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苦肉の心理戦
「頼もう~」
幸村は、関ケ原以来、久々の戦に正直、胸が高鳴っていた。
関ケ原の合戦から十三年程が経っていた。
大坂城に着いた幸村は懐かしそうに城を見上げていた。
古びた着衣。白髪交じりの薄毛で髷を結うのもやっと。関ケ原の合戦後、父・昌幸と共に高野山に流罪、九度山で蟄居生活。監視のもと真田紐を作り売り、食うや食わずの貧しさから、肌艶も悪く、歯も抜け、痩せこけた老人にしか見えなかった。
門番は、その男を見て訝しそうに警戒していた。
「何やら怪しい者がおりますなぁ」
「見るからにご老体。物見遊山か、この時期に紛らわしい」
「よく見れば見る程、怪しく見えますな」
「兵を募るを知って、どこやらの山賊崩れが血迷ったのか」
すると、老人がとぼとぼとと門へと近づいて来るではないか。門番は、急ぎ足で老人に近づき、その行く手を阻んだ。
「待たれ~、そこの者、どこへ行く。ここは大坂城なるぞ」
幸村は、にやりと笑って見せた。その口元からは歯が、二本しか見えなかった。不機嫌な顔で幸村は、胸元から書状を取り出し、門番に渡した。
「真田…幸村…様…これはご無礼致しました。お通り下され」
入城を許された幸村の後ろ姿は、腰の曲がった小柄な老人以外の何者にも見えなかった。それを密かに監視していた者がいた。徳川方の密偵だ。豊臣の不穏な動きを注視し、誰が豊臣方に就いたかを、探るためにだ。
幸村、登城の知らせは、直様、京都所司代の板倉勝重から家康へ報告された。
「家康様、ご報告が」
「誰か、裏切り寄ったか」
「いいえ、真田が篭城致しました」
「ひぇ~、あの…あの昌幸がか」
「いいえ、昌幸は病死。登場したのはその子、幸村と申す者」
「幸村じゃと、知らぬは。捨て置けー。昌幸かと思い肝を冷やして損したわ、捨て置け、捨て置け」
家康は昌幸だと思い驚いたが、幸村と聞いて安堵していた。関ケ原の合戦の際、幸村は上田城で徳川秀忠と闘っていた。この頃、昌幸、信之は名を残す武将だったが、その影にいた幸村は殆ど知られない存在だった。それでも、父・兄と同行し、二度も徳川を苦しめた実績が認められ、豊臣方の重臣として参画していた。
兄・信之が敵方・徳川方にいる。いつ寝返るのか、徳川の密偵ではないのか、との疑惑の目は、厳しいものがあった。
迫害に似た目は、幸村にとっては覚悟の上での登城。怯むようなことはなかった。それ以上に、豊臣秀頼の母である淀殿の「所詮は浪人であろう。浪人の身で何を申す」という、身分制度からくる信用度の低さが問題だった。
大坂冬の陣が開戦すると、幸村は当初から、大坂城籠城案に反対の意を表明していた。城外出撃を行い、瀬田・宇治で徳川軍を迎え討つように主張。
しかし、豊臣方重臣には、兵の経験・結束不足に不安を残す者も多く、指揮権のない幸村の案は受けいられずにいた。
幸村は、由利鎌之助,三好清海入道,伊三入道,根津甚八に大坂城での戦略を話し合っていた。
「力不足は否めない。このままでは城に頼るだけの長期戦となるぞ。凍える寒さの中、徳川とて長引かせたくはあるまい。必ず、痺れを切らし、攻めてくる。その時が勝負どころと見ておる」
「して、如何になされる」
「それよ、それ。真田の戦いは籠城ありきで。敵方を誘い、一気に叩き潰すこと。城内に砦を築きたいと申し出たがあっさり断られたわ」
「それでどうなされます」
「しつこく歎願致した甲斐あって、根負けしよったわ。城外ならばと言うことでな。幸い金数のことは心配に至らぬとのことじゃ」
「それでどこに砦を築かれると」
「城の在り方をこの足で丹念に調べた。流石に難攻不落の大坂城と言われるだけあって、天晴れよ。城の西に海、北に川、東に沼地、しかし、南だけはなだらかな丘陵でな、ここが唯一の弱点。儂が徳川ならここを攻める。よって、ここを補強するために真田丸を築こうと思う」
「真田丸ですか、それは宜しいかと、若様」
「その呼び方を止めぬか。里であれば良いが、老いぼれに若様とは気恥ずかしいではないか」
「いや、止めませぬ。長年、慣れ親しんだ呼び名。いつまでも若さを保って頂くためにも止めませぬわ」
「好きにせい」
「あはははは」
真田丸完成への時間を如何に短縮し、効果的に工事を進めるかは、幸村の頭の中には既に用意されていた。
工事は豊臣の財力に物を言わせ、急速に進められた。幸村は、大坂城の三の丸南側、玉造口外に地形を利用した三日月形の土作りの真田丸と呼ばれる出城を築いた。
お堀のように土を積み上げ、砦側の盛土には、三つの柵を設けた。敵が攻めてくれば、隊列を分散、足止めする柵だ。駆け上がる兵を鉄砲隊を始めとする、弓、投石で撃退する強固な砦だった。家康は、真田丸を見て、感心していた。
「理に叶ったものよなぁ。あの出城は手ごわいぞ。下手に攻めれば敵の懐でもがくのみよ。さらにあの真田のこと、どのような仕掛けがあるやも。手立て見つかるまで、決して手出し無用のこと、然と通達せい」
と、家康は、真田丸を見て、かなり警戒していた。出城を前に静観する徳川軍を見て幸村は、自信を確信に変え、挑発し始めた。
「みなされ、天下に轟く徳川の軍勢が、指を咥えて控えておるわ」
「本当じゃ、本当じゃ。怖気づいて手も足も出ませぬようで」
「あはははは」
「我らの相手は、腰抜け侍だゃたのか、あはははは。東には男は、おらんようだ」
「本当じゃ、本当じゃ、腰抜け共めが。足に根が生え動けず、その気も萎えたか」
「何が徳川じゃ、東の男は腑抜け者よな」
「本当じゃ、本当じゃ、あはははは」
真田隊は、徳川軍を徹底的にこ蹴落とした。ついに徳川軍の堪忍袋の緒が切れた。
「ここまで、馬鹿にされては、もう黙ってはおられぬ」
「あやつら、好きなように小馬鹿にしよって」
「ならば、お望み通り、目に物をみせてやるわ」
「例え、家康様の指示はあろうが、我らの武士たる魂まで侮辱されて、黙っておれば、それこそ、武士の直れ」
「その通り。我らが武士たる所を見せつけてやるわ」
真田隊の思惑通り、徳川軍の先鋒隊が、堰を切ったように攻撃を仕掛けてきた。
盛土の堀を滑り落ち空堀へ。足並みは不揃い極まりなく、転げ落ちる者、土に足を取られる者、見た目より土の斜面を進むのは困難だった。
土まみれになりながら、進む隊は、隊列などと程遠い形態だった。軍勢は、もはや個々の寄せ集め、と化していた。盛土を転げ落ちる者や、四つん這いで這い上がってくる兵を見て、真田隊は、小馬鹿にした笑いを浴びせかけた。
「ほれほれ、鬼さんこちら、手になる方へ」
「しっかり、歩きなされ、母上が待っておるぞ」
「あはははは」
「もう許さん、一網打尽にしてくれるわ」
「言っておれ。直様、跪かしてやるわ」
「そうかいそうかい、はよ~きなはれや、お稚児さんたち。あはははは」
小馬鹿にされ、すっかり血が頭に登った徳川兵たちには、目前の敵しか見えなくなっていた。真田隊の挑発に乗って、血気盛んに攻めてくる徳川勢。
「小馬鹿にしよって、待ってろ。その減らず口を今すぐ黙らせてやるわ」
空堀の底から足場の悪い盛土を上がってくる徳川勢。一気に駆け上がるのを妨げる綴らに設けられた柵。急斜面を不安定な体制で登る姿は、形相と裏腹に息が上がり、体力が奪われている様相だった。
「ほぉ~、上がってきよりましたな。そろそろ、お迎え致すか」
我先に急斜面を苦悶の表情で上がってくる徳川勢に向け、まずは、鉄砲隊が次々と撃破していく。逃げ惑う兵に幾多の矢が、投石が、雷雨の如く襲いかかった。瞬く間に、空堀には、負傷して転げ落ちる者、転げ落ちる兵を受けて共に落ちる者。行き場を失った徳川勢の手負いの兵で空堀は、埋まっていく。
「相手の策にまんまと引っかかりよって、何と愚かな」
家康の焦りは、空堀の底でもがき苦しむ兵の姿に集約されていた。
挑発に乗り、指示を破り、突入する兵たちに怒りさへ覚えていた。
家康は、二度三度、突入の中止を促していた。
「手出し無用、無用じゃ、引けー」
家康の撤退指示にも関わらず、興奮した兵達は撃破されていった。家康は、為す術もなく、一方的に蹴散らされる自軍の地獄絵図に苦虫を潰すしかなかった。
家康の撤退命令は虚しく響いていた。興奮状態の徳川勢の兵たちは、真田丸の毒牙に飲み込まれ、ばたばたと、もがき苦しんでいた。あまりの惨劇に、松平忠直らは我に返り、蒼褪めた。
「撤退じゃ、撤退せいー」
手負いの兵を助け出す姿は、正に賊軍の有様だった。徳川勢が撤退するのを見て、真田隊は「えいえいおー」と、声高らかに勝鬨をこれみよがしに挙げた。
初戦にして徳川軍の被害は、尋常ではなかった。
徳川方は松平忠直隊で480騎、前田利常隊で300騎が討たれ、他にも雑兵に多数の死者を出した。勝利を挙げた真田隊の出で立ちは、異様なものだった。幸村の率いた隊は、旗、鎧、兜などの全てを赤で統一されていた。戦場に「真田あり」を知らしめる幸村の発案だった。
この戦いで、無名だった幸村は、天下に初めて武名を知らしめることになった。徳川軍は、難攻不落の大坂城、ましてや唯一の弱点であった南側を真田丸に強化され、突破口を失った。
徳川軍は、大坂城の攻め方に苦慮していた。
小競り合いはあったが、戦局を揺るがすものではなかった。そこへ真田丸という最大の難敵が、容赦なく徳川軍を追い詰めに掛かった。
