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笑ってバイバイ
三度目のそこは、恐怖より懐かしさの方が勝っている。
課長から天狐になった風葉が敷いた神路には、美亜と風葉、それから博と正弘ーーあと、偽物の正弘の計5人がいる。
「ねえ、おじさん僕のことを殺すの?」
パジャマ姿の偽物の正弘は、風葉から切っ先を向けられているというのに、物怖じしないで小首をかしげる。
「そうだ」
おじさんと言われてムッとしたのか、それとも子供らしくない悠々とした態度が気に入らないのか、風葉の声は苛立ちを含んでいた。
いや、苛立ちなんてもんじゃない。彼は静かに怒っていた。
しかし偽物の正弘は、へぇーと憎らし気に笑った。
「僕を殺すのは良いけれど、そうなるとお兄ちゃんも死んじゃうよ?僕とお兄ちゃんは一心同体だからね」
ふふんと胸を張って言う偽物の正弘に、風葉はちっと舌打ちをして博に視線を向ける。
「おい、お前。何をした?」
「……え、俺?……俺??」
目を白黒させていた博は、ものの見事に狼狽えた。
確かに、突然わけのわからない空間にぶち込まれ、尻尾と耳の生えた男にぞんざいに問い掛けられたら動揺するなというほうが無理な話である。
とはいえ、そんな悠長なことは言ってられない。
「早く答えろ。お前が弟が苦しんでるのも、おそらくそのせいだ」
「なっ……そ、そんな……俺が正弘を……」
「後悔は後にしろ。事態は一刻を争う。弟が悪霊になって俺に抹消されたくないなら、さっさと答えろ」
お前の血は何色かと聞きたくなるくらい人情に欠ける物言いに、へたりこんでいた美亜は思わず風葉の袖を握る。
「課長……あ、違う。風葉さん、もうちょっとマイルドな言い方を」
「お前は黙ってろ」
「……うぃっす」
ギロリと睨まれ、美亜は閉口した。
しょげる美亜を風葉はもう見ていない。更に苛立った様子で、再び博に「早くしろ」とキツイ口調で急かす。
固唾を飲んで見守ること数秒、博は己の腕を風葉に突き出した。
「俺……ここに正弘の形見を埋め込みました。もしかして……これが原因なんですか?」
袖を捲った状態で向けられた博の腕には、古い傷跡があった。加えて一か所だけ、ケロイド状に醜く盛り上がっている部分がある。
うわ、痛そう。ついさっきも見たけれど、改めて見るとかなりの傷だ。何より腕の中央に向かって引き攣っている部分は、傷が塞がった今でも触るだけで飛び上がるほど痛いだろう。
なのに風葉は、一目見た途端、虫けらを見る目になった。
「愚かすぎるな。お前、どうせ何かを呪いながら自ら形見とやらを埋め込んだんだろう?これが元凶だ。それが足枷になってお前の弟は逝くことができずに苦しんでいる」
「そ、そんな!……お、俺は知らなかったんだっ。ただ俺は……弟のことを忘れたくなくって……」
「知らなくても、そんなつもりがなくったって呪いは成立する」
刃物のような風葉の言葉に、博は嗚咽を上げながら拳で地面を何度も殴った。悔やんでも悔やみきれないといった感じで。
「お兄ちゃん、そんなことをしても僕はいなくならないよ」
いっそこのまま腕を壊してしまいたいと願うように地面を叩く博に、偽物の正弘はクスクスと笑いながら言う。
「お兄ちゃんと僕は、ずっと一緒だよ。僕はお兄ちゃんのこと大好きだもん。離れ離れになんかならないよ。あははっ」
「黙れ」
両手を広げてクルクル回り始めた偽物の正弘を止めたのは、風葉だった。
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