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二人が握りしめた長ドスは、同じ凶器であるのに随分使い方が違っていた。市川はおっさんから忠実に古武術を受け継いだ。特に、居合、抜刀術が彼には性にあった。何か騒動があった時、二人の男はその凶器を手にした。野崎は最初から長ドスから鞘を抜き払い、正面に構えて飛ぶように相手の頭部を叩き割りに行く。市川は注意深く相手の動向を見て、敵が逃げるのではないかと言う方向へすっ、と移動して敵が来たなら、地面すれすれにまで背中を屈め、白刃しらは抜ぬき様ざま、腕の一本、二本、指数本。それくらいをばっさり切り落とせば敵はその場で取り押さえられた。死にはしない程度。殺さない。だが、その後どうなったかは二人は興味がなかった。金。金。金が欲しかった。自分達が自由でいられるための金を大阪に稼ぎに来た。
二年。
悪い仕事をした。特に二人に後悔、懺悔の気持ちはなかった。二人がいれば、それでよかった。大阪でくすぶっている【外道】に声をかけた。
「滋賀の片田舎で、でっかいことをやる。ついてくるか」
その一言を、出会った【外道】報われない人生を送っている花人に片っ端から二人は声をかける。
そして二年後。野崎は中古の、おんぼろビルを購入した。
噂を聞きつけた男の【外道】、女の【外道】、儚い姿をした花人の男、女。集まってきた。
色んな匂いのする花人が集まってきた。
瞳に星屑をちりばめた男が集まってきた連中に言う。
「【お山の中】に帰ろうや。あんたらの出身は解らんが。俺達の集落に行ってみたくはないか。そこは段々畑の跡地でな……ふかふかの苔のむす大地で、みんなしてまぐわうのじゃ。いろんな香りで満たそうやないか。花人達の、楽園に帰ろうやないか。俺達は耕人やない。花人や。まぐわいが好きや。それがあかんのか……?いいや、悪くない。俺達は、悪くない。ええか、みんな。スケベして、金を稼いで、山を買うで!」
花人。外道。彼らには夢などなかった。ただ搾取され、嫌われ、まともな職にもつけず、好色だと笑われ、龍人に攫われ、悲惨な人生を早く終えたい、早く消えたい、死にたい。そう願っている者達は少なくなかった。
そこに夢を与える。本気にさせる。仲間を作る。
野崎はそういうことに関しては天才的な男だった。うそ。はったり。でたらめ。人はそう呼ぶ技を、野崎は平気で使い、そしてそれを現実にした。
【極楽蝶】と【地獄蝶】。そして、外道ばかりのならず者の私設の街の見回り隊は、いつしか【外道組】と呼ばれるようになった。おりしも高度成長期が終わりを告げ、なだらかな期間……そして、バブルがやって来た。
札束が飛び交い、欲望が満ち溢れ、モノを作れば売れ、金は天下の回りもの、とでもいうように散財を金持ちから一般階級までが乱痴気騒ぎを起こした時期だ。
バブル。
乱痴気。
そして、色欲。
それを満たすのが花街だ。
急激に極楽町は活気を帯びた。世相も野崎達に味方した。夜のネオンが付く。一大歓楽街の大通りには、【極楽町】の名前が輝き、大きなパネル二枚にはデカデカと【極楽蝶】【地獄蝶】の文字が闇に舞う。三年後には十店舗ほどの花人と外道しか働かない風俗店を切り盛りするまでになった野崎と市川は、日々、札束を数え、余計な新参者が街に入らないように気を配るのが仕事になった。少しは懐が温かくなった二人は野崎のおっさんに金を渡そうとしたが、おっさんは頑として受け取らなかった。
「俺に渡す金なんか、どこにもないはずやろ……。お前らはその体、魂、鬼に売ってまで欲しいもん買うと決めたんや……。それまで、お前らが自由に使える金なんか、一銭もあらへんはずや」
そう、言ったので二人は素直に頷いた。
二人の生活は質素だった。ボロアパートに男、二人暮らし。布団が二組くらいしか家財道具はない。身に着ける物は安いスーツ、二着。ネクタイ一本。白いシャツ五枚。せいぜいこんなものだった。余計な金などない。山を買うのだ。花人達が自由でいられる山を、買う。その為に鬼になった。
黒い墨で描かれた龍をまとって市川は野崎を抱く。花の柔らかな質感までも描かれた刺青を背負った男が男に貫かれて、甘く吼える。びしゃ、びしゃ。濡れる。股から水を垂れ流す。お互い。夜は電気をつけないで、月明かりも、吹き消すネオンのいやらしげなピンクのライトが部屋に入る、その、灯りの中、お互いを見つめあい、抱いた。抱かれた。無言で、笑い合って、気のすむまで抱き合ったら、お互いぴったり寄り添って、こう囁く。
「【山の中】に、かえりたいなあ」
「【山の中】に行きたいなあ」
行った事も見たこともないのに。
帰りたい、と思った。
その願いが叶ったのは、市川喜一が二十二歳。野崎聡美が二十七才。二人が出会って七年後の事だった。
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