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駐輪場の幽霊
さくらヶ丘駐輪場、というのがジイサンの元職場だ。僕らの家からは、電車で三十分ほどの場所にあった。
調査費用として、おばあちゃんから軍資金をもらっていたから、交通費には困らずにすんだ。でも子供だけで電車に乗ることなんてめったにないことだから、それなりに緊張したし、ワクワクもした。
そう、ワクワクしたんだ。亡くなったひとをネタにして楽しむなんて不謹慎なのはわかっている。それでも僕は自分が探偵にでもなったような気持ちだったし、それはヒナも同じだと思う。僕たちは今回の調査を「任務」と呼び、気持ちをさらに高めた。
「案外近くにいたのね」
駅のホームに降りると、ヒナはわざとらしく顎先に手をそえて、「ふむふむ」と頷いた。ホームから見下ろした河川敷は、容赦ない日差しを反射して、ぎらぎらと光っていた。
「だね。もっと遠くに住んでいるんだと思ってた」
幼かった父さんたちを「捨てた」ジイサンだ。てっきりもっと遠くの地方に逃げたんだろうと思っていたのに、まさか同じ都内にいて、路線まで同じだったなんて。でも、これはある意味、好都合なことだった。だって、もしも北海道や沖縄、――はたまた海外に住んでいたとしたら、僕とヒナだけで行くのは無理だろうし、そうすると、今回の「任務」自体が丸つぶれになるところだったから。
改札口を出ると、「さくらヶ丘商店街」と看板をかかげたアーケードがのびていた。
駐輪場の場所はすぐにわかった。なんせ駅の真横だったから。
僕らはそこで、制服姿のおじいさんを二人見つけた。
「すみませーん! こんにちはー」
さっそくヒナが声をかけた。社交的なヒナは、初対面の相手だろうと、うんと年上だろうと、臆することなく話しかけることができる。
「そうかぁ。香具山さんのお孫さんかぁ」
自己紹介した僕たちを見て、二人のおじいさんは椅子をすすめてきた。ノッポの方が佐々木さんといい、小柄でお腹が突き出ているのが野中さんといった。
「生前は、祖父が大変お世話になりました」
僕たちは礼儀正しく頭を下げると、手土産の水羊羹の詰め合わせを差し出した。
「あー、こりゃどうもご丁寧に」
佐々木さんと野中さんは、帽子を脱いで頭を下げた。二人ともジイサンと同じくらいの年齢に見えた。ついでに言うと、佐々木さんは見事にハゲていた。
佐々木さんと野中さんは、「お悔やみの言葉」なるものを口にしたあと、
「いやあ、香具山さんが倒れたって知ったときは僕たちもびっくりしたよ」
「本当になあ」
と深々と頷いた。それから佐々木さんは扇子で顔をあおいだ。屋根がある分、日陰にはなっているけど、暑いことにかわりはない。僕たちが話している間も、電車が何本も通り過ぎて、そのたびに会話は中断した。
「祖父はどれくらいの期間、こちらで働いていたんですか」
「三年くらいだったかねえ」
と佐々木さんが言うと、「うんうん。確かそんくらいだ」と野中さんは頷いた。
「佐々木さんと野中さんは、祖父と親しかったんですか」
ヒナが質問し、僕は固唾をのんで、こたえを待った。三十五年間、包まれ続けた謎のヴェールが開けられる、という表現はさすがに大げさかもしれないけど、どんな話であれ、二人の証言は、「任務」における貴重な情報だ。
ところがだ――。佐々木さんと野中さんは顔を見合わせると、「いやあ」「うーん」「どうかなぁ」とあいまいな言葉をくり返した。
「香具山さんクールだったからねえ。飲みに誘っても来なかったし」
「家族やプライベートについては、ちっとも話そうとしなかったしなあ」
「てっきり独身だとばかり思っていたから、こんなに大きなお孫さんがいて、びっくりだよ」
なんだ……、と僕は肩を落とした。
「あー、でも一度、すごい体験を一緒にしたな」
思い出したように言って、佐々木さんは手をポンと叩いた。
すごい体験? と僕とヒナの声がそろう。
「去年の春頃、幽霊が出るっていう噂が出てさ」
佐々木さんが両手をだらりと垂らした。
「えぇっ。本当ですか」
