おじいちゃんと、ジイサン

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おじいちゃんと、ジイサン

 おばあちゃんから再び招集がかかったのは、夏休みの初日の夜だった。  七海おばさんの子供で、地方の大学に行っている(ひびき)兄ちゃんと(かな)姉ちゃん(この二人も双子なんだ)はリモートでの参加だ。 「今日はね、お願いしたいことがあって、あなたたちをお呼びしました」  上座に座ったおばあちゃんは、和室に集まった面々を見渡して背筋を正した。 「あのね、(あめ)さんの過去を調べて欲しいんです」  雨さん?  誰だっけ……? ああそっか、おじいちゃんの名前だ。香具山(かぐやま)雨。享年七十五歳。  香具山は元々おばあちゃんの名字だ。僕の父さんは香具山陸斗といい、僕は香具山光一。おばあちゃんと結婚する前、おじいちゃんは「山田雨」という名前だった。てっきり離婚したタイミングで旧姓に戻しただろうと、みんなは思っていた。だから、おじいちゃんが倒れて、まだ香具山姓を名乗っていたのを知ったときは、「そんなに香具山って名字が気に入っていたのか」と父さんたちは不思議がっていたけど、山田と香具山だったら、断然、香具山の方がカッコイイに決まっている(全国の山田さんには申し訳ないけど)。 「私のもとを去ってから亡くなるまでの三十五年間のことを調べて欲しいんです」 「えっと……、どうして?」  七海おばさんがみんなを代表してたずねた。 「もちろん、遺骨の行き先を決めるためですよ。縁あって一度は夫婦になったんだもの。私と同じお墓に入れてあげてもいいかしらと考えたんです」  おばあちゃんの声は、発音がハッキリしていて説得力がある。ちょっとくらい強引な話でも、おばあちゃんが言うと、「わかった」と頷いてしまうことがある。でも、さすがに今回は誰も引っかからなかった。 「何言ってるの」 「そうだよ、お袋。無茶苦茶だよ」  七海おばさんと父さんの抗議を、おばちゃんは片手を挙げることで制した。 「あなたたちの反対は承知のうえです。私だって諸手を挙げて歓迎するわけではないですしね。自慢ではないけど、雨さんがいなくなって一番苦労したのは、私なんだもの」  大工だったおじいちゃんが家を出たあと、おばあちゃんは仕立屋として身を立てた。それこそ寝ずに働いたそうだ。 「だからね、雨さんが私が買ったお墓に入る資格があるかどうか調べて欲しいんです。期限は……、八月二十九日までにしましょうか」  とくべつ意味のある数字とは思えず、僕は首を傾げた。 「焼き肉の日?」 「雨さんの四十九日ですよ。納骨式を行う日」 「ああ」と、僕らは頷いた。 「調べろって言われても……」父さんは頭をかいた。「探偵でも雇えっていうのか?」 「それよりも、うちの上司に頼んだ方がはやいわ」七海おばさんが返した。「刑事さんにツテのある先生も何人かいるから、上手くいけば今週中にでもある程度の情報が集まる」  七海おばさんは弁護士事務所の事務員だ。 「誰が七海と陸斗に任せると言いましたか」  気のせいか、おばあちゃんの視線が下座にいる僕の方へと向いた。 「調べるのは、ヒナとコウイチです」 「え……っ」  僕とヒナは顔を見合わせ、同時におばあちゃんへと視線を戻した。 「どうして私たちなの」  先に口を開いたのはヒナだ。 「最後の墓守りになるのがあなたたちだからですよ」  おばあちゃんはにこりとほほ笑んだ。 「それに七海と陸斗は、雨さんに恨みがあるから中立的な視線には立てないでしょう。響と奏は就職活動がありますしね」 「僕たちには学校があるよ」僕は返した。「今は夏休みだけど」 「自由研究には打ってつけの内容でしょう」 「やだよ、家族のことを書くなんて」 『失踪した祖父の空白の三十五年間について』なんてシュールなタイトルの作文を提出したら、担任の青山先生が心配してしまう。 