時は、冬。日増しに寒さは、厳しさを強めてきていた。
野宿する兵にとって、夜間の凍てつく冷え込みは、戦意を削ぐ。食料はつき始め、粥をすする有り様。これでは体力を維持できない。暖を取るために、燃やせるものは燃やした。
戦わずして敗戦の色合いが、寒さに伴い、濃くなっていた。徳川軍には、残された時間は、僅かなものに。家康は、現有戦力での戦い方を思案していた。
一方、真田隊ら実戦経験のある武将たちは、徳川の弱体化が日増しに進んでいることを承知していた。開戦前こそ、地の利を活かした先制攻撃を主張していた幸村も、今は、ただただ時間の経緯を眺めるに至っていた。
豊臣秀頼は、戦いを好まない穏やかな性格だった。膠着状態が続く中、なぜ、このような不愉快な思いを元家臣とも言える者に味あわせられなければいけないのか…考えれば考えるほど、淀殿の怒りは、朱を濃くしていった。また、静観する徳川軍の不気味さを感じていた。
「この静けさは、何か有るにちがいない。あの狸親父が何もせず、時を過ごすなどあろうはずがない。いや、きっと、何かある、あるに違いないわ」
静寂が、疑心暗鬼の淀殿の不安を煽り、心労を重ねさせていた。
幸村の兄・信之も徳川に就き心労を重ねていた。
家康は、豊臣恩顧武将が豊臣側に寝返るのを恐れ、福島正則・黒田長政・平野長泰らを江戸に留置、その息子を出陣させていた。
真田家は二度も徳川家を撃退している。信之はいつ家康が心変わりし、言い掛かりをつけられまいかと心休まる暇がなかった。
家康に気遣い、神経をすり減らすような日々の中、弟の幸村が大坂城に登城。信之の心労は頂点に達し、家康への強迫観念から、寝込んでしまった。
「徳川家に忠義を尽くさなければならぬ時に病に伏すとは、真田家の名折れとなりますまいか」
信之は、床に就きながらも真田家への思いに馳せていた。
関ヶ原の合戦後、真田親子の命を生かした。なのに敵方に就いた真田家について難敵であると共に、恩を仇で返す態度に家康は、怒りで震えていた。信之の正室・小松姫は窮地に追い込まれていた。小松姫は思案の末、家康の養女という立場を利用して根回しに尽力した。信之は自らの態度を早々に家康に告げた。
「貴殿がご病気の場合、息子・川内守殿(真田信吉)に人数を付けて早々に出府されよ」
と、家康から出陣の際の但し書きが添えられた。家康なりの信之への配慮により、真田家の面目は保たれた。
「何事にも、くれぐれに気をつけるように」
と、小松姫は、重臣・矢沢頼幸に申し付け、嫡男・信吉に次男・信政を添え、大坂冬の陣に送り出した。
信吉は、信之と側室の子、信政は正室・小松姫との実子だった。小松姫は、父・本多忠勝の力も借り、疑いの目に晒される真田家の窮地を救った。
小松姫は、家康の無言の呪縛を痛いほど感じ取っていた。小松姫の思いは、恥じても生き長らえよ。生きていれば道は切り開かれ、希望は残る。その思いを矢沢頼幸は、しっかりと受け止めていた。
徳川秀忠もまた、家康の顔色を伺っていた。関ヶ原の戦いで大失態を犯した秀忠は、家康に随行する本多正純に使者を送っていた。
「私が到着するまで、戦は始めないでください」
と懇願し、急ぎ京都・二条城に向かった。秀忠が余りにも急いだため、二日前に出立していた伊達政宗や上杉景勝を追い抜き、味方が付いてこれず、軍列が乱れた。結局、秀忠は僅かな供回りだけを連れて二条城に入った。それを聞いて家康は
「周りを見ず、隊列を乱す失態。大将としてあるまじき事ぞ」
と激怒した。秀忠の思いは、空蝉の如く、虚しく、空回りしていた。
徳川軍に就く豊臣恩顧武将たちが裏切るのではないかと噂され、肩身の狭い思いを余儀なくされ、不協和音も目立ち始めていた。そんな折、松平忠直の陣に不審な男が迷い込んだ。男は、吉川清兵衛と言い、江戸幕府軍の藤堂高虎に告げた。
「豊臣秀頼様は、徳川家康と秀忠の両将を大坂城へ誘い込んでくれたことを喜んでいる。同士を発起し、反撃すれば約束通り、国を与えよう」
松平忠直から報告を受けた家康は、常に家臣の動向を把握していた。同士を募り、反故の動きがあれば直様、報告がある手筈となっていた。しかし、吉川清兵衛の報告はなかった。
「戯けたことよ。その者、高虎にくれてやれ。いや、待て。手足の指は20本を切り落とし、額に「秀頼」と烙印して大坂城に捨てよ、と付け加えよ」
と、家康は命じた。高虎は、家康から吉川清兵衛を引き渡されると、家臣・藤堂主膳に命じて、男を拷問にかけさせた。
家康・高虎の命令は、主膳に並々ならない緊張感を与えた。真意を吐かせれば褒美、でなければ失墜を意味していた。家臣に清兵衛を水責めにさせ、鞭を打ち、石を抱かせた。その様子を小窓から覗き見、清兵衛が弱りきった所を見計らって、主膳は、拷問牢に入って行った。
「な、何をしておる、そのような仕打ちでは、命を失わせますぞ。皆の者、この場から去れ」
と、一喝してみせた。
「大義はないか、とは白々しいか、済まぬ。辛い目にあわせたな。しかし、このような思いをしてまで守り抜かねばならぬ大事などあるのか。このままでは命を落としすぞ。それでも守るのか、見上げたものよな。よくぞ、耐えられましたな。もう良いではないか、辛い目にあうのは。儂にも慈悲の心はる。今話せば、考えを改めないでもない。どうだ、話してみないか、楽になりなされ」
主膳は努めて、優しく清兵衛に語りかけた。
「わ、分かり申した。話す、お話申す。故に命だけは…」
「分かりましたか」
清兵衛は、主膳の手の内に落ちた。主膳は、その場を去り際に家臣に目線を送った。清兵衛の前に数人の男が現れた。
「何、何をする気だ、殺す気か…約束が違うではないか」
「違わないさ、命は取らねーよ」
「では、何をする…」
「命でないものを頂くまでよ」
そう言うと、男たちは清兵衛の手をまな板の上に押し付けた。
「何、何をする…」
男たちは黙って、清兵衛の親指にノミを当てた。
「や、や、やめてくれー」
叫ぶ清兵衛を無視して、勢いよく、ノミに木槌が打ち込まれた。
うぎゃーー。その残虐な行為は、人差し指、中指と進められた。全て一撃で、指は清兵衛のもとを離れた。両手の指を失った清兵衛。切断は、足の指に移った。足の指を二本ほど切り離した時には、清兵衛の生気はなく、これ以上は死に繋がると中断した。一撃で仕留めたのは、武士の情けだった。家臣が、吉川清兵衛の仕上げに掛かっていた頃、主膳は、藤堂高虎のもとを訪ねていた。
「ご報告致します。あやつは、大野治長の家臣であると吐露致しました」
「そうか、治長の者か」
「今頃は、お申し付け通りに事は運んでいるかと」
「大儀じゃ」
「して、あの者、如何致しましょうか」
「家康公のご指示通り、清兵衛の額に秀頼の烙印をして、主の元へお返し致すがよい」
「では、早速、立ち戻り、手筈致しまする」
「後は任せたぞ」
「御意」
主膳は、大坂城の大野治長の元へ突き返すように命じた。
家臣たちは清兵衛を戸板に載せ、大坂城の門前にまで来た。それを見つけて門番が、「何事ぞ」と行く手を阻んだ。
「我らは徳川の家臣である。大野治長殿にお返ししたきものがあり、伺ったまで。他意は御座らん」
「何を返されると言うので御座る」
「これよ」
そう言うと家臣たちは、戸板を地に降ろし、むしろを捲った。
「うぐっ」
門番は、無残な姿となった人物を見、込み上げる嗚咽を堪えていた。
「そ、その者が…どうなされたと」
「この者、吉川清兵衛と名乗る者。不届きな事を犯しましてな、このような姿に。命まで奪うまでもなく、かと言って預かり置くのも難儀なこと。聞けば、大野治長殿に仕える者と申すではないか、ならば、お返しするのが筋かとお届けに参った次第。引き取られよ」
「治長様の家臣とな…いや、知らぬ、何かの間違いではないか」
「それは、難儀なことを。我らとて、持参したものを、おめおめ持ち帰る訳には参りませぬ。ここへ置き、立ち去りまするゆえ、あとはその方らで好きにするが良い、では」
主膳の家臣たちは門番に申し出を拒否されたため、清兵衛を門前に残し、立ち去った。しばらくの間、隠れて見ていたが、闇にまみれて、清兵衛の姿が見づらくなり、一旦、引き上げた。
翌朝、様子を伺いに来ると、清兵衛の姿は消えていた。その報告は家康のもとに、高虎から伝えられた。家康の心理戦がそこにあった。
密偵を捕らえれば用が済み次第死罪が常套。家康は敢えてそうしなかった。それは、冷戦の中、清兵衛の惨たらしい生き地獄は、静寂な大坂城に大きな波紋を広げるであろうと家康は読んだものだった。
男の兵たちは、生死を掛けた戦にいるから、然程もないだろう。しかし、おなごの淀殿にとっては違った。直接、清兵衛を見なくても、噂話は増幅して、何れは淀殿の側近の者の耳に辿り着く。いや、辿り着かせるために態々、「秀頼」の名を清兵衛の額に烙印させたのだから。秀頼の名があることで、見逃された事も見逃されずに響く。淀殿の耳に入れば、家康に逆らい軍門に下れば、愛しい息子も清兵衛のような仕打ちを受けるのではないかという強迫観念を植え付けられる。幾ら強気の淀殿でも、弱気になるに違いないと家康は考え、それを実行した。
寒風の中、大坂城では、両軍の睨み合いが続いていた。
