の未来に必要なのは、過去に囚われた亡霊じゃなく……国を愛し、素晴らしい未来に導く存在だよ。兄さんのようなね」 「……お前が言うなら、そうなのだろうな」 「俺が言わなくても、そうだよ」  アランがおどけたように肩をあげると、イグニスはつられて笑った。  二人の間に流れていた張り詰めた緊張感が、ふっと緩む。 「そういえば、ヌークルバ関所に辿り着くのが早かったな。私の予想では、もう少し時間がかかると思っていたんだが。念のために、最短で辿り着いた場合の計算で迎えに行かせて良かった」  バルバーリ王国の王都ガイアスタからヌークルバ関所までは、約三十日かかる道のりだ。だが、あくまで順調に進んだときの話になる。  大抵は、悪天候や道中のトラブルなどで足止めを食らい、もう少し時間がかかることがほとんどだ。  イグニスの言葉に、アランはまた行儀悪くテーブルに肘をついて答えた。その表情には、苦笑いが浮かんでいる。 「道中、エヴァがずっと、旅が順調に進むように祈っていたんだから、問題が起こるわけがないよ。俺たちが馬車で進んでいる間、雨すら降らなかったんだぞ? 途中セイリン村で、野犬の群れが旅人を襲っている事件もあったけれど、エヴァが道中の安全を祈っている以上、俺たちだけは絶対に襲われないから、全く心配しなかったしな」 「なるほどな。それなら、旅が順調だったのは当たり前か」  イグニスが、心底納得した様子で、両腕を組みながら大きく頷いた。しかしすぐさま眉根を寄せると、エヴァと言えば、と前置きを入れて言葉を続ける。 「オルジュを抱いたエヴァが突然泣き出したのには、驚いたな」  エヴァの泣き顔を思い出し、アランは唇を噛んだ。  彼女が涙した理由を思うと、胸の奥が締め付けられて上手く息が出来なくなるほどだ。それと同時に、頭の芯が怒りという名の熱を帯びる。 「……エヴァは、泣いた理由が分からないって言ってたけど、恐らく、遙か昔に降りかかった辛い過去を、思い出しかけているんだと思う。ことで……そしてオルジュを抱っこしたことで……」 「思い出す前に、全てを話すつもりなのか?」 「……話したくはない。あんな辛い記憶をもつのは、俺だけで十分だ。エヴァには何も知らず、毎日を楽しく、自由に生きて欲しい。……今度こそ、幸せになって欲しいんだ」 「今度こそ……か。そうだな。エヴァがフォレスティ王国を気に入り、少しでも長くこの国で暮らしてくれるように、私たちも力を尽くさないとな。フォレスティ王国の発展のためにも、そして――」  イグニスは目を細めてアランを見た。その口元は、先ほどの真剣な表情とは打って変わり、ニヨニヨと緩んでいる。 「お前のエヴァに対する恋を成就させるためにもな」 「っっ⁉」  予想もしなかったことを言われ、肘をついて手のひらに乗せていたアランの顔が、ずるっと滑った。瞳を見開き、激しく瞬きながら、あっあっ、と意味の無い呻き声ともとれる言葉の切れ端を漏らしている。  そんな弟の慌てふためきっぷりに、イグニスは盛大に噴き出した。 「もしかしてお前、私にバレていないとでも思ったのか? あれだけ、わかりやすい反応をしていながら……」 「え? えええ⁉ わ、わかりやすいって……」  エヴァへの気持ちが悟られないようにしていたはずなのに、どこでバレてしまったのか。  アランは必死で記憶を探ってみたが、どうしても分からない。兄と再会し、言葉を交わした時間は、それほど多くないのだ。    もしかして、兄は人の心が読めるのでは? と言う、『イグニス=異能力者』説まで浮かび上がる。  まるで自分を未知なる存在のように見る弟に、イグニスは呆れたようにため息をついた。  弟が、エヴァに対して恋心を抱いているのに気付いたのは、謁見の間で彼女の肩に触れたとき。殺気に近い視線で、エヴァの肩に置いた手を見ていることに気付き、それでピンと来たのだ。  ヌークルバ関所で夫婦と申し出たとは聞いた時は、バルバーリ王国に金を落としたくないからと思っていたのだが、アランの反応を見て、これは本当に嫁を連れて帰ってきたのかも? と考えを改め、先ほどの『家族の一員』発言へと繋がる。  まあ結局のところ、当初の自分の考えは正しかったわけだが。  弟は、自分が垂れ流していた殺気に気付いていないらしい。 「……まあ、兄さんは、昔から人の気持ちを読み取るのが上手いもんな」 と、あくまでエヴァへの好意がバレたのは、イグニスの能力のせいだと、ぶつくさ呟いている。  そして観念したように、はぁっと深いため息をつくと、額に手を当て、上目使いに兄を見上げた。 「もうバレてるなら話が早いけれど……どうやったら、エヴァに好きになって貰えるだろう? 旅の途中も、色々とアプローチしてみたんだけど、全然で……。さっきも、全力で友達だって否定されたし……」  確かに、自分もエヴァがいる手前、必死で夫婦説を否定したが、それ以上に友達だとまくし立てるエヴァの姿を見て落ち込んでしまった。  ううっと頭を抱えるアランに、イグニスは慰めるように肩を叩く。  心の中で、 (エヴァもアランが好きなことは、もうしばらく黙っておくか。互いの気持ちに気付かず、モダモダしている二人を見ている方が面白いしな) という、彼が知ったら激高しそうな意地悪い企みをしていた。  そして、顔を真っ赤にしながら、アランとの関係を否定するエヴァの表情を思い出しながら、思う。 (壮絶な過去を持つ二人に……精霊女王エルフィーランジュのご加護が、あらんことを)
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