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ここで追い打ちをかけるように、もう一人の正弘が姿を現した。
突然出現したもう一人の正弘は、ちゃんと人の姿をしていた。
10歳前後だろうか。華奢な体型でパジャマ姿。少年独特のふっくらした頬は青白いけれど、場違いなほどニコニコと笑っている。
「お兄ちゃん、そんなのほっといて僕と一緒に遊んでよ」
博に駆け寄る正弘は、無邪気でお兄ちゃんのことが好きで好きで仕方が無いといった感じだった。
だけど、それが薄気味悪い。
いや、そもそも同じ人が二人現れた時点で異常だ。もしかして幽霊は何体いてもアリというルールがあるのかもしれないが、そんなものは知ったこっちゃない。
とにかく不気味で、異様で、常識から逸脱している。
それは博も同じだったのだろう。甘えてくるもう一人の正弘に顔を強張らせた。
「来るな……お前は、正弘なんかじゃない」
片腕は暴れる泥人形ーーもとい本物の正弘を抱きしめて、反対の手で害虫を追い払うように動かした博に、偽物の正弘は眼を丸くしたと思ったらくしゃりと顔を歪めた。
「……お兄ちゃん、どうしたの?どうしてそんなことを言うの?僕の事、嫌いになったの?」
最後は涙声でパジャマのズボンをギュッと握る姿は、とてもいじらしくて痛々しい。
けれども偽物の政弘は、ここで憎悪の視線を博に向けた。
「お兄ちゃんが僕を産み出したのに、今さら何言ってるの?」
少年とは思えない冷たい声だった。
「僕と遊んでよお兄ちゃん。僕だけ見てよ。僕以外のものに興味なんか持たないでよ。その汚いヤツ今すぐ捨ててよ!」
爪でガラスを引っ掻いたような不快な声が部屋に響く。泥人形の政弘が気が触れたように暴れ出して、博の腕から離れていく。
ダメだ。博の側から離れちゃ危険だ。
今、パジャマ姿でいる政弘は鳥居までダッシュを決める時に追いかけてくる禍体と同じ感じだ。負の心の欠片が寄せ集まってできた集合体。
見た目こそ限りなく人に近いけれど、これは人に災いをもたらすもの。
「博さん、ドロドロの方の政弘君を守って!」
もっと他に言いようがあったかもしれないが、端的に伝えるにはこれが一番だ。っていうか、それしか思い浮かばなかった。
幸いにも博は怒りを覚えることなく、泥人形の政弘を再び抱き締める。悔しそうに奇声をあげながら地団駄を踏むパジャマ姿の政弘を見て、自分の判断が正しかったことに美亜はほっと胸を撫で下ろす。
とはいっても、これは一瞬だけ危機を回避しただけにすぎない。根本的解決をしなければ、なんだかとても最悪な状況になる予感がする。
なら、どうするかーー美亜はごくりと唾を飲んだ。
どうすれば良いのかはもうわかっている。ただそれをやりたくはない。
ここに来て保身を考える自分がひどくずるく、嫌な人間に思える。でも、でも……
そんなふうに美亜が躊躇っていれば、事態はどんどん悪くなる。
「お兄ちゃん、また僕を殺すの?あのとき、一人で死んで怖かった。辛かった。お兄ちゃんがお医者さんになってくれたら、僕は死ななかったのに……嘘ばっかり付いてひどいよ」
憐れみをさそう言葉は虚言でしかない。でも博にとってその言葉は胸をえぐるものなのだろう。
「……ごめん」
苦し気に顔を歪めて謝罪をする博に、手応えありと感じたのか偽物の政弘は「じゃあ、それ捨ててよ」とあり得ないことを言いやがった。
絶望した表情を浮かべ項垂れる博を見て、美亜は人の心を的確に揺さぶる偽物の政弘は、大したものだと思う。
だが、こうも思っている。生きてる人間舐めんなよ、と。
「博さん、しっかりしてよ!」
喉が痛いほど叫べば、博は我に返って本物の政弘を強く抱き締めた。
すぐに偽物の政弘は悔しそうに再び地団駄を踏む。そしてまた博に何か言おうとしてーーやめて美亜を見た。
虚空の瞳に見つめられて怖気が走る。直感でヤバいと思ったけれど、もう遅かった。政弘は無表情でこちらに向かってきた。
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