「そうですよ」ヒナの父親である貴志(たかし)おじさんが口を開いた。「コウイチくんはまだ小学生ですし、ヒナだって中学校に上がったばかりなんですよ」 「え、私、調べる気満々だけど」 「ヒナッ」  七海おばさんと貴志おじさんが顔をしかめた。 「コウイチはどうしたい?」  父さんと母さんが訊いてきた。二人とも真剣すぎて怖い顔になっている。  僕は、何て返事をしたらいいのかわからなくて、部屋のすみに視線を向けた。おばあちゃんが用意したのか、簡易的な祭壇がしつらえてあって、おじいちゃんの遺骨と位牌、遺影の代わりの車の免許証が置いてある。  まえにも言ったけど、僕たち孫世代は誰もおじいちゃんの顔を知らずにいた。おじいちゃんのことを考えることなんてめったになかったけど、それでも、おばあちゃんや父さんたちを捨てたっていう数少ない(それでいてインパクトのある)情報から、いかにも薄情そうな顔のひとをイメージしていた。それなのに、免許証のなかのおじいちゃんは、輪郭も目も鼻も丸い、ひとの善さそうな顔だった。  一緒にお見舞いに行こう、という母さんの誘いを断った僕だけど、実はあのあと、一度だけ、みんなには内緒でおじいちゃんのお見舞いに行っている。  おじいちゃんが倒れたっていう事実は、日に日に僕の頭のなかで膨れ上がり、気持ちを重くした。授業を受けていても、友達と校庭でドッチボールをしていても、家でゲームをしていても、心の片隅にはいつも、「死ぬかもしれない、死ぬかもしれない」という脅迫めいた言葉がぐるぐると回っていて、落ち着かなかった。それで休みの日に、友達の家に行くと言って家を出て、入院先の病院に向かったんだ。  おじいちゃんは寝ていた。危篤から脱したあとだったから、本当にただ寝ていただけなんだと思う。  ――生き別れの家族との再会。  本やドラマの世界では、こういうとき主人公は泣き崩れると決まっている。相手にすがりつきながら、会いたかったや、愛しているとか、憎いとか、寂しかったとか、「積年の思い」ってものをぶつけるんだ。  でも、現実世界ではそんな感動や衝動は起きなかった。  むしろ見れば見るほど、僕はおじいちゃんが「不思議で不気味」な存在に思えた。  僕たち小学生からしたら、「おじいさん」という存在はみんな、似たり寄ったりの顔に見える。  床屋で会うおじいさんも、公園のベンチで本を読んでいるおじいさんも、スーパーのレジに並んでいるおじいさんも、よほど特徴がないかぎり、全員同じ顔に見えてしまう。  でも、ベッドのなかのおじいちゃんは、今まで見てきたどの「おじいさん」とも違っていた。  何が違うんだろう、と僕はおじいちゃんをマジマジと見つめた。茶色くしぼんだような顔も、枯れ草のような髪の毛も、シワだらけの手や指も、怖くないのに、怖かった。  たぶん僕はこのとき、おじいちゃんのなかに「死の世界」を垣間見たのだ。僕が生きている「生者」の世界とは別次元の世界。その世界の存在自体は知っていた。でも、今まではずっと遠くにある世界だった。それが急に目の前に迫ったことで、無意識のうちに怯えたのだ。  恐怖心をふり払うように、「おじいちゃん」と明るく呼びかけようとした。でも、上手く声が出なかった。何でだろう、って考えてわかった。 『おじいちゃん』ではないからだ。  僕と目の前のお年寄りは、確かに血が繋がっている。でも、それだけだ。家族でも何でもなかった。  お見舞いの日以来、僕は、「ジイサン」と心のなかで呼ぶようになった。「ジイ」も「サン」も全部カタカナのジイサンだ。  僕がジイサンをおじいちゃんと呼べない理由。その距離感を埋める「なにか」を調査しろとおばあちゃんは言っているのだ。  僕はおばあちゃんに視線を戻した。それから、こうこたえた。 「まあ、暇だし」
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