第35話 恋の熱暴走

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第35話 恋の熱暴走

 私はゆっくりを目を開けた。 (あれ? ここは……)  全く見知らぬ天井、というかベッドの天蓋が視界に映り、今自分が置かれている状況を必死で思い出した。  確か私は昨日、フォレスティ王国の王都に辿り着いた。そして、アランのお兄様であるイグニス陛下にご挨拶をして……そして何故か、アランの奥さんだと間違われて……そして、そして?  不意に、手のひらに温かく柔らかな感覚が蘇った。 (……そうだわ)  私、イグニス陛下の御子を抱っこさせて頂いて……  そうしたら何故か無性に悲しくなってしまって、陛下や王妃殿下の前で、ボロボロと泣いてしまって……    挨拶もそこそこに、急遽用意して頂いた部屋に、アランが付き添ってくれて。 「エヴァ、きっと疲れがドッと出たんだ。涙が出る理由なんて考えなくて良い。今はゆっくり休むんだ」  そう言って、私を休ませてくれたんだったわ。  ゆっくりと身体を起こすと、部屋の全容が目に飛び込んできた。  クロージック家のマルティの部屋よりも広いけれど、ゲストルームに当たる部屋だろう。ベッドや鏡台などが置かれているこの部屋は寝室。閉じられた扉の向こうには、ゆったり寛げるソファやテーブルが置かれた部屋に続いていたはず。  白い壁に囲まれており、清潔感を感じさせる部屋だ。選び抜かれた調度品、観葉植物や切り花が生けてあり、部屋の中にも自然を感じることができる。  ヤード叔父さんが家を継いでから、見た目が派手派手しい調度品が増えていったクロージック家とは、真逆のインテリアだわ。  そっと目元に手をやると、微かに涙の痕が残っていた。  どうやら、眠りながらも泣いていたみたい。何か夢を見た気もするけれど、全く記憶には残っていなかった。  アランが言うとおり、旅の疲れがドッと出たから、一時的に情緒不安定になったのかしら?  だからといって、オルジュ姫殿下を抱っこしたときに泣かなくてもいいわよね? なんというタイミングの悪さかしら……  皆が心配そうに私を見つめていたことを思い出し、重いため息をついた。  その時、ノック音が響き渡ったかと思うと、 「エヴァ様、失礼してよろしいでしょうか? アラン様がお見えになっております」  寝室のドアの向こうから、侍女の声が聞こえた。  私が了承の返答をすると、失礼します、と声をかけて入ってきた侍女と、その後ろに、 「エヴァ、調子はどう?」  不安げな表情を浮かべるアランの姿があった。  彼は、私がベッドを出るよりも早くこちらに近付くと、ベッドの端に腰をかけて私の顔を覗き込んできた。キラッキラで綺麗な顔が、もの凄く近い距離まで詰めてくる。  ち、近いって、アラン!  相変わらず、あなたの距離感!  恥ずかしすぎてギュッと双眸を閉じた瞬間、額に大きな温かさがのった。  こ、これって、もしかして…… 「うん、顔色も良さそうだし、熱もないみたいだな。休めたようで良かったよ」  私の額に手を当てながら、アランが安堵した様子で言った。  わっ……わわっ‼  アランの手が、私のおでこに触ってるっ‼  元々私、熱があって休んでたわけじゃないわよね?  熱、はかる必要ないわよね⁉  額から伝わるアランの体温を感じると、せっかく落ち着いていたはずの身体が、過剰に血液を巡らせる。そうなると、 「……あれ? なんか、突然エヴァが熱くなってきたような……。やっぱり、まだ体調が――」 「だ、大丈夫だから! もう元気になったから! 手を……」  恋の熱暴走を体調不良だと勘違いしたアランの言葉を遮ると、体温上昇の原因となっている元凶を口にした。額にあてたままの自分の手にようやく気付いたみたいで、一瞬アランが息を飲む音が聞こえた。 「あ、ああ……ご、ごめん……」  少し声を詰まらせながら、小さな謝罪が彼の口から零れると同時に、額の温もりが遠ざかっていく。  よ、よかった……  もっと彼の体温を感じたかったという気持ちはもちろんあるけれど、きっと恥ずかしさの方が上回って倒れちゃう方が早そうだものね!  ホッと息をつくと、近づけていた顔を少し遠ざけて私の様子を伺っているアランに昨日のことを謝った。 「昨日は心配かけてごめんなさい。一晩眠ってすっきりしたから、もう大丈夫よ」 「本当に良かったよ。俺も、エヴァの体調を気遣えずに、ごめん」 「いいえ、あなたが悪いわけじゃないから、謝らないで?」 「そう言ってくれると、気持ちが楽になるよ。でも、本当にごめん……」 「ふふっ、だからもう謝らないでって」 「……あっ」  慌てて口を塞ぐアランの様子が可笑しくて、私は噴き出してしまった。笑う私を見て、アランもつられたように笑った。  ひとしきり笑い合った後、アランが先に口を開いた。 「朝食が出来てるから、一緒に食べに行こうか」  朝食と聞いた瞬間、酷い空腹に襲われた。  そういえば、昨日は夜も食べずにずっと眠っていたものね。  お腹の虫が鳴らないように胃の辺りに力を込めながら、私は頷いた。 「嬉しい。お腹ペコペコだったから。マリアとルドルフも先に行ってるの?」 「残念だけど二人は、久しぶりに家族に会いに、一時城を離れてるよ。エヴァが目覚めるまで残っているとは言ったんだけど、俺が帰るように言ったんだ。大丈夫だよ。家族と過ごしたら、二人ともここに戻ってくるから」  そうね。  何せ、マリアは十年間、ルドルフは二十年も祖国から離れていたもの。私の記憶の中で、二人がフォレスティに戻った覚えはないし。  一秒でも早く家族に会いたいはずだわ。  お別れの挨拶ができなかったのが少し残念だけれど、また会えるならいい。  私のことは忘れて、今は家族との時間を大切にして欲しいわ。  その時、私の意識をこちらに向けさせるように、アランがポンッと手を打った。 「それはそうと、朝食を食べたら何をしようか。エヴァは、何かやりたいことはある?」  やりたいこと? 「……うーん……突然そう言われても……」 「もうエヴァは自由なんだ。何でも良いんだよ? ほら、セイリン村でも、自由に動いていたじゃないか」  そうだったわね。  あの時は、セイリン村のことが知りたくて、散策したんだっけ。  それなら―― 「じゃあ、まずはこのお城の案内をして欲しいわ。そして、もっと教えて? 精霊を大切にしているというこの国のことを」 「お安いご用だよ」  アランは満面の笑顔を浮かべながら、大きく頷いた。  祖国とは違い、精霊と共存する国を目指すフォレスティ王国。  追放という形ではあったけれど、バルバーリ王国で縛り付けられていた枷から自由になり、これからこの素敵な国で暮らすのだと思うと、期待で胸が高鳴るのを抑えられない自分がいた。  そして、改めて思う。  もう私は、自由なのだと――
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