108人が本棚に入れています
本棚に追加
「あ……」
膝が崩れ落ちそうになる。いや、まだだ。もしかしたら職場であるソープランドにいるかもしれない。笑う膝を叱りながらランドセルを蹴り飛ばして家の中にいれ、両親が働いている場所へ行こうとした時だった。向かいのアパートの窓から顔なじみの耕人のおばさんが顔を出して、「キーチちゃん!こっちや!」と声を潜ませながら、怒鳴った。
「お母ちゃんと、お父ちゃん、ここやで……!早う、会うたり!」
「おばちゃん……」
「ここやよー、静かに来るんやでー」
おばさんが手招きする。喜一はコクコク、と勢いよく頷いてから転げるように走って向かいのおばさんの家に飛んでいき、迎えてくれたおばさんを突き飛ばすようにして家の中に入った。
「おとうちゃん!おかあちゃん!」
「キーチか」
「お父ちゃん!」
両親はいた。部屋の隅に、一枚の毛布に二人でくるまって座っていた。
仕事中だったのだろう。父も母も、うんと白塗りで、唇に紅を引き、瞼に紫のアイシャドウをつけていた。どちらがどちらか。一目には解らない位のよく似た夫婦は憔悴しきっていた。おばさんが気を利かせて「じゃあちょっと、あんたらのアパートに行って着替えとか取ってくるわ」と言って部屋を出た。喜一は両親に抱きつきながら、ぐすん、と涙ぐむ。
「今日学校にヘリコプターが降りてきて……龍人がおって……めちゃくちゃ怖かった……」
「そうか」
「途中でキクちゃんに会って……みんな……逃げとった。俺らも逃げよ。逃げて……」
「キーチ……よく聞いてほしい話がある……」
父は、優しい目をしながら喜一の話を遮り、言った。喜一は頷く。
「うん、聞く」
「ありがとうな……。キーチ……僕らは君がほんまに可愛くて仕方ない。君は僕らの宝や。お山を追われて……仲間と散り散りになってな……男に体を売る浅ましい真似をしながら生きてる僕等にはもったいない位のええ子や……」
「そんなこと」
「ええから。黙って聞いてほしい。たのんます……お願いや……キーチ」
父はそう言って一本の腰紐を取り出して、喜一に手渡した。母は黙っている。黙って、父に縋りついている。
そして父は、息子に懇願した。
「頼む……僕の首を絞めてくれ……」
最初のコメントを投稿しよう!