魔法使いが目覚める、恋と魔法のレシピ

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 コトコトと、鍋の中でじっくり煮込まれた野菜の角がとれ、甘味が湯気に立ち昇る。  空には昔ながらのホウキにまたがる影よりも優美な飛行船が浮かび、都会の台所にガスも普及した今も、僕たち魔法使いは火の魔法を使う。  ガスは鍋を均一に温めるが、好奇心の強い魔法の炎は食材それぞれに語りかける、と先生は真面目な顔で教えてくれた。  これが魔法使いとして重要な試練だと自覚してからは、毎朝気合いが入る。  日々努力を重ねてきた味への自信と魔法使いの弟子としての使命感と、尊敬して止まない先生への愛情も込めて。  試される緊張もあるが、先生が口にするものを毎日作ることは素直に嬉しい。  ちょっとだけ恋人みたい、と図々しく浮かんだ夢想を慌てて首を降りかき消した。  ただの浮かれた朝食作りではなく、切実な魔法使いへの真剣勝負だと自分へ釘を刺し、木べらを握る手に力を込める。  歳より幼く見られることが多いが、あと三年も修行を積めば僕も一人前の魔法使いと呼ばれる18歳になる。  着実に一つずつ研鑽してステップを登り、いつかは僕も先生に並び立つ、理知的で頼もしい大人の魔法使いになってみせる。  豊かな湯気は草原豚の燻製がカリカリに焼ける脂と合わさり、寝室まで届けと木べらでぐるり円を描けば、お腹の減る香りに目がない淡い光の毛玉、風綿たちがふわふわと集まり戯れ、やがてキッチンのカウンターを飛び出し湯気を運び舞った。  青い見習い魔法使いの証のローブを腕まくりし、中途半端に少し伸びてきた黒髪を耳にかけ、こうして料理に奮闘するのも弟子入りして一年でだいぶ慣れた。  すっかり調理道具が充実してきた少し背の高い、空色タイルのキッチン。  カウンター越しのダイニングは広い窓の外に広がる森の樹木そのままの茶褐色で、色とりどりに塗り分けられた各部屋のドアは先生の趣味で、装飾のように眩しく可愛らしい。  その中で一番深い緑の、扉の向こう側。  寝室には僕がこの世で一番敬愛する、大好きな魔法使いがこんこんと深く眠っていた。 「魔法使いの弟子の一番大きな仕事は、魔法使いを起こすこと」  何かの謎かけかと、僕が首を傾げたのは弟子入りした最初の日のこと。  灰褐色の髪に切れ長な琥珀の瞳の、初めて目にした時はローブを羽織った厳格な天使の彫像かと思った長身の先生は、しかしひねった冗談など言いそうにない鋭利な顔立ちのままこちらをじっと見詰めた。  見上げる首が痛み、最初は身長を伸ばす魔法を教えて欲しいと思ったことが懐かしい。  もしかして力の強い魔法使いにもなると皆あんな顔と長身になれるのかと若干羨みつつ、起こすの意味にうっすらと疑問を抱えたまま一晩寝入った翌朝、早速先生の真意を知ることになった。  初めて入った寝室で、目を伏せれば整った顔立ちが余計に際立つ寝顔に、 (これは毎朝心臓に悪い……) と、ほんの少し鼓動を速めながら声をかけ、布団越しに軽く揺すっても先生は起きるどころか寝息すら乱れなかった。  ならばと、若干の罪悪感を覚えながら勢いよく布団を引き剥がそうとすれば守りの魔法に弾かれ尻餅をつく。  眠る時に無防備になる魔法使いたちが習慣的に使う魔法なのだと、後に淡々と朝食のポタージュスープに口をつけながら先生は教えてくれた。  強く攻撃する者ほど強く弾き、お陰で悪意のある相手に至ってはこの家に近づくことすら出来ないという言葉通り、あの日から森の中の一軒家で先生と暮らす日常はごく稀に一握りの来訪者を許すぐらいの、日がな一日森の静寂なさざめきに包まれた、穏やかな平和だった。  つまり住み込み弟子である自分が起こさなければ、極上の静けさに守られた先生は、ほぼ誰に邪魔されることもなく延々と眠り続けてしまう。  