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しかし、約三年苦楽を共にした仲間だ。お互いが何を思い、どんな考えを持っているか一人一人が理解していたと思う。
衝突する中で、段々と一人一人が互いの意見に耳を傾け、それぞれの思いを推し量っていくようになった。そうして、少しずつデザインが決まっていった。大人数でああでもないこうでもないと、頭を抱えながら一つの作品に向き合う時間は楽しかったし、力を合わせ少しずつ形になっていくことにやりがいを感じていた。
私は馬のモチーフを担当したのだが、これが難題だった。何度も構図を変えてみるものの、納得がいかない。私は頭を悩ませ、部長や副部長、エリナ、アイにも助言を仰いだ。しかし、思い通りにいかない。
私が身もだえているとウミが言った。
「それでいいんじゃない? わたしは良いと思うよ。それに、もう時間もないしさ」
あっけらかんと、いつもの笑顔で言い放つ。とりあえず、その場で私は「そうだね」と言ったような覚えがある。しかし、火に炙られて焦げ付いたような思いがジワジワと胸に広がっていた。
部活が終わって、下校時刻になり家に着いた頃、真っ黒な焦げつきは消し炭となってボロボロと崩れ落ちた。
部長も副部長もエリナもアイも、真摯に私の抱える悩みに答えてくれた。ここはこうした方が良いんじゃないかとか、この部分はもっとこうするべきだと。私の熱意を汲んで、精一杯バックアップしてくれた。
ウミ以外、誰一人として、私に妥協を諭す者はいなかった。
私は自室で一人泣いた。訳もわからず泣いた。次々と涙が溢れて止まらなかった。この涙が何を意味するのか、15歳の私には分からなかった。分からない感情だった。
だけど、今なら分かる。あのときの涙は、屈辱と憤慨から流れたものだということが。
あの頃の私は美術部に自分のすべてを捧げていた。上達しなくて苦しくても、必死に描いた。努力が功を奏し、評価されれば嬉しかった。それ以上に、自分の表現が理想に近づいたとき、最大の喜びと誇りを感じていた。私の胸には確かに熱意があった。
だからこそ、私はウミのことが許せなかった。三年間、燃やし続けてきた熱意に冷水をかけるような発言をしたウミが許せなかった。私の三年間を蔑ろにされているような気がしてならなかったのだ。
思い返せば、ウミに対する嫌悪のタネが育ち始めたのはこの頃からだったかもしれない。
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