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第3話・帳
人は見た目が十割――ではない。人はギャップに満ちている。
僕は蜜柑ちゃんの運転する車に乗るたび、つくづくそう思う。
蜜柑ちゃんはすばらしい運転技術の持ち主だった。国産の、やたらと図体のでかいクロスカントリー仕様の高級車は、僕たちが乗り込むやいなや発進する。発進したこともわからないほどスムーズに。僕は蜜柑ちゃんがカーナビを参照しているのを見たことがない。画面は常にオフだ。強引な車線変更や割り込みも、周囲にそれと悟らせないうちに素早くやってしまう。左折だろうが右折だろうが、ごくわずかなハンドリングで流れるように曲がっていく。
M市役所庁舎を出て約三十分。車は新宿副都心エリアに入った。夕闇にネオンが映えてきれいだ。蜜柑ちゃんは新宿駅東口付近の、通行人であふれる狭苦しい道路をぐいぐい走った。クラクションなど鳴らさなくても、人々はすぐに、巨大な高級車に道を明け渡す。
「こういうとき、高級車のでかいボディとマークは強いよなあ」
後部座席でゆったりと脚を組んだ叔父が呟いた。車は何度も右折と左折を繰り返し、やがて人の気配の途絶えた暗い進入禁止路に入っていく。いつものことながら僕はじわりと緊張した。これはもちろん道路交通法違反だ。だから誰にも見つからないうちに、車が目的地に到着した瞬間、僕らはすばやく降車しなければならない。そして蜜柑ちゃんはすばやく移動しなければならない。
車は歌舞伎町の裏通り、小さな雑居ビルの前にすうっと停まった。僕と叔父は急いで降車する。ドアをバタン、と閉めた次の瞬間には、蜜柑ちゃんと高級車は煙のように姿を消していた。
このあたりには古い雑居ビルが建ち並び、表通りに店を出す飲食店や風俗店の事務所が多く入居している。僕らがこれから訪問するビルも、他と同じように古ぼけて夕闇に沈んでいた。かたちばかり防犯灯がともってはいるが、そのひとつは蛍光灯が切れかけて、チカチカと不安定な明滅を繰り返している。
僕が叔父に連れられてここに来るのは二度目だ。いかにも大儀そうに動くエレベーターで三階に上がった。ガッコン、と大きく揺れて停まったエレベーターを出ると、僕はすばやく叔父の前に出て、目の前の鉄扉のインターホンを押した。キンコーン、と間延びした安っぽいチャイムが室内に響くのが聞こえる。
「はーい、開いてるよ」
室内から男の声で返事があった。僕がドアを引いて開けると、叔父がスラックスのポケットに両手を突っ込んで入っていく。僕もそれに続いた。
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