この家で涼やかな美貌の持ち主とずっと二人きり、と呑気に照れている場合ではない。  魔法使いは使った魔力の消耗を、睡眠と食事で回復する。  強い魔力を使うほど良く食べ良く眠るため、先生は大概自分一人では起きることが困難になっていた。  守りの魔法が発動しないよう乱暴にはせず、しかし確実に。  初めてようやく起こした時、先生は控えめなあくびを噛み殺しながら、有難うと大きな手で撫でてくれた。 「スゥが来てくれて助かったな。この前は大きな魔法を使ってから、うっかり半月ほど寝てしまった」  少し開いた衿元から覗く鎖骨の流線から目を逸らしつつ、これは大役だとようやく理解した。  しばらくはどう起こすかひたすら四苦八苦し、いっそのこと一緒に寝るのが一番てっとり早いのでは? と提案して、珍しく手を滑らせ皿を落とし割った先生に却下され、その内に大事なことに気がついた。  魔法使いは睡眠と食事で回復するということは、力の強い魔法使いほど睡眠と食事を大事にする。  本物の魔法使いの最後の一人とも讃えられる先生は、予想に漏れず美味しいものに目がなかった。  あれから一年かけて、先生の味の好みも把握してきた。  ハーブが並ぶ棚から、干した満月木の葉を詰めた小瓶を選びコルクを開けて一枚、野菜が混じり合う鍋へ落とす。  満月木の葉から溶けだした淡い月光に包まれ、スープの中は仮初めの夜にまどろみ、ものの数分で一晩寝かせた深い味わいになる。 「5分の夜のスープ」と先生が呼び気に入ってくれている、失敗知らずの得意料理だ。  呼応するように緑の扉の向こうから、うん……と眠りの浅い低い声が聞こえた。  どんな目覚めの言葉より、一番強力な魔法が届いたようで、口元が緩む。  きっと今日も先生は、涼しい目元を少し柔らかくして褒めてくれるだろう。  僕の頭を軽々と覆う大きな手の感触を思いだし、胸の内がスープのように幸せに浸り温かくなる。  僕が目指す大人な男からはかけ離れたくふくふとした笑みがこぼれ、呼応するようにパン焼き釜からも、フツフツと香ばしい麦の甘い香りが充満してきた。  先生は特に、素朴な甘い香りが大好きだ。 スープの仕込みに手をかけたから発酵いらずのパンを焼いてみたが、うまく仕上がったようでほっと胸を撫で降ろす。  ミトンをはめて赤く染まる釜に木のピールを差しパンを取り出すと、これこそが魔法のように、充満した香りがキッチンいっぱいに花開いた。  みっちりと重量感を持って膨らみ、パリッと割れた皮の割れ目が空腹に染みる。  そろそろ頃合いだ。  スープを沸かせる火の魔法に蓋をし、パンをプレートに載せ、腕まくりをほどきながらカウンターを越えてダイニングの向こう、緑の扉をノックする。  うまく起こせただろうか?と考えるより先に。 「おはよう、スゥ」  起きたばかりの低い返事に嬉しく、扉を開く。  森の緑がいっぱいに広がる大きな窓から朝日が惜しみ無く降り注ぎ、新鮮な光の洪水に目を細める。  弾けたばかりの綿帽子の布団は、体の大きな先生がゆったりと眠れるベッドを大きな翼のように覆い、美味しい香りを寝室まで運んでくれた風綿が一つ二つ、半身を起こした先生の肩から羽のように零れ落ちて、額縁を添えれば高位天使の絵画だなと、名作を観賞をする大衆の一人になって見とれてしまう。 「スゥ?」  荘厳な天使の唇から自分の名前が再び発音され、慌てて背筋を正した。  クールで理知的な男は、朝の挨拶をスマートにこなすものだ。 「おはようございます。ハクメイ先生!」 「有難う、今日もスゥのおかげで随分と贅沢に起きられた」  甘い匂いが堪らない、と期待していた手の平が僕の髪を撫で、随分と贅沢な気持ちにさせてもらっているのは僕の方なのに、と子どもっぽい笑顔になるのを噛み殺しながらベッドに身を乗り出し先生に顔を向ける。  