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初めまして、血濡れの大公様 ※安全な距離を保ちつつ
─── トオン領 2日目。
「......ふぁぁー......良ぉーく寝たぁ」
ユリシアは大きなベッドから身を起こすと、ずるずると滑り落ちるように床に降りた。
別に他意は無い。ちょっとだらしなく起きたかっただけ。体調はすこぶる良いし、気持ち的にも一ヶ月命の保証をいただけたので、まあまあ良い。
昨日ユリシアは、この別邸で夕食を取りそのまま就寝した。
自分専用に侍女二人も付けてもらえて、しかも二人とも程よい距離感を保ってくれたので、貢ぎ物生活の出だしは大変好調である。
予想をはるかに超える好待遇に感謝しつつ、ユリシアは鼻歌まじりに勢い良くカーテンを開ける。
雪は舞ってはいるが、雲間から日が差し込んでいる。おかげで部屋が一気に明るくなる。
ちなみに魔法大国マルグルスでは暖炉に薪をくべるという概念は無い。一応、暖炉はあるが、そこには薪では無く熱を発散する魔法石を入れている。そうすれば室内は、ほんわか温度に保たれる火傷知らずの優れもの。
魔法石はそれ以外にも色々な特性がある。冷却作用があったり、発光したり、水を蓄えたり。
そんな便利な魔法石は使い方によっては武器になる。あと特殊な鉱山から採掘するのだが足場も悪けりゃ、変なガスも出るためしょっちゅう事故がある。つまり大変希少価値があり取扱注意のため他国に販売する予定は無いそうだ。
また、そもそも売るより自国の皆々様に快適に使ってほしいというのが国王陛下のポリシーらしい。これまた出来た御仁である。
「......本当に良い人ばっかり」
昨日からずっとマルグルス国の皆様に優しい扱いを受けているユリシアは苦笑する。
だって、自国リンヒニアで聞いた噂とは真逆だから。
マルグルス国は、暇さえあれば戦争をしている野蛮な連中。
どれだけ敵の首を取ったかで男の価値が決まり、夜会と聞くと脳内で「夜営」と変換される。
女性は女性で殿方から求婚されたら敵の首の数を指定して、その数に満たなければ婚約破棄をするのが常識で、妻となれば夫が戦争で武功を上げなかった場合、屋敷から追い出す権利を有しているとか、いないとか。
そんな敵の首が大好き国民を、リンヒニア国の民は軽蔑していた。同盟国であり幾度も危機を救ってもらった過去があるというのに彼らを侮蔑の言葉として使っていた。
「申し訳ないことをしちゃった」
マルグルス国の滞在期間は短いけれど、ユリシアはそんな噂を鵜呑みにしていた自分を恥じる。
でも、リールストン大公が熊ゴリラであることは変わり無い。
なにせその姿を見たことが無いから。そして良い年して独身だから。
ただ侍女の話によればリールストン大公は、滅多なことでは人を斬ったりしないらしい。
容姿についてもそれとなく聞いてみたけれど「ちょっと私共の口から申し上げることは……恐れ多くてできません」と、もにょもにょ濁されてしまった。
使用人ですら口にできない容姿となれば、もはや彼は熊ゴリラを超えた何かだ。
まぁ、彼が人外の生物でも、一先ずこの別邸で大人しくしていれば、問答無用で殺されることは無さそうだ。少々、”滅多なこと”がどれくらいのレベルなのか気になるところではあるけれど。
「ま、こっちだって騒ぎを起こす気なんてないし」
一目で気に入った別邸の快適な部屋の中で、のんべんだらりと過ごす。
これだけでも十二分に贅沢。毎日が夢心地。できることならリールストン大公には、一生無関心でいてもらいたい。
そんなささやかな願いを胸にユリシアは身支度を整える。
貢ぎ物であるユリシアが持参した荷物はトランク2つだけ。ドレスに至っては流行遅れの中古品で、一人で着られる質素なもの。
これまで侍女などいなかったユリシアとしては、着替える為だけに人を呼ぶのは気が引けるので、このラインナップで十分満足している。
そんなわけで冷たい水で顔を洗って、一番生地の分厚い灰色のドレスに着替えたユリシアは散歩がてらにテラスに出た。
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