徳川軍は、大坂城を兵糧攻めにするため、城周囲を蟻の子一匹も逃さぬよう、巡視を強化。家康は清兵衛を使い、大坂城内を揺さぶって見せた。それが功を制したのか、幾人か城外に出てくる者がいた。戦に耐え切れず、逃げ出してきた町人や農民たちを片っ端から捕らえ、城内の様子を詳細に知るため、微細なことも漏らさぬように、尋問に掛けた。その甲斐あって、米の取引値まで知るに至った。尋問を終えた者は指を切り落とされ、大坂城に差し戻された。家康は、戦に並ならぬ誇りを持っていた。それを生半可な浮ついた気持ちで参加し、根を上げれば容易く裏切り、逃げ出す者を、身分に関わらず、決して許さなかった。
徹底した情報収集から不可解な出来事が炙り出されてきた。大坂城内に生鮭が流通していると言う事実。
「水も漏らさぬよう包囲している大坂城にて、如何にして、貴重で高価な生鮭が出回るのじゃ」
「不可解で御座いますな」
謎は深まるばかりだった。家康は側近と思案した。
「豊臣方の出入りなど容易なことではない」
「そのような報告も受けておりませぬな」
「ならば、どうして生鮭が出回るのじゃ」
「我らが気づいていない別の出入り口でも御座いますのか」
「我らが知らぬ、出入り口とな」
「ほれ、本能寺の時、信長が穴を掘り、逃げ道としていた…」
「逃げ穴か…しかし、それならば、その穴を使い、密かに兵を配備し、我らを挟み撃ちにしすること位、考えまいか」
「そうで御座いますな」
「密かに、兵を動かすなど、言うは易し、行う難しじゃ」
「尋問からもそのような動きは見当たりませぬな」
「それを成し遂げる者がいたとするなら…」
「それ相応な鍛錬を受けた者でなければと言うことですな」
「それは、あるまい。寄せ集めの烏合の衆の豊臣軍においてはな」
「そうで御座いますな。ではどうして?」
「考えたくはないが、答えはひとつ」
「内通者で御座いますか」
「そうしか思い当たらぬわ」
家康は、慎重に調べを進めたものの、解明には至らず、幕府軍に内通者がいるのではないか、という疑念だけを深めていた。
疑心暗鬼になった家康は、豊臣恩顧の浅野長晟、小出吉英らの陣営を下げさせた。大坂城内で出回った生鮭の件が解明されないことに家康の疑念は、底なしの深みに陥っていった。誰かが嘘を付いている。しかし、表沙汰にし、自軍に新たな不安を与えることは、士気の低下に繋がる。疑い深く、心配性の家康は、巡回を自らが行うことで心を落ち着かせ、同時に緊張感を周囲に知らしめた。その姿を真田幸村の密偵が見逃すはずがなかった。
「若様、ご報告が」
「その呼び名は止めよと申したではないか」
「ははははは、そうで御座いましたな」
「それで、報告とは何か」
「家康自ら陣営を巡視致しております」
「何と家康が自らだと…影武者ではないのか」
「それはないと。声、姿、家康で御座います」
「そうか、それは良き知らせとなるやも。早速、いつ何時、どこに家康が現れるかを調べよ」
「既に、監視の目を光らせております」
「大儀じゃ」
密偵の知らせで、家康の動向を知った幸村は、ある決心を固めようとしていた。弱腰の豊臣家。増してや信用されていないと感じていた幸村は、豊臣方に相談することなく、無断である計画の実行を目論んだ。その発想は、烏合に埋もれない幸村ならではのものだった。それは、徳川家康の暗殺だった。
事が事だけに豊臣方に相談しないでいたのは、秘密漏洩を防ぐ意味合いと、反対に合い、好機を逃すのを極力、避けるためだった。
嫡男・真田大助は、後に豊臣家から咎められることを懸念し、後藤又兵衛だけに書面で、徳川家康暗殺計画を知らせていた。
密偵の調べで、家康の動向が浮き彫りになった。襲撃場所を吟味し、戦略を練った。後期は逃さない。即座に決断し実行に移す。
幸村は大助と共に、狙撃の得意な者50人と精鋭18人を率いて、11月27日の夜、天満川を発った。幸村ら一団は、博労淵の南にある葦洲の葦の中に身を潜めて、家康が来るのを待った。
ここなら、家康を引き付け、襲える。
家康が来るのを寒さに耐え、ひたすら静かに待った。寒さと緊張感を紛らわすため幸村は、大助に真田家の道筋を解いた。
「大助よ、私は今、自分の置かれている立場を疑問に思うことがある」
「何を疑問に感じなされるのです」
「そもそも、なぜ、今、私たちは家康(内府)を討とうとしている。家康に恨みなどない。ましてや闘う理由さへない。もとを正せば、関東統一を目論んでいた北条家が豊臣家の傘下に入ることに反発してのこと。その北条家は、自らの野望のために、我ら真田家が統治する沼田城が欲しくて仕方なかった。豊臣家と徳川家の緊張は、北条家よりも水面下では、一触即発のきな臭さを秘めていた。徳川家は北条家と手を結ぼうと、北条家の和睦の条件を呑んだ。その条件が、沼田の引渡しだった。家康にすれば興味もなき沼田の地。そのようなことで北条家と和睦できるのなら、容易い事。家康にしてみれば、見も聞きもしない真田家など、眼中になし。赤子の手でもひねる思いで、攻めにきたに違いない。家康は、北条家の我が儘に付き合わされただけ。北条家が、沼田の地を家康に託さなければ、こうして家康を敵として見ることはなかったであろう。熟考せずに我らに手を出したがために、争うことに。火のない所に煙は立たず。その火元は北条家であるのに…。こうして家康を狙っておる、因果なもじゃ」
「そうでしたか、私には理不尽にも家康が攻めてきた、と言う思いでしかありませんでした」
「それは仕方なかろう。我らとて、沼田の地を徳川家から貰ったものであれば、思案したであろう。しかし、沼田の地は、父上が苦労して獲得した地。おいそれ引き渡す理由など、どこにもない」
「御意」
「しかし、その頃、真田家は訳あって豊臣家に臣従していた。秀吉は、北条家を臣従させたかった。そこで沼田の領地の内、利根川から東を北条領とし、西を真田領とする提案を秀吉は、北条に提案した」
「それは、我らにとって理不尽な提案」
「そうじゃな、それでも父上は、秀吉の性格を気に入っておられ、受け入れられたのじゃ」
「なんと」
「父上にすれば、今は秀吉に恩を売り、後に、新たに領地を開拓すればいい、とのお考えだったのであろう」
「爺様らしい」
「しかし、そんな矢先、思わぬ事が起きてな」
「重ねての無理難題でも」
「いや、違う。秀吉の提案を北条家も渋々呑んだ。それで一件落着のはずだった。その時であった」
「何が起こったのです」
「北条家は、それでも沼田領全土が欲しかった。それを察してか、家臣の猪俣邦憲が豊臣家との裁定を踏みにじり、沼田領の西・名胡桃城(真田領)を奇襲しよったのじゃ」
「猪俣は、功を焦ったのか、合点がいかなかったのでしょうか」
「分からぬ、歴史とは思わぬ所に綻びを作るよってな」
「厄介なもので御座います」
「そうよな。しかし、ことはそれでは収まらない。猪俣の奇襲に屈した名胡桃城代・鈴木主水殿は、それを恥とされ、沼田正覚寺で自刃された。父上は激怒なされ、秀吉にその理不尽さを訴えられた」
「その訴えは叶いましたか」
「秀吉も幾多の戦いを武力制圧、和睦で乗り切ってきた御仁。それを揺るがす掟破りに激怒され、北条氏に宣戦布告をなされた」
「不甲斐ない大将なら、まあまあと抑えに掛かる所、流石に爺様が気に入った秀吉の性格、不義理に厳格」
「そうよな。大助よ、覚えておくが良い。今日の友は明日の敵と」
「唐突に何で御座います」
「秀吉の北条氏への宣戦布告。秀吉は北条家に加担する家康に手出し無用を告げ、それを家康は呑んだ」
「家康は、北条家と組んで、我ら領地を狙ったのでは」
「そうよ、しかし、大義名分が出来た以上、厄介者は消す。家康は北条家を切り捨てた。それが戦国の世よ。私も、上杉、前田、松平軍と共に三万五千の兵として従軍し、北条父子を討つため、小田原征伐に向かった」
「私と父上、兄上は軽井沢で上杉、前田隊と合流。碓氷峠に差し掛かった頃、北条軍も防衛に意を注いでおった。峠道であり、大軍の動きが鈍る場所だ。そこに着眼した北条軍の松井田城主・大道寺政繁は、碓氷峠で先制攻撃を仕掛けるべく、与良与左衛門を始めとする八百の兵を置き、待ち構えておった。そうとも知らず、兄上が松井田の物見に出た。そこで待ち構えていた与良与左衛門と遭遇。兄上の隊は少数も、激闘の末、与良勢を撃退された」
「流石、叔父上」
「その後、我らは大道寺軍と遭遇。私は、大道寺軍に突っ込んで行き、引っ掻き回してやった」
「父上も、堂々たる戦いぶり」
「生意気を言うな」
そう言うと幸村は、照れたような笑みを浮かべていた。
「碓氷峠を突破した私らは、松井田城下に殺到した。松井田城は、北条方も防衛に自信を持つ要害堅固な城だ。秀吉は、得意の付城を築き、松井田攻撃を強化した。次いで、松井田城周辺を放火し、籠城軍の士気を削ぎ、兵糧攻めに入った。その甲斐あって、大道寺軍は降伏開城する。松井田攻略の一連の作戦が、私の初陣だった」
「松井田城を攻略した私ら北陸支隊は、引き続き上野国の諸城を攻略する。箕輪城とは、上野国の要。何としても抑えておく必要があった。城主・垪和信濃守は、上野国の諸城が落ちていくのを見て動揺し打つ手なし。このままでは、壊滅を待つのみ。それを憂いた一派が城内で紛争し、垪和信濃守を城から追放。それによって、箕輪城はほぼ無血で占領することにあいなった」
「話を聞くだけで、この大助も血が騒ぎます」