心なしか先生に撫でて貰える時間が、最近少しずつ延びているような気がして、表情筋がちっともクールを形作らない。 「……そろそろスゥも俺の魔方陣を使わずに、自分の力で魔法を使えそうだな」 「僕一人の力で?」  先生は僕の右手を掴み、長い指の腹で僕の指先をゆっくり撫でた。  一瞬心臓が速く駆ける。 「これだけ美味しそうなものが作れる良い手なら大丈夫」  目の前の、男の弟子が指を撫でられ顔に血が集まりのぼせる気持ちなんか先生は知るよしもないだろう。  焼きたてのパンの芳香よりも、日に日に甘さを増していく優しい慈愛に浸され、表情が溶けていく。  先生は実直な面立ちを楽しそうに口の端をつり上げて笑い、その前に朝ごはんだと僕の耳に顔を近づけて、染みる声で語りかけた。 「最近ますます料理がうまくなって、毎朝腹が減って仕方ない」  所在なく袖を握る僕の空いた左手の中が、始めて一人で魔法を使う緊張のせいだけではなく、汗に濡れる。  先生との日常は平和で静寂で、少しドキドキする。  ダイニングのカウンターに毎朝二人並んで食べる時、先生は必ず「美味しい」と「有難う」を惜しみ無く口にする。 「今日のスープも一段と美味しい」 「パンも店が開けそうだ」  ご飯よりも甘くて幸せで、美味しい時間。  隣で僕の作ったご飯を一緒に食べてくれるだけでふわふわとホウキで足が宙に浮く気持ちなのに、真っ直ぐな無数の褒め言葉が耳の奥をくすぐりこそばゆい気持ちになった。  ボウルに残ったスープも丁寧にパンですくいとり、凛とした目尻をほころばせて口に運び噛み締め味わってくれる。  言葉ばかりでなく丹念に楽しむ先生の所作がなお嬉しく、僕も口いっぱいに味わい頬張ると先生は、 「よく噛まないと」  優しい苦笑を浮かべていた。  一緒に暮らすうちに浴びるほどに知った、凛々しい顔立ちとは裏腹に甘い優しさが大好きで、そんな先生の期待に一人前の弟子として余すところ無く応えたい気持ちはより強くなる。  スープが空腹を埋め尽くしパン皿もすっかり綺麗になった頃、二人ご馳走様と手を合わせてから、 「まだパン生地の余りがあると、言っていたな」 「はい、ここに」  丸めて布巾に包み、氷の魔方陣を敷いた壺にしまっていたパン生地をテーブルに置く。 「これなら、雨の魔法に使える」 「雨? 雨って空から降る天気の雨ですか?」  パン生地から程遠い単語に反射的に聞き返したが、先生が言う雨言葉のままに雨のことだった。 「ここ暫く降っていないからちょうど森も喜ぶだろう」  使い方がまるで検討もつかないが、先生はパン生地の材料と作り方を細かく確認し、丁寧に工程をまた褒めてくれた。  いつか先生と肩を並べるクールでかっこいい魔法使いを目標にしているのに、締まらない顔ばかりしている気がして、ぐむむと踏み潰した蛙みたいな声が思わず漏れた。  表情と気持ちをシャンとさせねばと、咳払いを一つする。 「スポンジケーキに使う、膨らし草の実を使ったんです」 「なるほど考えたな。これだけフワフワしていれば、きっと雨の子も喜ぶ」 「雨の子ですか?」  ぐるりとあらゆる方角の窓へ目を向けてみても、遥か遠い小さな三角の山々の切れ端まで、森の頭上にはどこまでも青い空が一点の陰りも無く続いている。 「これだけ見渡す限り青空なら、雨の子は一番近くても東に120ウォークは先の、空滝の頂上ぐらいにしか居ないように思います」  雨を降らせる雨の子は、雨雲に住む。  雨雲を自分で動かす力は雨の子には無いので、降らせたければまず雨雲が空にある必要があるというなんともままならない話で、ゆえに降雨の魔法は中々聞くことがない。  雲を運ぶ風は気まぐれで、遠くまで仕事を頼んでも不真面目に遊んでしまう。 「これを元に特別なパンを焼いて雨の子を呼んでもらう。少し材料を足すだけでいい。『魔法の雨のパン』のレシピを教えよう」  雨を呼ぶ魔法のパンとは初めて耳することで、子どもの頃に魔法の本を初めて開いた時のようにだんだんワクワクしてきた。  