「ホント、ホント。白いワンピースを着た若い女性の幽霊を見たっていうひとが相次いでさ。それで僕と香具山さんで、深夜まで残って本当に出るか確かめることになったんだよね」
「それで……、出たんですか」
「出た」
えぇっ、と僕たちは驚いた。ヒナは、目を大きく開いたまま、あっちこっちに視線を向けた。それに気づいた佐々木さんが、
「香具山さんが祓ったから、もう出ないよ」
と言ったものだから、僕たちはさらに驚いた。
「祓ったって、おじいちゃんが? え、どうやって……っ?」
「うーん。祓ったっていうよりも、ありゃあ、幽霊の方が納得して去った、って感じだったかねえ」
何それ。ますます意味不明なんですけど。
「僕も香具山さんも、今まで幽霊を見たことがなかったからさ、利用者さんの見間違いだろうって軽く考えていたわけよ。まあ春だし、過ごしやすい季節だから、二人で缶コーヒーを飲みながら、夜になるのを待っていたの。そしたらさ……」
佐々木さんはぐっと声をひそめた。僕は背筋がぞぞっとして、ヒナへと身体を寄せた。
「天井についている電気がチカチカっていっせいに点滅したのよ。そんで、誰もいないのに自転車のペダルがいっせいに回り出した……」
そのときの光景をありありと想像してしまい、僕は息をのんだ。
「あっちに自転車の空気入れがあるんだけど、あのあたりに白いワンピースを着た女のひとがぼうっと現れたんだよ」
「怖っ」
「そうだろう」こくり、と佐々木さんは頷いた。「僕も、腰抜かしちゃったもんね」
「祖父にも見えていたんですか」
ヒナがたずねると、「もちろん」と佐々木さんは頷いた。
「見えていたどころか、あのひと、幽霊に話しかけたのよ」
「――え……」
「僕も香具山さんも、『出たーっ』って叫びながら、逃げようとしたのよ。でも香具山さん、途中で立ち止まって、幽霊の方に身体をくるりと向けたの。それで青い顔したまま幽霊に向かってこう叫んだのよ」
――教えてくれ。この世に心残りがあると、あんたみたいに幽霊になるのか? 仮に俺が今死んだら、あんたみたいになってしまうのか。
「ね、びっくりでしょう。『あんた何言ってんの』って、僕も思わず立ち止まっちゃったもの」
「そ、それでどうなったんですか」
「うん、あのね、幽霊は小首を傾げてこう返したの」
――心、残り……?
――何か未練があるから、この世にとどまっているんだろう。
――心残り……。ああ、あった……。ありがとう。行ってくる。
「そう言うと、空気に溶けるように消えてしまったんだよ」
「あった、って心残りにしている『何か』があったってことですよね」
「たぶんね。香具山さんに質問されて、思い出したっていう様子だったから。香具山さん、あのあとも時々、幽霊が出たところをじっと見つめて、『心残りってのは厄介だな』って呟いていたっけ」
佐々木さんの視線に引っ張られるように、僕もヒナも駐輪場の片隅に視線を向けた。今は自転車が数台、停めてあるあの場所でジイサンは幽霊と対峙したんだ。
幽霊――。学校でも年に何度か、「信じるか、信じないか」「見たことがあるか、ないか」で話題になる存在だ。ちなみに僕は、一応信じてはいるけど、見たことはない、というタイプ。
「けどさ」と野中さんが口を開いた。「何歳であの世に旅立とうと、この世にいっさい心残りがないひとなんていないでしょう」
何歳でも、っていうフレーズが心に引っかかった。それはたとえば、百歳を越えたひとにも言えることなのかな。百歳なんて先のことすぎて、少しもイメージできないけど。
結局、このあとはジイサンは仕事は無遅刻無欠勤で、休憩中にはよく野菜ジュースを飲んでいたという情報しか聞き出せなかった。ただ別れ際、
「人生百年時代だって言われているのに、何でこんなにはやく死んじまうかな。もっと香具山さんと色んな話しがしたかったよ」
「本当にな」
と、佐々木さんと野中さんがしみじみとした口調で言っていた。
*
駐輪場を出たあと、僕たちは吸い寄せられるようにコンビニに入り、アイスと冷たい飲み物を買って、イートインスペースで休憩することにした。
「さて……」
と、ヒナはペットボトルのアイスティーを半分ほど飲んだところで仕切り直すように、僕に視線を向けた。
