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あ!これドラマで良くあるやつ
博の噂の真相を東野に伝えると約束してくれた課長は、そのまま美亜を愛車で自宅まで送った。
道すがら、二人はずっと無言だった。何か一言でも喋れば、そこからまた余計なことを言ってしまいそうで。
でも課長は、美亜が車から降りる時にこう言った。
「しばらく仕事が忙しくなるから、金曜日は来なくて良い。また連絡する」
言い換えるなら、連絡するまでマンションには来るなということ。
どうして?そう尋ねようとした美亜だけれど、その間を与えずに課長の愛車は去っていった。
あれから数日たって、今日は金曜日。スマホを幾たびも確認するけれど、課長からは何の連絡も無い。
本当にボランティア活動をしなくて良いの?と聞きたい。でも毎日会社で顔を合わす彼は課長で、自分は派遣社員。接点が無さ過ぎる。
企画部の最前線に立つ課長と、裏方オンリーの自分は直接業務に携わる間柄ではないし、まして世間話ができるほど課長はフレンドリーな人柄ではない。
……というのは言い訳で、美亜は怖いのだ。課長に話しかけて、冷たくあしらわれるのが。
『出来の悪い天狐で、すまないな』
あの日、課長のマンションで、自分は言わせてはいけないことを課長に言わせてしまった。
誰にだって、心の中に触れて欲しくない場所がある。
もちろん、美亜自身にだってある。そこに触れられたら堪らなく痛むし、そもそも絶対に触れて欲しくないから、何が何でも死守したいし、隠し通したい。
そうわかっているはずなのに、自分は課長の踏み込んではいけない領域に土足で入ってしまった。
あの時の、悲しいような遣る瀬無いような、それでいて観念したような表情を浮かべる課長は、今でも脳裏に焼き付いている。
美亜にとって課長は、特別な存在だ。
課長に必要とされればされるほど、過去の自分を好きになれる。言葉にしなくても伝わる家族ではもらえない肯定感を、課長は美亜に与えてくれるのだ。
実のところ、美亜は無遠慮に課長に接しているように見えて、本当はいつも計算している。このくらいなら大丈夫かな?と。
そして計算してみたところ、今、課長に話しかければぞんざいに扱われる。スマホからメッセージを送ったとしても、同じ結果になるだろう。
わだかまりを解くきっかけを課長から与えて欲しいと願うのは狡いことだとわかっている。でも、わかっていてもできない自分がいる。
「……本当に駄目だな、私」
不甲斐ない自分が悔しくて、つい心の声が漏れてしまう。
「そんなことないよー。星野さん、頑張ってるじゃん」
すぐに隣の長坂綾乃から、慰めの言葉を頂戴した。
しかし綾乃は、業務上の評価を口にしただけのこと。ちなみに彼女は、現在、己の入力ミス箇所をせっせと修正している。
ちなみに時刻は定時5分前。修正作業がまだまだ終わらない綾乃は、残業確定である。
「長坂さん、良かったら手伝います」
少しでも課長に話しかけられる機会を得たい下心から、綾乃にこそっと囁けば「大丈夫、大丈夫ー。彼が迎えに来てくれたら適当に終わらせるから」と残念な返事が返って来た。
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