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第4話・夜気
僕と叔父は、「連絡係」の零士から聞いたボーイズバーに向かっている。ネオンサインで昼間のように明るい通りを並んで歩いた。四月下旬の温んだ夜気はいろいろな匂いをはらんでいる。たくさんの人の息の匂い、煙草の匂い、アルコールの匂い、飲食店の揚げ油の匂い。僕はちょっとうんざりして、歩く速度を緩めた。叔父の斜め後ろを歩く。叔父はすぐに気づいて声をかけてきた。
「なんだ、どうした」
「なんでもない」
「具合でも悪いか」
「大丈夫」
叔父もそれ以上は聞いてこなかった、僕は彼のかすかな香水の匂いを求めて、それとバレないように距離をつめる。そして小さく息を吸った。香水だけではこの匂いにならない。僕は叔父の体臭と香水の匂いが混じりあった、この香りが好きなのだ。
「招き猫」が紛れ込んでいるという目的の店には、零士の事務所から歩いて五分ほどで着いた。古いバッティングセンターの裏手にある小ぎれいなビル。そのビルの二階に「クラブ永遠」の看板が出ていた。僕らは階段で上がっていって、どことなくメルヘンな雰囲気の白いドアを開けた。
「いらっしゃぁい。……あら」
明るく出迎える声が沈む。カウンターのなかから、和服姿のママがきまり悪そうにこちらを見ていた。豊かな結髪と切れ長の目。バーの経営者というにはずいぶん若く見えるが、女の年齢はわからないものだ。僕とさほど年齢が変わらないようにも見えるし、案外、人生経験が豊富そうにも見える。後ろ盾がいるのか、若返りの術をつかった化け猫か。午後七時前、開店したばかりで客はまだいない。スタッフもまだバックヤードにいるのだろう。
「ごめんなさい。一見さんはお断りしていて」
「違うよママ。零士の手先。『青少年みらい課』の者です」
叔父がおどけた物言いで、手品のように名刺を差し出す。そこに記された名前はもちろん偽名だ。自治体名もロゴマークも、この界隈を管掌する区役所のものになっている。名刺の連絡先に照会されたらデタラメはすぐにばれてしまうが、この街の人々はそんな愚かな真似はしない。世話役が紹介した人物を疑うような行動をとったと知れたら、この街での商売は成り立たないからだ。叔父も彼らの微妙な関わりあいをよく把握していて、だからこそ平気でニセモノの名刺を差し出す。
ママは名刺を受け取り、ほんの数秒、僕らをじっと見た。
品定め。この人物が信用に足るかどうか検分している。
黒目がちの目がすばやく僕らの顔、身体つき、身なり、靴までスキャンしたのがわかった。結果は――。
「あらやだ、申し訳ありません。どうぞ。カウンターでいいかしら」
「お邪魔します」
ママの笑顔にうながされて、叔父は颯爽とカウンターのスツールに腰をひっかけた。長い脚を組む。うっとりするような身のこなしだ。僕もその横に並んで腰かけた。ママはおしぼりやグラスを出しながら叔父のことをチラチラ見ている。僕は叔父が「猫探し」の仕事で上等のスーツをまとう理由をあらためて思い知る。叔父の中身はもちろん極上だが、素晴らしい包装でいっそう引き立つ。
「ユウくんはいま、バックヤードで支度しています。呼んできますね」
ユウくん、というのが「招き猫」の名前らしかった。ママがカウンターの奥の、たっぷりと襞をとった深紅のベルベットカーテンを少しめくって中に声をかけている。ユウくんちょっと、とささやくような声が聞こえた。
ママが僕たちの前に戻ってきた。その後ろからそっと顔を出したのは、二十歳そこそこのきれいな顔をした少年だった。猫神様は、猫たちを人間の姿に変えるとき、身体のどこかに猫だったころの面影を残してくれる。目の前の少年は色白、サラサラの黒い髪、そのすきまからのぞくのは――、金目銀目だった。白猫に多いオッド・アイ。僕は彼の澄んだまなざしにみとれた。
――ああ、彼は「招き猫」だ。
第5話「ユウ」に続く
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