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「美亜ちゃん……どうしたの?」
「どうしたもこうしたもない!!こっち来て!」
怒鳴り付けた美亜は、強引に博を泥人形の弟の前に連れていく。
「ちゃんと見てください!博さん、弟さんはここにいます」
「……いない。見えないよ」
「います。いるんです!私にはちゃんと見えてます」
弱々しく首を横に降る博を一括すれば、彼は嘘つきを見る目になった。
わかっていても辛いな、と美亜は思う。
人に見えない何かを見てしまう稀眼が呪わしかった。ここだけの話、今でも厄介なものだと思っている。
でもこの世には稀眼を持つ自分にしかできないことがあるのを知った。
不必要だと思っていたのに、必要だと言ってくれる人がいた。
だから美亜は博の両頬に手を添える。あえて笑みを浮かべて、優しく彼の視線を弟の方へと導く。
「博さんあのね、私にもお兄ちゃんがいるんです。いつだって自分の味方でいてくれる優しいお兄にいが」
「……っ」
「私、弟さんの気持ち良くわかります。お兄にいは、私のせいで虐められたことがあるんです。私の家、女性だけが変なものを見ちゃう家系だったから。……でも、お兄にいはいつも庇ってくれた。上履きを隠されて泣いた私に、自分の上履きを貸してくれた。嘘つきと言った人に対して、違うと反論してくれた……そのせいで殴られたことがあったのに、私には転んだって嘘を付いてくれました」
「……そ、そんな」
「私のせいでいっぱい嫌なことがあったのに、今でもお兄にい兄にいは優しくて頼れる兄です。だから、私はそんな兄のことが大好きなんです。そしてきっと政弘君にとっても、博さんはそんなお兄ちゃんだったんだと思います」
「そんなわけない」
「あります。絶対に、あります。だって博さんはお兄ちゃんで、弟の気持ちわからないでしょ?でも私はお兄ちゃんがいるからわかるんです。お兄にいには誰よりも幸せになってほしいって」
小さい頃、お兄ちゃんのお嫁さんになりたいとは思わなかったけれど、今でも美亜にとって兄の俊郎は世界で一番カッコいい男性だ。
あれほど無条件に愛してくれる男性はいないだろう。その反面、兄に優しくされればされるほど、いたたまれない気持ちになった。
己のことを犠牲にして自分を優先してくれる度に、美亜は罪悪感で胸が苦しくなった。いっそお前のせいでと詰ってくれと願った時もあった。
きっと政弘も同じ気持ちだったのだろう。痛々しい兄の優しさに触れるたびに、胸が苦しくなっていたはずだ。
ーーそうだよね?君もそう思ってたんだよね?
そっと目だけで尋ねたら、泥人形はコクリと頷いてくれた。
そんなふうに肉体を失ってしまった正弘と僅かではあるが心を通わすことができた美亜であったが、肉体を持っている博とは相変わらず一方通行だ。
「俺には見えない。正弘はここには居ない」
そう呟く博は、まるで自分に言い聞かせているよう。小さい子供が親の小言に両耳を塞いで喚いているようにすら見える。
言い換えると、博はちょっとは正弘の気配に気付いている。でも認めたくないのだ。
それは何で?どうして?
博と正弘の間に何があったのか美亜は知らない。どうして自分と弟を引き合わせたかったのかもわからない。
わかることと言えば、博と正弘が辛い別れをしたということと、今でも二人は互いを大切に思い合っているということ。
ただその思い方がズレてしまっていて、片方が相手を見失ってしまって、もう片方は一方的に泣き叫んでいるという悲惨な状況だ。
恥ずかしい話、引きこもりだった自分は、喧嘩の仲裁なんてしたことない。人と人との懸け橋になったこともない。
いつも自分のことで手一杯で、他人に心を砕く余裕なんてなかった。
でもそんなのは言い訳だ。死に別れてしまった兄弟が、更に辛い別れを重ねて欲しくないなら体当たりでやるしかない。
すれ違ってしまった二人の気持ちを自分は何としても届けたい。届けなきゃいけない。
美亜は身体を捻って、博と目を合わせた。
「正弘君は、お兄ちゃんのこと大好きだったんです」
「勝手なこと言うな。君になんて俺達の気持ちはわからないくせに」
「もうっ。ですから、弟さんの気持ちはわかるって言ってるじゃないですか!」
「ふざけるな!妹のくせに、知ったかぶりをするな!」
「えー、そりゃあ私は妹だけど、兄がいるもん!ちゃんとわかるもん!!少なくとも、博さんよりわかってるもん!」
不毛な言い争いに正弘は、オロオロし始める。若干、何やってんだよと言いたげな視線も混ざっている。
子供にそんな顔をさせてしまった自分が不甲斐ない。でも、大人だって完璧じゃない。……まぁ自分だって子供の時は、大人は何でもできると思っていたけれど。
幻滅させてごめん。夢を壊してごめん。でも、何とかするから。
この場で真実を伝えられるのは自分しかいないのだ。美亜は心を強く持って、正弘に力強く頷く。
そうすれば、正弘はくしゃりと顔を歪めて口を開いた。
離れたくなかった。もっと生きたかった。でも、もう一緒にはいられなかった。本当は大人になりたかった。 自分の足で立って、大切な人達と肩を並べて歩きたかった。
泥に指を突っ込んだような、ぽっかりとした口から紡がれる言葉は、かつて正弘が生きてきた時の記憶であり、幼いなりに彼が生きようとした証でもあった。
魂をそのまま吐き出したような正弘の言葉を、美亜はしっかりと受け止めた。
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