「現時点でわかったことを整理しよう」
ヒナは誕生日におばあちゃんから買ってもらったショルダーバッグのなかからノートを取り出した。
「一つ、おじいちゃんは三年前から、さくらヶ丘駐輪場で働いていた」
僕が言うと、ヒナはノートにそのことを書き込んだ。これは響兄ちゃんと奏姉ちゃんから教わった問題の解決方法だ。まずは現時点でわかっていることを箇条書きにして、一つ一つ深掘りしていく。
「二つ、無遅刻、無欠勤だった」
今度はヒナが言った。
「三つ、佐々木さんたちに飲みに誘われても、いつも断っていた」
「四つ、幽霊に会った」
「五つ、心残りがあると幽霊になるのかとたずねた。――このくらいかな」
「だね」とヒナは頷いた。「一つ目と二つ目から見るに、結構、真面目なひとだったのかも」
「うん。――佐々木さんたちの誘いを断っていたのは何でかな」
「単純にあまり仲良くなりたくなかったとか?」
「でも、佐々木さんも野中さんも、良い人そうだったよ」
「確かに。――ねえ、おじいちゃんの心残りって何だと思う?」
「え……」
「おじいちゃんは、『仮に俺が今死んだら、あんたみたいに幽霊になるのか』って幽霊に訊いたんだよね。ということは、おじいちゃんには心残りがあったわけでしょう。それって、おばあちゃんやお母さんたちのことかな」
うーん……。僕はソーダ味のアイスを一口食べて考えた。
「(その可能性は)ゼロではないと思うけど、おじいちゃんがおばあちゃんたちを捨てたのは三十五年も前の話だよ」
僕の人生の三倍もの長さだ。当然、その間にも色々なことがあっただろうし……。
「おじいちゃんが何を考えていたかなんて、わかんないよ」
「まっ、そうよね」ヒナはあっさりと頷いた。「わからないこその任務だものね」
それから急にニヤっと笑ったかと思うと、
「もしもさ……、おじいちゃんの幽霊が出たらどうする?」
と、怪談話をするときのような声のトーンで言ってきた。
「よせって」
僕は、思わず強い口調で言い返してしまった。それと言うのも、僕はお化け屋敷や怪談話が苦手だから。ただ、ヒナの性格はわかっているつもりだから、ここは冷静に対処しなくちゃ。
「おじいちゃんが出たら、今までどこで何をしていたのかってインタビューするよ」
すました顔で返してから、ふと、あることを思いついた。
「あのさ……、おじいちゃんって、僕たちのことを知っていたのかな」
「え……」
「自分に孫がいるのを知ってたのかなって思って」
「うーん。年齢的に、いてもおかしくはないとは思っていたかもしれないけど、名前や人数まではさすがに知らなかったんじゃない」
「だよね。じゃあ、もしもおじいちゃんの幽霊が出たら、自己紹介から始めなきゃだ」
「『僕、香具山光一、六年生です。幽霊見るのは初めてだから、ビビっています』ってね」
「もー、やめてよ」
「冗談、冗談」
ヒナは手をひらひらと振ったあと、ふと真剣な顔になった。
「ねえ……。おじいちゃんに恋人がいたら、どうする?」
「――はあっ?」
僕は素っ頓狂な声を出した。
「恋人? 何言ってんの」
「そんなに驚く?」
「だって、ありえないでしょう」
「何で」
「だって、おじいちゃんだよ?」
僕は病室で見たジイサンを思い出しながら言った。あんなヨボヨボで、――死にかけのジイサンに恋人? ないない、絶対にないって。――それに戸籍にも再婚した形跡はなかったって、父さんと七海おばさんが葬儀の日に話していたし。
「これだから小学生は」
ヒナはあからさまに呆れた表情を浮かべた。
「死んだときはいなかったかもしれないけど、昔はわからないでしょう。『散髪に行ってくる』なんて言ったきり、帰ってこなかったんだよ。おばあちゃんを捨てて、恋人のもとに走ったって考えるのが普通じゃん」
「そうなの?」
その発想はなかった。でもそっかぁ、恋人かぁ。
僕は恋人のもとに走るジイサンの姿を想像しようとした。でも無理だった。ヒナほど想像力のない僕には、若い頃のジイサンも、活き活きと走るジイサンの姿も思い描けなかった。
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