「そうか。父上と私は、秀吉から箕輪城仕置きを命じられた。一段落すると、武蔵鉢形城、八王子城と陥落させ小田原包囲陣に加わった。小田原征伐に関する一連の働きにより我ら真田家は、秀吉に重く用いられるようになったのだ」
第一次上田合戦時、真田家は、武田家が臣従していた徳川家と主従関係にあった。武田家が滅び、大名への道が開かれた頃、上杉に対する備えとして上田城を築く許可を家康から得ていた。
上田城完成の年には、沼田の件で徳川を迎え撃つことになった。徳川に比べて余りにも小さな大名だった真田家。その為、後ろ盾が不可欠だった。その最適者が秀吉に就いていた、一度は家康の元で討伐を目指した越後の上杉景勝だった。真田昌幸の表裏を弁えている上杉景勝は、「風見鶏めが」と疑いながらも真田家の後ろ盾となることを約束した。
上杉家を取り巻く大きな勢力である、北条家と徳川家。その中間に位置する真田を支援することは、上杉家にとっても損な案件ではなかった。その際、昌幸は、一度は攻めようとした上杉家の信頼を得るため、次男の幸村を人質として上杉に差し出した。
第一次上田合戦が起こった時も、幸村は上杉家の治める海津城にいた。合戦の知らせを聞いた幸村は、景勝に申し出た。
「お家の大事で御座います。出陣のお許しを」
「それはなりますまい」
「何故で御座います」
「そなたは、真田家が差し出した、言わば人質ですぞ」
「私が…ですか」
「知らないでおったか、昌幸から申し出たことよ」
「それは何かの間違いではあるまいか」
「間違っておるのはそなたよ。理解されたら、この上杉に心して仕えるが良い」
「ぎょ、御意」
その後、昌幸の裏表比興が如実に現れる。影勝が秀吉のもとへ上洛した留守の間に、昌幸は幸村を呼び出し、秀吉に出仕させ、気に入られ、真田家は豊臣家の直臣となった。家康の行動を把握していたはずだった。
「それにしても、家康の奴、遅いな」
幸村が家康暗殺の実行日に選んだ11月28日は、苦肉も激しい雨が降り、非常に寒い日になった。家康陣営は、幸村の意図を知るはずもなかった。
「家康様、本日の巡視は取りやめられては」
「何を言う、そのような隙を設けて如何する」
「ごもっとものことで御座います、が、この天海、胸騒ぎが止みませぬ。ここは私を信じ、お聞き届けを」
「胸騒ぎとな…そなたの勘は当たる故にな」
「今までも幾度か、私の勘は的を得ております。その勘が、家康様の危機を知らせておりまする」
「…あい分かった。ここはわしが折れるとするか」
「有り難きこと」
「しかし、巡視の目を緩める訳にはまいらんぞ」
そこで本多正純が言い放った。
「ここは、私が参りましょう」
「そうか、くれぐれも気を付けよ。天海の勘は当たるでな」
「肝に銘じておきまする」
高齢の家康を心配し、南光坊天海と本多正信が巡視を中止させ、父・正信の指示を受け、正純が巡視を代行した。
「若様、参りましたぞ」
「来たか」
「あれは…家康なのか」
「あの旗は、本多正純ではあるまいか」
何故、この日に限って…幸村らは落胆の色を隠せなかった。
「本多正純でも良い、ここは討ち取って手柄に致しましょう」
と、兵たち幸村に進言した。
「いや、家康でなければ討っても意味がない」
勝負師としての幸村が、この間の悪さを嫌い、暗殺を未遂とさせた。幸村の立てた徳川家康暗殺計画は、南光坊天海と本多正信の家康への提言によって、未遂に終わらされた。
大助が、極秘の暗殺計画を後藤又兵衛にだけ書面で知らせていたのは、虫の知らせだったかも知れない。
慶長19年(1614)12月のとある日、徳川家康が大坂城の南側を巡視した時のことだった。
「あれは、家康ではないか」
「間違いない、家康だ」
家康を発見した豊臣方の兵は、家康を射止めようと鉄砲を構えた。偶然、後藤又兵衛は、そこに出くわした。
「何をしておる」
「これは又兵衛様、あれに見えるは家康、この好機を逃す訳には参りませぬ」
「いや、待て」
「何故、お止めになりまする」
「あのような名将は、鉄砲で討ち取るものではない」
と、厳しく言い放ち、撃ち方を止めさせた。もし、これが又兵衛なく、幸村だったら…歴史とは面白きもの。
幸村の行動は、膠着していた時の針を動かした。
徳川暗殺未遂の翌日、11月29日未明。蜂須賀至鎮、池田忠雄、石川忠総ら徳川方の各隊が、博労淵の砦を水路と陸路に分かれて豊臣方の蒲田兼相隊を急襲した。その際、兼相は、神崎にある遊郭で遊女としっぽり、しけこんでいた。大将が色事に励み留守にしていたため、兵の統率がとれず、呆気なく敗走。徳川方は苦労をせず、博労淵砦を陥落した。
大坂城の西では、野田・福島に豊臣衆の大野治胤が守る野田砦と福島砦も徳川方によって、陥落。豊臣方は、体制を立て直すため、徳川の進行を阻止するため、船場と天満に火を放って、総構えの外にいた兵を急遽、大坂城内へ戻した。
これにより、真田丸だけが総構えより外に出る唯一の豊臣方の砦となる。真田丸付近の徳川方の布陣は、正面(南側)には前田利常隊、東側に南部利直隊・小出吉英隊・水谷勝隆隊、西側は井伊直孝、その隙間を埋めるように松倉重政隊・榊原康勝隊・桑山一直隊・吉田重治隊・脇坂安元隊・広沢広高隊が配備され、豊臣方の鉄砲から身を守るための竹を束ねた盾を隙間なく設置し、睨みを利かせていた。
慶長19年(1614)12月2日12、大坂城を包囲していた徳川方は、大砲の射程距離を有効に生かす為、大坂城へと進み始めた。
「急進してはならぬ。敵方の直接攻撃に備えて堀を作り、土塁を築いた上で大砲で攻撃せよ」
家康は、兵たちの高まる気持ちを抑え、慎重に行動するようにと、釘を刺した。前田隊は真田丸正面まで前進し、砲撃用の簡易砦を築き始めた。
「若様、如何致します。敵はすぐ、そこまで来ておりますぞ」
「そのようだな」
「如何なされる、このままでは大砲の餌食に」
「焦るではないぞ。よく見ろ、前田隊を」
「せっせと土塁を築いておりますが、何か」
「どこを見ておる。目先に惑わされ、本体が見えぬか」
「本体とは…ああああ、なるほど」
「分かったか、では、我らの力を見せてやろうぞ」
「お~」
幸村は、戦線に張り出している篠山などから部隊を前田隊本体へと出撃させた。前田隊は、土塁を築くため、土木作業に多くの人員を割いた。手薄になった前田隊本体を一気に真田隊は、攻めた。
「うおおお~」
大声と騎馬が起こす砂煙で土塁を築いていた兵は慌てて、自らの陣営へと戻った。数が徐々に増してくると幸村は、指示を出した。
「もう良かろう、皆の者、引け~、深追いはするな、引け~」
戦機を見逃さない真田隊により、前田隊は、大きな損害を覆う嵌めになった。
慶長19年(1614)12月3日 後藤基次は、大坂城本丸に出向いた。
「皆の方、いよいよ徳川軍の総攻撃が間近に迫っておりまする。ここは、遊軍を各方面に割り振って、防備を固めるべきかと」
「あい分かった、直ちに、防備を固め申そう」
総攻撃に心を乱された豊臣幹部に対し、真田隊は、真田丸の南方にある篠山で、城へ接近してくる徳川方を迎え撃っていた。
加賀の前田利常の家老である本多政重と山崎長徳が、約五千人の前田隊を指揮し、総構えの攻撃路を築くため、真田隊の陣取る篠山に攻撃を仕掛けた。
「ここは、隊を編成し直し、真田隊を亡き者に致しましょうぞ」
そこへ、偵察隊から報告が入る。
「申し上げます」
「何ぞ」
「真田隊が…真田隊が」
「ええいじれったい、早う申せ」
「はっ、真田隊、既に篠山を引き払った模様で御座います」
「何と…気づかれたか」
「いや、我らを恐れてのこと。ここは、一気に攻め入ってやろうぞ」
「御意」
前田隊は、真田丸の南側から更に東側へと駒を進めた。前田隊の大軍による篠山攻撃を事前に察知した幸村らは、いち早く真田丸へと帰っていた。
「やつら、馬鹿にされ、今頃、腸が煮えくり返っているぞ」
「誠に、ご苦労なことで御座いますな」
「あはははは…」
欺かれた前田隊は、真田丸に攻撃目標を取った。
「若様、来寄りましたわ、前田の面々が」
「ほ~、大軍じゃな」
「蹴散らせて見せましょうぞ」
「強気じゃな」
「この真田丸、おいそれと陥落されませぬわ」
「そうじゃな」
「さあ、どう出てきますかな、それとも怖気ついて手も足も出せぬ、となりますかな」
「ならば、その手足、出させてやりましょうぞ」
前田隊は、真田丸の空堀まで進んでいた。それを見て真田丸から、前田隊を挑発する馬耳雑言が、一斉に浴びせられた。
「ようこそ、真田丸へ。まずは、御足労なるも、ここまで来て頂けますまいか。それとも、足腰が弱って来れませぬか」
「あはははは…」
「ああ、母上様の手助けなくては、歩くこともままなりませぬか」
「よちよち歩きでも、我ら一行に構いませぬぞ、あはははは」
小馬鹿にした真田丸からの挑発は、毒気を増して行った。
前田隊の一部が、真田隊の挑発に乗り、気勢を上げ始めた。
家康は真田丸を見て、偉く感心していた。
「難攻不落の大坂城に、攻略の術が見当たらない真田丸か」
敵ながら、喉から手が出るほどの役者がそこにあった。
「真田丸には、決して手出し無用のこと。然と申しつけよ」
家康は、分かっていた。術もなく、戦いを挑めば、後悔と無念さを味わうことを。真田隊は、家康の懸念を見透かすように現場の者を挑発し、考える暇を兵や武将に与えなかった。罠を仕掛け、じっと待つのではなく、誘い込む。それこそが、真田家の戦い方だった。
