第3話・帳

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 室内はアパートを改装した事務所になっている。狭い廊下を通って奥に進むとリビングがあって、くたびれたソファに男が座っていた。煙草を吸いながら大音量のテレビを見ている。叔父と同年代、三十代半ばに見える。原色のどぎつい開襟シャツを着て、髪は整髪料でてらてら光っていた。色男だ。しかし蛇のような目つきが、僕はあまり好きではなかった。叔父はダイニングテーブルの椅子を引きながら男に声をかけた。 「よう、零士(れいじ)。連絡ありがとう。俺にも一本ちょうだい」 「良介、禁煙したんじゃなかったのか?」 「したよ。禁煙は何度だってできる」  叔父は零士が笑いながら投げてよこした煙草とライターを器用に受け取る。悠然と火を点けて煙を吐き出した。 「それで、どこ?」 「バッティングセンターの裏にあるボーイズバーにいる」 「店の名前は?」 「クラブ永遠(とわ)、っていう店。きれいな子だし稼げるんで、ちゃんと身元調査したら住所不定、年齢不詳だとわかった。いまはママが養ってるらしい。健全経営の店だからトラブルはごめんだというので俺のところに相談がきた。顔を見にいったら『招き猫』だったよ」  叔父は煙をくゆらせながら黙って話を聞いていた。  そう、僕と叔父のほんとうの任務とは――、「招き猫」の保護および捜索。つまり「猫探し」だ。  「招き猫」とは、ある不思議な現象によって猫が人間の姿になったもののことだ。  猫たちは自らの意志で人間になる。人間になるには、猫神様とよばれるもののところへ赴いて「月なし夜の約束」を交わさねばならない。  しかし猫神様のもとへたどり着くのも、人間の姿になって飼い主のもとへ戻るのも、猫たちにとっては難しいことらしい。その結果、大量の迷い猫が発生する。  路頭に迷った招き猫の末路は悲惨だ。だからそれを防ぐため、僕や叔父のような「猫探し」が保護や捜索にあたる。  保護や捜索にあたっては民間の協力者、つまり、零士のような「連絡係」の存在が不可欠だ。彼らは、僕らと同じく「招き猫」を見分けることができる。日ごろは正体を隠して暮らしているのも同じだ。たとえば零士は、表向きは風俗店を経営しながらこの界隈の世話役を引き受けている。猫から人間になったばかりの「招き猫」は子どものように無防備で、良からぬ人間につけこまれやすい。ここのような繁華街に紛れ込んでいることも多い。叔父は歌舞伎町のほかにも、六本木、渋谷、池袋、上野といった繁華街を中心に「連絡係」とのネットワークを持っていた。 「ありがとう。報酬はいつもの方法で入金しておく」 「どうも。……なあ、その大金の出どころはどこだ。まさか市民の血税じゃないだろう。反社か。教えろよ」 「ノーコメント。反社会的勢力とのかかわりはないとだけ言っておく。余計な詮索は命取り。『過ぎた好奇心は猫を殺す』というぞ」  叔父は煙草の火をもみ消して腰をあげた。それを零士が呼び止める。 「良介、戻ってくるよな?」 「『招き猫』が言うことを聞いて、うまく保護できたらな」 「良介なら首尾よくやるだろう」 「どうかな」 「待てよ」  零士が慌ただしくソファを立ってきて、叔父の腕を引いた。そして僕が見ていることなどおかまいなしに腰を抱き寄せ、見せつけるようにキスをする。叔父も彼のやりたいようにさせている。僕はそっと目を伏せて、二人が身体を離すのを待った。叔父はいつも、こんなふるまいを僕に隠さない。  叔父にとって僕は、仕事の手足にすぎないのだ。  少しだけ悲しかったが、片思いだからしかたのないことだと自分に言い聞かせた。          ――第4話「夜気」に続く
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