先生の言うままに、氷レーズンに炒った笑いクルミ、流れ星の滴を生地に練り込む。 「拳一つ分の生地を残して、他のパン生地には空風の実を絞ったものと、海の蜜を入れて、丸く成形する」  全部入れた大きなパン生地と、材料が二つ足りない小さなパン生地を成形し、赤々と燃えるパン焼き釜にピールで差し込む。 「流れ星が落とした滴の輝かせ方は覚えているか?」 「ええと、確かこう……?」   幼子の胸をさするように静かに子守唄を口ずさむと、釜の中でパンがシュワシュワと応えた。  夜に輝く星たちは、まばゆい朝日に眠り優しい子守唄で目を覚ます。 「滴が流星の輝きになったな、上出来だ。後は釜に任せて焼き上がりまで待てば良い」  どうやら魔方陣どころか、特別な呪文も使わないらしい。  やっていることは、朝ごはんを作ることとほぼ変わらない。  お茶のお代わりを二人分淹れ直しながら、これも褒めて労ってくれる先生の彫りの深い横顔に、僕も将来はきっとこう成長するのだと固く誓いながら待つと、やがてまた香ばしい香りが強く立ち込めてきた。 「スゥ、窓の外を見るといい」  先生が促した先には、家の煙突から立ち上った分厚い煙に一際大きな白い光の毛玉がチラチラと集まってきた。 「パンの香りに、風綿たちが集まってきましたね。それにしても随分と大きい」  煙のリボンにはしゃいで舞う、特大の毛玉たち。 「可愛いですね。」 となごむ僕は、風音に消える先生の「……スゥの方が可愛い」と言う小さな呟きを聞き逃した。 「……あれは特に速風の綿だ。うまいパンが焼けたなスゥ、白く立ち上っているのは煙風になったパンそのものだから、豊潤な香りと味に誘われて、珍しいものが大好きな一番足の早い風綿たちが迎えにきた」 「え、あの煙がパンなんですか?」  ガラス越しに揺らめく煙をまじまじと凝視しながら、声をあげる。  先生はささやかな秘密を明かすように優しく噛み砕いて語ってくれた。 「そうだ、流星の役割を思い出し瞬く滴は、願いに反応する。だから混ざり合う物の中で一番主張の強い空風の実が望む姿に、練り込まれたパンごと巻き込み煙風に変えた」  朗々と講義をする先生の言葉を残らず吸収し聞き漏らさまいと頷く間に、遊んでいた速風綿たちは何やら集まり頭を付き合わせて相談するような仕草の後に、一斉に東へと駆けていった。 「この辺りに住む風は好奇心旺盛で、顔が広く友好的だ。暖かい東方まで良く遊びに行く。スゥ、空滝の頂上に住む雨の子たちが、どこで産まれるか知っているか?」  頭の中で、先生の書棚にあった妖精たちと風土の関わりの本をめくる。  魔法の勉強とは直接関係ないが、知的な先生に少しでも近しい自分になりたくて、片っ端から読み漁った甲斐があった。 「えーと……東の暖かい雨雲は、南の人魚たちに祝福されて雲になったと本で読んだことがありますから…さざなみ海のあたりでしょうか?」 「よく覚えていて偉いな」  先生はまたわしわしと撫でてくれ、嬉しい声が漏れそうになり、唇を泳がせる。  猫だったらきっとゴロゴロと喉を鳴らしていた。  かっこよくクールな魔法使いになるには、中々道のりが険しい。 「顔の広い速風綿たちも、きっと良く知っている。そしてパンに入れた海の蜜、あれはさざなみ海の波から採れたものだ」  程なくして東から久しぶりに見る黒い雲が迫ってきた。 「雨の子たちがまだ空に舞う前、赤子の頃に味わっていた久しぶりの故郷の味だ」  雲からは風と雨がゴウゴウと喜びはしゃぐ声が渦巻いている。 「空滝の頂上に居座る雨の子たちを雨雲ごと呼べるのは、魅力的な遊びの誘いと懐かしく美味しい味。そして運ぶのを助けてくれる強い風の友達」  黒い雲を纏った速風綿たちと、水で出来たエルフの子どものような影が共に踊って歌っているのが見えてきた。 「空に上ったら普通ならもう口にすることがない海の味だ。