前田隊の先鋒隊は、数の有利さに安堵を覚え、浴びせられる虚仮降ろしに注意力や判断力、冷静さを掻き消され、力尽くで真田丸への攻撃を開始した。同じ、徳川方の井伊直孝、松平忠直、藤堂高虎の各隊は、前田隊の後方、真田丸南西から、その様子を見ていた。
「家康公の指示を反古にしよって」
「前田が攻めたとなると、遅れを取れませぬな。ここは、我らも攻めますかな」
「臨機応変か。都合のいい言葉ではないか」
「ここは、攻め一択、ですな」
武将の各思惑で、真田丸の西側と総構え八丁目口を攻め始めた。家康の指示に背く形で、前田隊を皮切りに井伊、松平、藤堂の各隊も攻め始めた。その時、事件が起きた。真田丸後方の城内で豊臣方・石川康勝隊の兵が誤って火薬桶に火縄を落としてしまった。城内から響く爆発音と立ち上がる煙。徳川軍は、色めき立った。
「あれは、送り込んだ者からの突入せよ、の合図では」
内通者が動き出した。そう、徳川方は勘違いし、突入の勢いに拍車が掛かった。
「あの爆発は何事ぞ」
「誤って火薬桶に火縄を落としたの報告が」
「そうか。お~、あれを見てみよ」
真田丸の空堀の周囲には、進路を困難にする柵が設けてあった。爆発音を突入合図と勘違いした徳川方は、空堀の中に流れ込んでいた。
「禍を転じて福と為す、とはこの事じゃな」
真田・長宗我部・木村は、この機を待ち望んでいた。それが、こんな形で実るとは、時の運の悪戯は、豊臣方に大きな幸運を招き込んだ。
「良いか、十分に惹きつけよ、後戻りできぬ迄にな」
「撃ち方、宜しいか。敵、我らの設けた柵に辿り着くまで我慢致せ」
真田丸の柵は、防御用の竹束でなく、進路を妨げる物。鉄砲や投石、矢の行く手を拒むものではない。前田隊先鋒の多くが柵に辿り始めた。
「撃ち方、よ~い、撃て~」
その合図で、真田・長宗我部・木村の各隊は、一斉に射撃を開始。徳川方に雷雨の如く降り注がれ、打ち砕いていった。
うわ~ああ、ぶむ、わぁ~。
あちらこちらで、苦悩の唸りや激痛の悲鳴が轟いていた。真田丸の空堀の盛り土は、人の雪崩を起こしたような惨事に。それは徳川方にとって、まさに地獄絵図そのものだった。
竹束や鉄盾などの防御用具が不十分なまま突入した徳川方の先鋒隊は、なぎ倒されるように、次々と臥していった。
鉄砲隊の前に為す術のない先鋒隊は、進むに進めず、その場に屈する者、一命を落とす者、戦意を喪失した者たちで大混乱の渦中に。堪らず、苦難から逃れようと引こうとする先鋒隊。それを押し寄せてくる後発隊が、先鋒隊の逃げ場を阻んだ。前門の虎、後門の狼。まさに、行き場を失った先鋒隊。彼らは、不利な条件下で戦いを挑むしかなく、結果として、多数の死者を出してしまった。後発隊が援護にでたが、更なる犠牲者を増大させた。
右往左往する徳川方を見ていた若者がいた。幸村の嫡男・大助だった。
「皆の者、出撃だ~。この機を逃すでない」
血気盛んな若者は、父譲りの勇敢さを見せていた。大助は、伊木遠雄と共に、五百の兵を率いて出撃した。徳川方・寺沢隊と松倉隊を破り、松平忠直隊にも大きな損害を与えた。
形勢不利と見た家康は再三に渡り、攻撃中止と戦線後方への撤退を各隊に指示した。しかし、戦いの興奮の中、早朝から続いた戦闘状態は、正午を過ぎても収まらず、完全に引き際を見失っていた。
家康の指示は夕刻になりやっと、戦いの疲労もあり、撤退が完了した。
この小競り合いによって徳川方は、前田隊約三百騎、越前隊約四百八十騎が討ち死にし、一般兵に至っては、一万から一万五千もの甚大な被害を被った。
一方、豊臣方は籠城戦が大成功を収め、戦死者は、徳川方に比べ、大幅に下回っていた。家康の怒りと嘆きは、計り知れなかった。
「あれほど手出し無用と申したのに、この態はどうだ」
怒りの矛先は、戦死者を増大させた前田氏などの諸将に向けられた。真田丸での攻防戦は、豊臣方の大勝利で収束した。
「真田丸を攻略できぬでは、勝ち目はない。終息の手立てを考えぬと、徳川は沈む」
家康は、焦りと緊迫感に押し潰されそうになっていた。真田丸に煮え湯を飲まされた家康は、心を痛め、天海を呼び出した。
天海は、今後の戦いを見据えて、堺商人こと闇の頭目である越後忠兵衛の元に身を寄せていた。
「家康様からの使者で御座いますか」
「ああ、苦戦なされてるご様子」
「籠城されては、兵糧攻めしかありませぬからな」
「幸村の真田丸は、難敵よ。正面突破は至難の業」
「作用で御座いますな。私ら下衆な者が考えるのは、毒を混ぜた食料を味方の振りして送り込むくらいのこと。しかし、お侍様はそれを良しとはなさりますまい」
「戦とは言え、最低限の決まりみたいな物はあるからのう」
「お侍さんは、本当に面倒で御座いますな」
「兎も角、呼ばれては、行かぬ訳には参りませぬ」
「頼み事あらば、何でも聞きますよって」
「いつも済まぬのう」
「乗りかかった船で御座います。お気になさいますな」
「忝ない」
天海は、早馬を飛ばして、家康の元に馳せ参じた。
「おお、来たか」
「さて、何事で御座いましょう」
「とぼけよって。この有り様をそなたも知っておろう」
「存じておりまする」
「知っていて、何事かと聞きくのか、食えぬ奴よ」
「そう、苛立ちなさるな、喉を通うる物も通りませぬぞ」
「呑気なことなど言ってはおれぬわ」
「そのようで御座いますなぁ。兵たちの疲労も目に見えて明らか。このままでは兵糧攻めを喰らうのは、我らの方ですからな」
「それだけは、避けねばならぬ。早急に和睦を取り付け、難攻不落の城を骨抜きにせねば…う~ん」
苛立ちの隠せない家康を包むように天海は、言った。
「それにはあの真田丸が邪魔で御座いますな」
「それよ、唯一の大坂城の弱点を真田が固めよった」
「それですが正攻法で挑んでも、前田氏の二の舞です」
「それを言うな胸糞悪い」
「お言葉が汚のう御座いますぞ」
「しかし、このままでは…」
「そこで、忠兵衛殿とも相談して手立ての一つは打って参りました」
「手立てとは」
「忠兵衛殿の得意とするところの鉄砲で御座います」
「鉄砲とは」
「鉄砲と言ってもその職人たちですよ」
「職人を使って何をすると言うのじゃ」
「大砲を作らせておりまする」
「大砲ならあるではないか」
「そう焦りなさいな。今の大砲より大きな物を作らせておりまする」
「ほう、大きな大砲とな」
「より遠うくから天守閣を攻め落とすもの。叶わないまでも、その恐怖心は豊臣方に和睦へと導く糧になるかと」
「それはいつ、使えるのか」
「急がせてはおりますが、まだ時を要します」
「それでは間に合わぬではないか」
「打つ手の一つですよ。焦っても事は運びませぬよって」
「まあ良い、それはそれで進めるが良い」
「それより、幸村への工作はいかがですかな」
「それが思うようには運ばぬわ」
家康は、真田丸を目の当たりにして、何としても、真田幸村を取り込みたかった。12月5日の夕方、大坂城内で織田頼長の家臣が喧嘩騒ぎを起こした。豊臣方も膠着状態の中、苛立ちが頂点に達していた頃だった。
織田家は元を言えば、豊臣家を家臣としていた。それが今は逆転し、豊臣の傘下に。兵の中にも、今と昔を憂う者も少なくない。そんな小競り合いが、油に火を放つように大騒ぎとなった。
これを見逃さなっかたのが徳川方の藤堂隊だった。この騒ぎに乗じて、手薄になった防護柵を破って、城内に侵入。しかし、長宗我部隊に見つかり、敢え無く撃退されてしまった。
家康は、これを知り、益々、幸村の取り込みへの熱が入った。
幸村の勧誘工作は、冬の陣直前から行われていた。それは、父・昌幸があってのことで、幸村に興味があった訳ではなかった。しかし、今は違う。幸村自体に家康の興味は、注がれていた。
勧誘の責任者に選ばれたのは、本多正純だった。直接交渉は、幸村の叔父で徳川方の大坂陣中目付役であった真田信尹に任された。幸村にとっては、戦闘中に徳川方と直接やり取りすることは、兄・信之のこともあり、豊臣方からの内通者の疑いを色濃くする危険性の高い行いだった。それでも、幸村は応じてみせた。
それは、徳川方の交渉最高責任者である本多正純が、幸村の父・昌幸と正純の父・正信と親交があったことと、その正信らが、関ヶ原の合戦の戦後処理で、家康の昌幸と幸村を処刑せよとの決断を思い止まらせ、九度山へ幽閉させたと言う、恩義を感じてのことだった。
戦いの中、兄・信之が徳川方にいるだけに直接、徳川方の使者に会うのは憚れた。幸村は内通者の汚名を着する危険を冒しても、要望に応じた。それが、真田幸村という男だった。
幸村にしてみれば、父親同士の信頼関係が正純に受け継がれた想いで要望に応えた。家康が昌幸を恐れ、また武勇を認めた時、正信の申し立てを受け、幽閉を解き、赦免していれば、幸村は兄・信之と共に、家康の傘下にあったかも知れない。
真田丸の激戦から7日後、幸村は、真田丸にいた。ここでなら豊臣方の目をさほど気にせず、接見できた。これは、豊臣方が真田丸に興味がなかったことを指す。内密に徳川方の使者である幸村の叔父である真田信尹を真田丸に招き入れていた。勿論、箝口令が引かれ、極秘に行われていた。
「幸村よ、健吾であったか」
「叔父上もお変わりなく」
「さて、よもやま話はさて置き、家康の意向をお伝え申そう」
