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職員から軽んじられているのは僕も同じだった。都内の大学を卒業してM市役所に入職してまもなく一か月。同期入職の連中は企画部や都市計画部などの花形部署に配属されて、未来を嘱望される新人として大切に遇されている。しかし僕は入職初日、新年度の式典にも出席しないまま叔父に連れられてこのフロアに来たきり、同期の誰とも交流らしい交流をもたず、空気のようにここにいる。
周囲は僕をこんなふうに見ているらしい――叔父、つまり雉子岡良介の下に配属された得体のしれない新卒職員。雉子岡の同類なら、ワケアリの縁故採用か、よほどの無能か。
僕は少しも気にならない。こうして叔父のそばにいられるときめきのほうが大きかった。縁故採用といわれればそのとおりだし、それに――ほんとうの仕事のことを思えば、無能と思われていたほうが都合もいい。
ただし、叔父のようにいかにも滑稽な身なりをするのには抵抗があった。だから、要領は悪いがごく普通の若手職員と見える程度には、見ためには気をつかっている。馬鹿々々しい厚底眼鏡もかけていない。
窓からは夕陽が長く差し込んでいた。四月も末になり、ずいぶん日が長くなったものだ。僕はぼんやりと窓の外を見た。M市役所の庁舎は、再開発された駅近エリアのタワービルに入居している。「青少年みらい課」も、窓からの眺めだけは素晴らしかった。僕はしばらく、暮れなずむ東京郊外の街並みに見とれた。
そのとき、僕のスマートフォンがスーツの内ポケットで震えた。定時の午後五時半を知らせるアラームだ。僕はそっとパソコンをシャットダウンし、ほとんど何も入っていないビジネスバッグを手にして席を立った。
執務室を出るとき、これも毎日のくせで、壁にかかった時計を見あげる。
一秒の狂いもない電波時計は午後五時三十分三十秒を指していた。
おもてむきは昼あんどんを装っている僕らの、ほんとうの仕事はこれからはじまる。
退勤する職員でごった返すエレベーターホールをそっと通り過ぎ、非常階段に通じるドアを細く開けて身体を滑り込ませた。すばやく周囲に視線をはしらせて、誰にも見られていないことを確認する。異状なし。
非常階段の手前には無骨で巨大な業務用エレベーターがあって、僕はその前に立って「上」のボタンを押した。心の中で数を数える。一、二、三、……十四、十五。
業務用エレベーターの扉は、ボタンを押して十五秒後に開いた。乗り込みながら「閉」ボタンを押し、続いて市役所が入居する最上フロアの階数ボタンを押す。
最上フロアには市長室や広報室、秘書室がならんでいる。そしてその一室には、ほんの三十秒前に帰り支度を整えて出ていった叔父がいるはずだ。僕はそこに合流する。
―― 第2話「まばゆい」に続く
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