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その結果、泡だらけのビールを飲む羽目になりました
美亜こと星野美亜が生まれたのは、かつて日本の近代産業の先駆けとして大きな役割を果たした養蚕業が盛んだった県である。
ただし東の端っこの山の中で、空き巣なんかより熊に気を付けなければならない土地だった。
ついでに言うと、夕飯のメニューも夫婦喧嘩の内容もリアルタイムで二軒隣までにバレる。なぜ二軒止まりかといえば、三軒目は用水路を挟んだ遥か向こうにあるからだ。
そんなド田舎で生まれた美亜は、小さい頃からテレビが好きだった。
いや正確に言うと、テレビの中に出てくるキラキラ女子が好きで、キラキラ女子に憧れる女の子だった。
だから美亜が地元短大を卒業して、即三大都市の一つに転居したのは当然の流れである。
しかしなぜ国会議事堂のある大都市ではなく、エビフライときしめんの街を選んだかといえば、兄がそこに住んでいるから。
兄こと星野俊郎は手堅く国立高専に進み、これまた手堅く日本が誇る大手自動車メーカーに就職した。両親が自慢の息子だと、ご近所に触れ回ったのは昨日のことのように覚えている。
でも両親は美亜には地元就職、そして地元での結婚を望んでいた。そんな堅物両親を説得したのは、同居している母方の祖母である。余談だが美亜の父は、婿養子だ。
齢80を超えても矍鑠としている祖母星野鞠子は、星野家のドンである。
そんな祖母鞠子が兄と同居することを条件に都会行きを許してくれたのなら、両親とて否とは言えない。結果として美亜は実家を出ることを許可された。
以上が大都市を選べなかった理由であるが、実はもう一つある。諸般の事情で、美亜は上京した知人に会いたくなかったのだ。
……という経緯があったにせよ、美亜の都会暮らしはまぁまぁ順調に始まった。
──それから三年後。
本日は待ちに待った給料日。しかも金曜日だから、一ケ月頑張った自分へのご褒美に、高級チョコレートとワインをプレゼント。あと行きつけのバーからお裾分けしてもらったチーズスティックも。
自宅のマンションに戻れば外資系で働く彼がいて、キラキラした創作料理を作って待っている。
彼の料理に舌鼓を打った後は、週末恒例の映画観賞。もちろん洋画。恋愛もの。
ワインを飲み過ぎて、眠くなった私を彼は優しく抱き寄せて……。
なぁーんていう夢は腐るほど見るが、実際、美亜が手にしているのはビールとメンマとサラミ。
夢見た未来とは、なんか違う。全然違う。しかし、これが現実だ。
美亜が思っているより、都会は厳しかった。
新幹線を降りて憧れの都会に立った時、街はキラキラしていた。
ギネスブックにも載ったツインタワーに、なんかグルグル巻きのどっかの専門学校のビル。
何より都会の象徴である地下鉄が走っているし、街を歩く人たちはスーツ率が高くて、トラクターなんて一台も走っていない。
そこで私は生きていく。誰よりも輝くキラキラ女子になってやる!
そう決意した美亜であったが、現実はそんなに甘くなかった。
田舎ではそこそこ可愛いと言われた美亜は、都会なら仕事なんて幾らでもあるし、希望する仕事に簡単に就けると思っていた。
だが、キラキラ女子が働きそうなお洒落な職場の求人は皆無。稀にあっても、書類選考で落とされる。
そりゃあ求人自体は、地元に比べたら段違いにある。でも、キラキラ女子が働く職場じゃない。
最初から妥協するなんて私じゃないと意地を張った結果、美亜は新卒時期を逃した。見るに見かねた兄が派遣社員という道を進めてくれた。
半年、居酒屋でバイトしたことはノーカウントということで。
それでも都心で、大企業にお勤め。気の置けない友人もできて、お化粧だって上手になったし、カラーリングした髪は都会色のセミロング。
とにかくド田舎暮らしより格段にあか抜けた。
でもやっぱり何かが違う。
まかり間違っても、給料日に一人寂しくコンビニでビールを買う生活を夢見ていたわけじゃない。
美亜は手に持っているエコバックに視線を落とす。
街灯の明かりに反射した金ラベルはキラキラしているが、なんか違う。
一ケ月頑張ったの自分を労り、来月の給料日まで頑張るためにも、もっとテンションを上げるべきなのだが、その足取りはトボトボだ。
「……あー、寂し」
恋人と同棲するわと言い残して、兄は三か月前に家を出て行った。
オフレコにする代わりに半年間家賃を半分持つと言われ即座に頷いた自分は、現金な奴ではなくて兄想いの妹だ。
親の期待を一身に背負い、生真面目に生きてきた兄の人生初めての冒険を、妹である美亜は心から応援している。
ただ一人になった2DKのアパートは、びっくりするほど静かで、否が応でも孤独を感じさせる。
季節は秋。それだけでもおセンチな気分になるというのに、人恋しい冬になったら、一体自分はどうなってしまうのだろうかと不安になる。亀でも飼おうか。いや、駄目だ。あいつは冬眠する。
ならいっちょ本格的に彼氏でも作ろうか。
ーーなどと、思ったのが間違いだったのだろう。背後から、聞き覚えのある声がした。
「おう、美亜。偶然だな。久しぶり、元気してたか?」
声の主は元カレである、山崎圭司。
都会暮らしで初めて作った彼氏であり、黒歴史でもあったりする。
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