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3
じわじわ漏れ始める予感がしたそのとき、
「失礼しまーす」
とドアが開く。私たちはいっせいにふりむく。
ノックもせずにドアを開けるとは。なんという愚か者。案の定、部長の逆鱗にふれる。
「なんだ! ノックくらいしろ!」
「しましたが、部長の声が大きくて聞こえなかったようなので」
入ってきたのは佐藤雄大。わるびれるようすがない。
「なんだ! 面談中だぞ!」
「すいません、でもそのお客様の件、悠太さんじゃなくて俺かもしれないんです」
「なに!」
部長の怒りが佐藤雄大にふりむいたのがわかる。
「俺と佐藤浩二が一緒に担当してるんですが、俺かもしれないです」
佐藤雄大がそう言って佐藤悠太を示し合わせたように一瞥する。
すると佐藤悠太が「部長、謝ってください。俺じゃないですよね」と追い打ちをかける。
部長は私を見る。どういうことかと問い詰める厳しい目だ。
私がとっさに「いったん整理しましょう」と提案すると、佐藤悠太が食い気味に言う。
「加藤さん、整理するほどむずかしくないですよ、俺じゃなくて雄大かもしれないって本人が言ってるんですから。部長が謝ればそれで済むんですから」
たしかにそうだ。部長が佐藤悠太に謝ればそれで済む。そして佐藤雄大と苦情の件を話せばいい。早とちりやまちがいなんてだれにでもある。なぜ謝らない。昭和の頑固親父か。
「礼儀を知らんやつとは話さん! 下がれ!」
部長はまた怒鳴って机を叩き「早く下がれ!」とくりかえす。
佐藤悠太がふてぶてしく退室すると、部長は消しゴムを手にとった。なにをするのかと思いきや、それを佐藤雄大めがけて投げつけたのだ。
消しゴムは佐藤雄大の顔にぶつかった。とつぜんの大人げない行動に、佐藤雄大は驚きを隠せない。私は隣で少し漏れている。
「これで何度目だ!」部長は憤怒の形相で目尻をひくつかせている。
「俺だとすると一回目です」
佐藤雄大は不貞腐れている。
「嘘つけ! 三度目か四度目だろう!」
部長はふたたび机をたたく。まるで尋問だ。取調室だ。
「いえ、今回の件が俺への苦情なら初めてです」と佐藤雄大。
「ふざけるなよ! 加藤が何回謝罪に言ってると思ってるんだ!」
部長は勘ちがいしている。佐藤姓は30人位いる。左藤姓も含めると31人位だ。仮に今回の件が事実だとすると佐藤雄大は初めて苦情を頂いたことになる。佐藤雄大は正しい。漏れそうだけど私は勇気を振り絞る。
「部長、私が以前に謝罪に伺ったのは佐藤浩二の件です。佐藤雄大ではありません。ですのでもし今回の苦情が佐藤雄大宛ですと確かに初めてです」
部長はだいぶ苛立っている。歯軋りしている。
「初犯だろうが再犯だろうかそんなのどっちだっていい! お前じゃないなら下がれ!」
部長がふたたび机を叩くなり「謝ってください部長」と佐藤雄大が言うから、私はすごい勢いで佐藤雄大を見る。常習犯扱いされて不快になる気持ちはわかる。が、なぜたてつく。
「苦情の日付はいつでしょうか? すぐ調べます」
佐藤雄大はジャケットからスマホをとりだして部長を促す。
部長はパソコンを睨みつけながら「今月の5日だ」と答える。
すると佐藤雄大は「その日は有給を頂いてました。俺じゃないです」と即答する。
部長はパソコンを睨んだままだ。
「謝ってください」と佐藤雄大はきっぱり言う。「初犯とか再犯とか消しゴム投げつけるとか、ひどすぎませんか? 謝ってください」
「鬱陶しい! 下がれ!」
もう何度目だろう。部長はまた机をたたく。机のうえがコーヒーでびしょ濡れだ。グレーのスーツも濡れている。
「いちおう俺も録音してましたので──」
そう言って佐藤雄大がポケットからボイスレコーダーをとりだして見せると、部長は肩を怒らせて拳を固めて机をたたいた。
「うるさい!! 下がれ!!」
部長の眼差しが殺人鬼のようでおそろしい。もうじき私は漏れるだろう。
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