幸村は、叔父の真田信尹の話を聞く以前に決意を固めていた。
「…」
幸村は、じっと信尹の目を貫くように見、微動だにしなかった。その気迫に、並ならぬ決意を信尹は感じ、交渉の熱を失っていた。
「そなたが徳川方に就けば、十万石の領地を与えると申しておる」
「…」
「どうだ、聞けば城内に砦を作る事を提言したにも関わらず、受け入れられず、この出城となったと聞く、徳川方に就けば、そなたの功績は充分に受け入れられるであろう、どうだ」
「有り難き幸せ。なれど、私たちは牢人として、高野で乞食同然の暮らしをしておりました。にも関わらず、秀頼様は私を召抱え、曲輪の大将にまで命じて下さりました。このこと、私は、有り難く幸せなことだと受け止めておりまする。よって、ここを離れることは到底できますまい」
「そなたの申すことは解る。今更と吐き捨てる気持ちも解らないでもない。しかしの~、私がこうして出向くのは、改めて家康がそなたの力量を思い、認めた証なるぞ、時、既に遅しと言うことはあるまい」
「ならば、叔父上、家康にお伝え下され。この幸村、和睦が成立すれば、その時に例え千石でもご奉公致しますると。今日は、これにてお帰り下され」
幸村の返答は、信尹の面子を考えての社交辞令だった。それは信尹にも充分に伝わっていた。
「そうか、今一度、じっくり考えるが良い、では」
「御足労をお掛け申しました」
幸村は毅然とした態度で、真田信尹を見送った。信尹は、幸村との交渉の経緯を本多正純に伝えた。正純は、幸村の意思が硬いことを痛感し、前田利常の家老である本多政重に対し、指示をした。
「政重、幸村の勧誘は難しき案件なるや、しいては、信尹と良く協力して、なんとしても幸村を徳川方に引き入れるよう、しかと、申し付ける」
「は・はぁ」
「勧誘の暁は、幸村の身柄はこの正純が預かる。これにより、幸村も安堵の色を増すであろうて」
「御意」
正純の指示を受け、信尹に詳細を聴くにあたって、幸村の決意が揺るぎないことを、政重は知ることとなった。
「難攻不落は大坂城のみならずか…して、如何致そうか」
「私には、幸村の決意を打ち砕く手立ては見当たりませぬ」
「何を弱気な…と言いたい所だが、それが今の有り様か」
「家康様直々のご指示。無下にもできず、ほとほと困りましたな」
「家康様もお分かりになっている、勧誘が容易くないのを」
「そうよな、十万石も与えれば、容易に寝返ると高をくくっていた。それをあっさり、あやつ、断り寄った。敵の足元を見て、欲を掻き寄ったかと、更なる条件提示」
「ああ、あれには拙者も驚いた。信濃一国に十万石であろう」
「もし、これで幸村が寝返れば、自軍の武将の妬み、不満が噴出し、それこそ、徳川の求心力を弱める結果になるやも知れず」
「増してや、その領地と石高をどう用意されるのか…家康様の思惑に、正直、霹靂と致しますな」
「なれど、信濃一国は手立てとして有効かと」
「ほう、それは如何にしてそう思われる」
「信之から聞いた話だが、徳川・豊臣と袂を分かつ時、幸村が言ったそうな。私には城がない。父の後を受け、上田城を欲しいと」
「武将としては当たり前の願い。然らば、信濃一国は勧誘工作の妙案にとなるやも知れませぬ」
「そうであれば宜しかろうに」
「戦う前に戦意を喪失してどうなさるか」
「これは、面目ない。根が正直者で御座いましてな」
「あはははは」
本多政重と真田信尹は、難問の往くすえに一途の光明を無理からに見出した思いで、情けなくも、笑えてきた。再び、家康の意向を胸中に秘め、信尹は、幸村に接見を申し込んだ。幸村は、「お会いしても、志は不偏なり」と、信尹の申し入れを拒んだが、面目を立たせて欲しいと懇願され、渋々ながら、申し出を受け入れた。
「忝ない、当方の事でそなたに手間を取らせて」
「お気になさるな。徳川に就けとのご依頼は、応じかねまするぞ」
「これでは如何かな。そなたの願望である城を築ける領地を用意すると申したら。家康様が申されるには、そなたに信濃一国と十万石を任せようと申しておる。さらに、身柄は、本多正純殿が預かるゆえ、ご安堵なされよ」
それを聞いて幸村の顔相が見る見る険悪になっていった。
「1万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」
と、顔を紅潮させ、言い放った。あまりの怒りにように信尹も、思わず腰が引ける思いがした。
「いい加減になされよ。叔父上と恩義ある方の申し入れと思いお会い致したが、幾ら良き待遇をなされようと、この幸村の志は、変わりようが御座りませぬ。この話、これまでににて、ご勘弁願いまする。さぁ、もうお話致す事は御座りませぬ。お引取りくだされ」
そう言い放つと、幸村は信尹を退けた。その報告を家康は、本多正純から聞き及んだ。家康は、無言で遠くの空を眺めていた。その姿は、怒りより、潔しの清々しさに満たされていた。
「と、言う具合よ」
家康は、真田幸村の勧誘工作の経緯を天海に伝えた。
「流石に幸村で御座いますな。芯が太く、志を支えておりますな」
「そうよな…しかし、惜しい、何とも惜しい男よ」
「作用で御座いますな。これで、家康様の枕はまた、低くなり申されましたな」
「本当に口が減らぬの~、そなたは」
「お褒めに預かり、忝く…」
「褒めておらぬわ」
「あはははは…」
「まぁ、良い、こうして馬鹿話をしてると、心が休まるゆえ」
「そうで御座いましょう。それを分かって悪役を演じておりますゆえ」
「自ら言うことではないわ」
「そうでしたな、くくくくく」
「話は変わるが、そなたに聞きたいことがあったのじゃ」
「何で御座いましょう、改まって」
「思い出したくはなかろうが気になると、堪らなく知りたくなるゆえ」
「気遣いは無用ですぞ」
「それでは聞くが、そなたが光秀であった頃の話じゃ」
「それはまた、昔の話で御座いますなぁ」
「良いか」
「お気使いはいりませぬ」
「では…本能寺で信長を討った後、秀吉が毛利から一目散で戻ってきよった中国大返しのことよ」
「あれには、私も驚きました。今しばらく時があると思い、動いておりましたが、詰が甘かったと言えば、甘かったのですが」
「私も大軍を預かる身。だから分かる。あれが如何に無理なことか。それを成し遂げた裏に何があるのか、それが知りたいのじゃ」
「それですよ、私も不思議に思ってました。三条河原付近で、敵は本能寺の信長と告げたのが初めてのこと。事前に誰とも相談などしておりませぬでしたからな。しかし、幾ら隠しても、見る者が見れば、やはり不穏な動きに見えたのでしょう。ただ、私が考えるのは少し違います」
「どのようにじゃ」
「茶会ですよ、茶会」
「茶会がどうした」
「秀吉は、中国地区の毛利に出向きながら、情報網を行き届かせていた。優秀な忍びたちですよ。その忍びから、家康暗殺のための茶会。それを秀吉は知った。家康様に怪しまれぬように、信長自らも警護を手薄な状態に身を置いた。秀吉の中に不穏な空気が流れた。もし、家康様が信長の家康暗殺を事前に知り、騙された振りをし、大軍を密かに引率し、信長を返り討ちにするのではないか…その不安が秀吉を突き動かした。万が一に備えて、石田三成に街道、宿場町に大量の飲料、食料を急遽、用意させた。三成にその才覚があったとは思えませぬが、家臣の尽力で成し遂げたのでしょう。道は、毛利に向かう過程で舗装していた。そこに信長討たれるの知らせが届く。秀吉が事前に予測していなければ、大事によって、交渉など置いていち早く、戻ったはず。しかし、秀吉はそれをしなかった」
「確かに」
「秀吉が、感じた尋常でない虫の知らせ。自らの感覚を信じ、秀吉は動いた。信長討たれるを知り、虫の知らせが誠になった。しかし、秀吉は信長の死を伏せ、毛利との和議を取り付けた。秀吉の計算高さ。交渉している時に、三成に指示した食料調達を可能にした。武器類等の重い荷は、捨てた。交渉の目鼻が付いた時点で、先行隊に道の整備をさせる。それを交渉を終えた本隊が追う。武器、装備品は、京都に用意させた。こうして、中国大返しを可能にした。秀吉は驚いたはずですよ、信長を討ったのが私だと知って。信長を討つ者は、家康に違いないと思っていただしょうから。信長も驚いていましたから。万が一が起きた、とね。それで言えば、私の策は見事に的を獲たと言っていいのではないでしょうか。秀吉の抜け目なさを除いてはね」
「事前に対応したゆえの中国大返しであったか」
「大雑把な信長に対し、綿密な秀吉の性分が功を奏したのでは。後に秀吉は、武術より算術に長けた者を重宝する。貿易商だった小西行長を抜擢したのも、その現れかと」
「としても、早すぎるのでは」
「そこは私にも分かりませぬ。あの世で秀吉に会えば、是非、お聞きくだされ」
「死に急がせるな、まだまだやるべきことがあるわ」
「ならば、深く考えなさいますな。真偽の程は当事者のみ知る、ですよ」
「あの茶会には、信長を疑うことなく出向くところじゃった。疑うどころか、時の権力者に認められた。警護を外して会う、親密感を覚えていたのが今は懐かしいわ」
「まぁ、本能寺の変があっての、私と家康様の関係が生まれた」
「そうじゃったな、越後忠兵衛なる謎めいた人物に会い、幾多の危機を逃れてきたの~」
「はい、不思議な人物で御座います、忠兵衛と言う男は」
「そうじゃな」
