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夜の逃避
「帰るんですか?」
「そう」
「逃げるんですか」
悠里子は浩介を見つめた。
「そう」
「あれですか? 前の男に傷つけられた系ですか?」
「そうよ。悪い? 無駄な時間はもう懲り懲り……。松田くん、私が好きなの?」
浩介の声、目、身体、全てが真剣に答えた。
「好きです。ずっと前から」
「そう。でも無理。好きとか愛してるとかそんな戯言……。私の心はね、そんな嘘っぱちで醜いもんを摂り過ぎちゃって重たいの。心に贅肉がついてるの。わかる? じゃあね」
悠里子はオフィスを出てエレベーターに乗り込んだ。
「待って!」
閉まる寸前の扉を浩介が止め、乗り込んできた。上着は着ずに腕にかけているが、それにしても帰り支度が早過ぎる。
残業するほどの業務などなく、悠里子と二人っきりになるのを狙っていたのだろう。
「まだ雨が凄いですよ」
悠里子は答えなかった。確かに雷が轟いているようだ。
浩介は折り畳み傘を出した。
「駅まで送ります」
「いい」
「じゃあこの傘持ってって下さい」
「いい。あんたみたいな男に貸し作るとロクなことないから」
「じゃあきちんとレンタル料を貰います」
「しつこい!」
一階に着き、ロビーを早足で通過する。
虚勢を張ったものの、外に出た途端に目が眩むほどの稲光と爆発音が襲った。
「やっ!」
悠里子は浩介の胸に飛び込んでしまっていた。濡れてびしょびしょの身体を、浩介はまた抱き締める。今度は正面から。
「原さん。めっちゃ可愛くて……俺、変になりそうなんですけど」
「うるさい!」
「タクシーとめますね。どこかで雨宿りしなきゃ」
「どこかってどこよ」
「そうですね……。朝陽が綺麗に見えるホテル……とか?」
「あからさま過ぎない?」
悠里子は笑い、観念した。
浩介に何も期待はしていない。
また同じ痛みを味わう羽目になるかもしれない。だけど……。
仕事に逃げ、恋する同僚達を妬み蔑む……。そんな現状から逃避せねば……。利用してやればいい、この男を……。そう考えた。
悠里子は浩介の胸から離れ、それから浩介のネクタイを捻じり上げた。
「原さん……?」
自分よりも背の低い悠里子に胸ぐらを掴まれ、浩介はたじろいだ。
「大人しくしてりゃいい気になりやがって。覚悟なさい、坊や」
「え……キャラ崩壊してません……? それはそれで唆るんですけど……」
「うるさい」
悠里子は浩介を引きずり、嵐の中へと踏み出した。
了
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