友達が滅多に食べられないご馳走を見つけたら、こんな遠くにでも招いて誘いたくなるだろう。速風綿たちは仕事を頼んでも不真面目だが、遊ぶことは大好き。  森は唸る雲で覆われ、窓をポツポツと濡らし始める。  「この上無い手土産を見つけたらすぐに飛びつき喜んで友達の元へ駆けて行く。面白いものを見つけた子どもと同じだ」  空を賑わす歓喜の舞いが、渇いた森を久しぶりに潤した。  初めて一人で全て組み立てた魔法が、成功した。  僕が作った、魔法の雨のパン。  感慨深いはずの気持ちに、一つ微かな疑問がわく。 「こんなにあっさり雨を呼べるなんて…なぜこの魔法はあまり知られていないんですか?」 「魔法使いのアカデミーでは美味しいパン作りなんて教えないからな。この魔法は、魔法を使って雨を降らせようと考えて使うと成功しない」   先生がパン焼き釜にピールを差し込むと、材料が二つ足りてない小さく取り分けていたパンだけ、ふっくらと焼き上がって現れた。  ふかふかの湯気をたてたパンを先生は二つに千切り、片割れを僕に渡す。 「取り分けた分は、俺とスゥの分だ」  かぶりつくと柔らかい氷レーズンと笑いクルミの食感の違いが楽しく、海の蜜の潮の香る濃く甘い味わいが口の中で広がる。 「焼き菓子みたいで美味しいですね」 「ああ、とても美味しく出来ている。スゥの作った魔法は、食べる人に喜んで食べて欲しい、という強い想いを込めて美味しく作らなければ成功しないんだ」 「そんな料理みたいに発動する魔法、初めて聞きました」 「魔法なんて一番大事な部分は本来そこだ。魔方陣の描き方を覚えるより大事なこと」 と、先生は美味しそうにまたお菓子のようなパンを齧った。 「強い魔力より、力を借りる相手のことを良く知り、心を込めて向き合うこと。毎朝スゥが作ってくれる味の好みまで考えて奮闘してくれる朝食なんて、まさに魔法そのものだ」  いつも美味しい朝食を有難う、と今朝のようにまた指先を撫でるから、胸が勝手にまたときめいてしまう。 「雨を降らすのは友達と香りに誘われた雨の子たち、パンの香りを空滝の頂上まで運ぶのは、友達と遊ぶのが大好きな速風綿たち」  先生の指は僕より少しひんやりとして心地いい。 「俺たち魔法使いに出来ることの本質は、美味しいパンを焼いて喜んで食べてもらうようなこと。シンプルで難しくて、偉大な魔法だろう」  体温を分けあう、先生の指と僕の指。  朝から積み重なる甘い触れ合いの数々に、胸から愛しさが疼き溢れそうになって、僕も撫でる先生の指をギュッと握り返す。  強い魔力よりも、心を込めて向き合うことが大事。  先生の言葉が胸に強く響く。 「ハクメイ先生、僕の料理も魔法だというのなら」  大きな自分の心臓の音を騒々しく聞きながら、大好きな琥珀の瞳をじっと見詰める。 「毎日朝ごはんに込めているハクメイ先生が大好きという気持ちも、先生に届きますか」  そうして先生の心に暖かい花のような気持ちを贈れたら嬉しいと、素直な心のまま笑いかけた。  ちっともかっこよくは無いけれど、魔法のパンを焼くようにそのままの自分で、大好きな先生に向き合い心を伝えたくなったから。  尊敬と愛情。  いつもなら僕が少しでも笑えば一緒に微笑んでくれる先生は予想に反してなぜか、見たこともないむず痒く何か噛みしめたかのような表情を浮かべ、先程食べたパンに込めた魔法が何かしくじって発動したのかと脳裏に不安が過って束の間、掴んだ指ごと大きな手のひらで強く包むように覆われた。  僕よりひやりとして少し硬い指の腹がなぞり絡まる。 「もう、充分届いている」  先生の感触と、愛しいと付け足された低く短い一言に、今度は僕が火の魔法にかけられたように、指の先から熱を灯した。
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