「あっ、そうそう、忠兵衛で思い出しましたが、より遠くに飛ばせる大砲は職人たちの力を借り、着実に進めておりまする」
「大儀じゃ、早い仕上がりを心待ちにしておるぞ」
「今しばらく、耐え忍んでくだされ。さて、少しは心が安らぎましたかな」
「ああ、とは言え、この寒さに長期戦は、我らの不利。天海よ、妙案はないか、それを聞きこうと、そなた呼んだ」
「そうで御座いましたか」
「正攻法に挑めば、我らの被害が悪戯に膨らみよるわ、ど~したものか…思案に事尽きておる」
「仕掛けられた罠に人海戦術で挑むのは愚かしいことですな」
「我らの不利な立場をそなたが上塗りするな、腹が立ってくるわ」
「これはこれは、ご無礼致しました」
「そこよそこ。ほんに、私を苛立たせる達人じゃ、天海は」
「まぁまぁ、こうして腹割って話されるのも、多少の気休めになりましょうぞ。精魂詰めれば、見えるものも見えますまいて。ここはこの天海が導き致すゆえ、何事も整理なされるが宜しいかと」
「それで私は何をすればよい」
「この天海との質疑応答で闇を照らす明かりを見つけられれば宜しかろうて。では、早速、参りますぞ」
「まな板の上の鯉じゃ、何なりと問いかけよ」
難攻不落の大坂城、隙のない出城とも言える真田丸、寒気が容赦なく兵の士気を削ぎ落そうかと言う状況を打破する為、家康は、天海との密会に、一縷の光を見出そうとしていた。
「まず、戦況については(服部)半蔵殿から聞いておりまするゆえ、よしなに。ただ、聞くと行うは異なることも多いでしょうから、お気づきの事あらば、その都度、口を挟まれば宜しかろう」
「あい、分かった」
「では、参りますぞ。攻め落とせれば宜しいでしょうが、そう上手くいきますまい。ならば、戦況打破あるのみで御座いますよ。有利な状況で、再び戦いに挑める機会を得るために。ここは取り敢えず、仕切り直しをも含めて、有利な条件で和睦を取り付けるのが良策かと。豊臣断絶の願望は、その後かと存じます」
「やはりそなたもそう思うか」
「焦る気持ちも分かりましょう。しかし、事を焦っては思わぬ隙が出来、痛手を負うことにもなりますまいて。急がば回れですよ。事を急いでは、勝機も逃すものです。ここは我慢のしどころ。肉を斬らせて、骨を断つ、ですよ」
優しい言葉の羅列の中に、力強さを感じさせる天海の口調だった。
「肉を斬らせて、骨を断つ、か」
「その為には、我らが弱っている姿を見せてはなりませぬ」
「戦況は相手が有利。ここで和睦など申し入れれば、敵に弱みを悟られるのが必至。ならば、どう、有利な和睦へと導くのじゃ」
「ならば敢えてお尋ね申す。家康様が戦われているのはどなたか」
「馬鹿にしておるのか、秀頼率いる豊臣方ではないか」
「本当にそうでしょうか。ならばお尋ね申す。秀頼は戦いの表舞台に出て来ておりますでしょうか。表に出るは幸村なりで御座いまする」
「確かに秀頼どころか、豊臣方の重鎮誰一人見ておらぬな」
「もし、家康様が敵方ならどうなされまする」
「敵方の食料や疲れを調べさせ、弱ると見るや、一気に攻め落とす」
「そうですな、それでこそ家康様。ならば、敵方も徳川軍の弱るのを心待ちにしておるとお考えか」
「そうではないのか」
「そうとは思えませぬ。やつら、打つ手を探し、迷走しておりまする」
「確かに、籠城と言う優位さはあっても、何も仕掛けてこぬのも解せぬな。それは、豊臣方は一枚岩ではない証か」
「そうですよ。所詮は浪人や関ヶ原の合戦での賊軍の衆。名高る武将も合戦は得意とするも、籠城での戦いは不慣れと見ておりまする。ならば、武力行使するはず。しかし、その気配はなし。では何故、動かぬか、いや動けぬのか」
「勝機を見いだせないでおると言うことか」
「そうです、手出しをしないのではなく、出せないのですよ」
「烏合の衆では、その兵力に自信が持てなくても致し方なしか」
「そうです、苦難に立つは徳川のみにあらず、ですよ」
「何やら希望の灯りが見え始めてきたような」
「いとも簡単に灯る行灯ですな」
「茶化すではない」
「ご無礼致しました。俯瞰で見れば、お互い、攻め倦んでおる、と言うことですよ。我らの敵は、この寒気で御座います。敵方は城の中、この寒気に気づきますまい。寧ろ、城の中と言う閉ざされた場所で逃げ場がない、食料が尽きる等の気苦労の方が大きかろうと存じます」
「そなたと話しておると不思議と相手の様子が見えてくるような」
「そうで御座いましょう。天海の妖術で御座います、くくくくく」
「ほんに掴みどころのない男よ」
「雲のような存在で御座いますからな」
「まぁ、よい。我らが返り討ちを躊躇い攻倦むと同じく、いつ攻めて来るか分からない、戦経験の豊富な大軍が目前に広がり、包囲されている緊張感は、時が経つにつれ、言い知れぬ恐怖になると言うことか」
「それでこそ、家康様。私が思う勝機は、その藪に潜んでおると存じます。幽霊の正体見たり枯れ尾花ですよ。いち早く、その藪の正体を知り、動くか、その藪の正体を見ずして怯えるか、それがこの戦いの結末を大きく左右させると、存じ上げまする」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、か。疲れが増し、闇雲に責められぬ今、幽霊の力を借りろと言うか」
「左様で御座います」
「そなたの歩む道には、縁少なからずも、我らの道には縁遠いわ」
「そうでしょうか、何事も見切りを付ければ、其れ迄。見切りを付けるのは早計で御座いますぞ。もっと簡単にお考えなされよ」
「簡単にとな。う~ん、う~ん」
「唸っていても、いや、お待ちくだされ、もう少し唸ってくだされ」
「またもや、からかうか」
「そうでは御座いませぬ、正気で御座います、さぁ、続けて」
そう言うと天海は、両手を目に押し当てて、家康に催促した。家康は、天海に促されるまま「う~ん、う~ん」と唸って見せた。天海の脳裏には、凍える兵たちの姿、天守閣から見える徳川軍の不気味さ、徳川方、豊臣方共から感じる緊張感が映し出されていた。
徳川方の緊張感が、長引く戦況に衰えを見せるのに対し、いつ攻めて来るのか、と不安の増す豊臣方の緊張感を感じていた。しばらくして、目を覆っていた両手を解くと、薄笑いを天海は浮かべ、家康に問いかけた。
「さて、一縷の光が見えましたぞ」
「ほぉ~そうか、して、それは何ぞ」
「その前に冒頭の問の答えを明かさねばなりませぬな」
「冒頭の問?」
「家康様の真の敵は、と言うもので御座います」
「秀頼、豊臣重臣は蚊帳の外、幸村は豊臣に使える者、はてさて、真の敵と申しても、見当たらぬが」
「秀頼は何かと経験不足。重臣との関係も良好とは思えませぬ。ならば、今の豊臣軍に大きな影響を及ぼす者で御座います」
「大きな影響力を持つ者…秀吉亡き後となれば…あっ」
「お気づきですか」
「ああ、淀殿か、あの気の強い」
「ご明察」
「あの、おなごなら、口出ししても、おかしくないわ」
「半蔵殿からの知らせで、真田丸も、元はといえば、城内に築くはずの物を、浪人風情が豊臣に意見するとは何事か、と怒り、強く真田の申し出を拒んでの、出城となったと聞き及んでおります」
「命を掛けて戦った事のないおなごが口出しすると、迷惑千万な話じゃ」
「その通りで御座いますな」
「とは言え、それが誠のことで御座います」
「皆は反対しなかったのか」
「重臣たちは優れた真田の意見に賛同する者もいた。秀頼もその一人だった。それを淀殿が母であり、秀吉の正室の立場を強く行使して、拒んだ。母思いの秀頼は、母がそれ程にも拒むならと、出城として築く事を許可した経緯」
「結果として、それが我らの足止めに役立つことになるとわな」
「城内に築いていれば、燻すのも火攻めにするのもできたろうに」
「淀殿の我が儘が、不幸中の幸いか、最も攻め落とせる場所に、完璧なる出城を築かれることになるとは、時の運を持ったおなごじゃ」
「真田丸の一件を知るに当たって、今の豊臣軍を動かすのは、秀頼ではなく、淀殿であることは明白では御座りませぬか」
「そこで、攻め落とすは淀殿に的を絞り申しましょう」
「城内の淀殿をどう攻めるんじゃ。見当もつかぬが」
「そこですよ、そこに策略の緒があったのです」
「もったいぶるな、早う言え」
「短気は損気ですぞ、家康様」
「…」
「先ほど家康様が唸られた時、頭に両軍の苦しむ姿が見え申した。凍える徳川軍。豊臣軍の包囲された言い知れぬ緊張感と恐怖。そこに家康様のう~ん、う~んと言う唸り声が重なりましてな。それに怯える淀殿が見えたのですよ。野戦での夜間、獣の不気味な唸り声に肝を冷やした経験はおありでしょう。私も秀吉の中国大返しの知らせを聞いたとき、大軍の足音に幾度か眠れぬ夜を過ごしたことか」
「私も命を狙われる経験は幾度かある、分かるぞ天海」
「家康様と違い、私のは、もう、遠い昔の話で御座います」
「そうか、そうだったのか」
突然、家康は、天海の言いたいことが頭に浮かんできた。
「そなたが言いたいのは、漆黒の闇に響き渡る獣の不気味な声。見えぬ相手だけに、その恐怖心は計り知れない。自らの心が萎えていれば、要らぬ思いが渦のように心を恐怖の闇に引き込むこと然り。それが、幽霊の正体見たり枯れ尾花か。正体が見えなければ、間合いが分からない。分からないゆえ、常に事に備えていなければならなくなる。これは、辛きものよ。それが、自分ではどうすることも出来ないおなごなら、効果覿面じゃな」
「お分かり頂けましたか。これが上手く行けば、いつ襲われる分からない恐怖心で不利な条件も、逃れたい一心で飲むことも濃厚ではないかと」
「言いたいことは、分かった。それをどう形にする。幽霊を雇い入れるとでも言うのか、そなたの通じる陰陽道の術でも用いて地獄絵図でも描くか」
「ほぉ、珍らしゅう御座いますな、お苛立ちのご様子」
「分かったが術が思い浮かばぬ。これまでの戦術にないゆえにな」
「心、沈めなされよ。幽霊とは幻覚のこと。心の隙に巣喰うもの。ならば、心の隙に漬け込み、増大させるのみで御座いますよ」
「して、如何する」
「淀殿を追い込みましょう」
「如何にして」
「心を崩壊させましょう」
「心とな」
「地響きのような唸り声を兵たちに上げさせなされ」
「唸り声か」
「そうです、唸り声です。寝静まった刻限に四方八方から発しましょうか。同じ刻限に来る日も来る日も。時には、早め、時には、遅らせ、持て遊んでやりましょう」
「それは、女狐を追い込むことができるのか」
「寝込みを襲えば、浅い眠りになる。眠れぬ夜は、人の判断力を負の輪廻に追い込みまする。その苦悩から一日でも早く抜けたくなるのが、常で御座います。そこに豊臣方が最低限承諾の出来るものを突きつけましょう。その要件は、芋づる式に処理し、人海戦術で拡張すればいい。要は、相手の牙を如何に抜き取るかが、この戦いと致しましょう」
「決着は先送りか、致し方なし、か」
「急がば回れですよ。事を焦ってはなりませぬ」
「…」
「焦る気持ちは私も同じで御座います。お互い死を意識する年ですからな。しかし、だからこそ、時を大事に進めなければ、なりませぬ。後戻りが出来る時は、私たちには御座いませぬから」
「分かっておるわ」
「兵たちを見なされ。憔悴の色は隠せまいて。兵の損失を出さず、効果的に敵方を追い込む。大声を出させ、体の中から温めさせ、士気をも高める。そのような含みも御座います。期間は七日もあれば、宜しかろう。その間に、家康様は難攻不落の大坂城を骨抜きにする算段に取り組みなされるように、お願い申し上げまする」
「そなたはどうする」
「私は私なりに陰陽道に基づいた呪縛を淀殿に放つと致しましょう」
「以前、不思議な体験を受けたあの方の力を借りると言うか」
「そうで御座います。信じれば、必ずや花を咲かせましょうぞ」
「大義じゃ」
「のう、天海よ、何故、私は幸村に嫌われるのか」
「勧誘工作は、苦労なされたが、日の目を見ませぬでしたな」
「餌に食いつきおらんわ。腹を空かしているはずなのに」
「幸村と言う人物が見えておりませぬな」
「真田家自体は、真田家繁栄の為に傘を変えることに恥ずることなどないと見ます。過ぎた事を申すのは絵に描いた餅を食らうようですが、上田城の戦い後に傘下に引き入れておれば、今頃は、有能な武将として、家康様に仕えていたことでしょう。幸村の経緯を見るからには、家康憎しで立ち向かっているのではなく、武将として生きる上で、いつしか家康打倒が、生き甲斐と化したものと存じます。幸村自身、家康様への憎しみなどありますまい。好敵手そのもの。その好敵手と手を組むことは、今の幸村自ら、己の存在感を、生き甲斐を奪うようなもの。幸村が生きる糧として、家康様と言う好敵手に挑んでいる、私にはそう思えます。地位、名誉を得るための戦いではなく、生ける証としての戦い。幸村に対しては、どの武将より、警戒の目を光らせることです。急須猫を噛む、を好んで選ぶだろう幸村を軽んじては、命の尽きるを早めまするぞ、お気をつけなされよ」
「生き甲斐、か。ならば、どのような勧誘工作も無駄だと言うことか」
「今は無理で御座いましょうな。幸村自身が、新たな生き甲斐を見出すか、家康様が与えるか、でなければ難しいでしょうな」
「やつにどのような生き甲斐を与えようと言うのじゃ」
「分かりませぬ。幸村という男、相当の頑固者のようですからな」
「ならば、私は幸村という生霊に怯えねばならぬのか」
「それが宿命かと」
「欲しても手に入らぬか」
「権力、金数では無理で御座いましょうな」
「…」
「良き方に思いましょう。気を付けるは、幸村のみ。そう思えば、少しは楽になりますでしょう。家康様にとっての幽霊の正体は見えているわけですから」
「…」
「さぁ、四方山話もそろそろ緞帳を下ろしませぬと」
「そうじゃな、やるべきをやって、天命を待つか」
「何を弱気な。天命も強い意志で引き寄せてこそ命運。仕掛けて、仕掛けて、仕掛けて、精根尽きるまで、ですぞ」
「この老体に鞭打つはそなただけじゃぞ」
「自慢ではありませぬが私めも、その老体。しかし、肉体は衰えようと、強い意志は、より強固になり申す」
「分かった、分かった、そう攻めるな。儂とて時に弱気を吐きたいわ」
「吐かれよ、吐きなされ。それを私目が蹴散らして、進ぜましょう」
「小憎らしいは。しかし、不思議とやる気が沸いて出てくる、ほんに、不思議ぞ、そなたといると」
「それが私目の妖術で御座います、くくくくく」
そう言うと天海は、帯に刺した扇子を素早く取り出し、大きく広げ、パタパタと仰ぎながら、後ろすり足でその場から、消え去った。
「大砲の件、江戸の町づくりはお任せあれ。家康様は、幽霊を味方に豊臣を追い込みなされよ。天下泰平は、もうすぐ前に見えておりまするぞ」
天海の声だけが、座敷に響き渡っていた。
「おもろき、男よ、天海は。さぁ、儂も仕事をするか」
しばし、天海との時間を過ごすと家康は、武将の長としての職務に戻った。家康の姿を見た重臣たちは、我先に家康の元に駆け寄った。口火を切ったのは、藤堂高虎だった。
「家康様、お話を」
「分かっておる。皆の言いたいことはな」
それを受けて、落ち着き払った本多正純が続いた。
「では、如何なる手立てを。食料も先が見え始めております。いや、食料は何とか工面しましょう、しかし、寒さは」
「そうですとも、暖を取る術に限界が来ております。武具を納める箱までも、燃やさざるを得ない、この有り様」
家康は、不安がる重臣たちを前に落ち着き払って言った。
「皆の苦労、この家康、我が身のように感じておる」
その言葉が終えるやいなや、間髪入れずに高虎は言った。
「もうこれ以上、兵の疲労を重ねるは、いざという時の足枷となりましょうぞ。ここは、一気に攻め入り、終息させるのが策かと」
「そう、焦るな」
「しかし…」
「攻め入って、事が終息するならば既にそうしておる。しかし、そうしないでいるのは皆も分かっておるであろう」
「ほほぉ~そう言いなさるは、お考えありと存ずる、して、そのお考えを皆の者にお聞かせ下され。のぉ~高虎、家康様のお考えを聞こうではないか」
家康には重臣たちの焦り、苛立ち、不満が突き刺さる思いだった。負の力により沈滞する重い空気を払拭するために、家康は、語気を強め言い放った。
「皆の者、聞くがよい、我ら魍魎の力を借りて、必ずや豊臣家を黙らせて見せようぞ」
「…」
「魍魎の…力…」
重臣たちは心の中で家康、血迷ったか、と呆気に取られていた。策の無さに焦り、寒気に怯える兵たちの気持ちを代弁するように危機感を感じた重臣たちは、家康の魍魎の力を借りると聞き、戸惑いを隠せないでいた。
「そうであろう、私も天海から聞いた時は、そう思った故にな。今から話す策について、今までの戦場では有り得ない奇天烈さ。その奇天烈さに自身、口元が自ずと緩んだ」
家康様が笑っている…これは自信か、気がふれたか…重臣たちは、家康の次なる言葉を固唾を飲んで待った。
「皆が驚くのも分かる、しかし、黙して最後まで聞いてくれぬか」
恫喝の後の嘆願。重臣たちは、その落ち着きに平常を取り戻した。
「大儀じゃ、まぁ、聞くがよい。それで皆の考えをも聞くゆえ」
「承知致しました。で、その策とは何事で御座いましょう」
「ふむ、心して聞いてくれ。無闇に攻め入っては真田丸の二の舞。元忠(南条元忠)の内通も敵方に発覚し、惜しい命を落とさせた。高虎にも済まぬと思っておる」
(南条元忠は藤堂高虎の叔父と知り合いだった。伯耆一国を条件に豊臣家への裏切りを約束させる。元忠は塀柱の根を切り、そこから東軍を招き入れることにした。それを渡辺糺に見つかり、城内の千畳敷で切腹させられるという事件)
家康にしては珍しい内通者への気遣い。これには高虎だけでなく、重臣たちも驚かされた。これは家康なりの家臣掌握の術だった。内通者にも気を配る家康は、凍える兵をも、気遣ってると。静まり返ったその場に、語り部のように淡々と家康は話し始めた。
「この戦いに思いを馳せれば、我らの敵は豊臣秀頼にあらず、それに私は気づいた」
「ならば、敵は何処の者と申されますか」
「敵は本能寺にあり。あはははは」
重臣たちは呆気に囚れた。
「まるであの光秀の兵たちと同じ気持ちじゃろうて…。本当の敵は、西軍大将・秀頼でなく、その母である淀殿にあり」
「淀殿…ですか」
「そうよ、秀頼は私も充分に知っておる。やつは、戦うより和睦を優先させる温厚な気質。それを妨げるのは気性の荒い淀殿よ。戦場の恐ろしさを知らぬは秀頼。ましてや、秀吉の威光の傘下で威厳を放つ、あのおなごにとって、戦場で血を流す兵の気持ちなど分かるはずもない。ゆえに強気に出てくる。ならば、戦場の恐ろしさを心ゆくまで味あわせてやろうぞ。さすれば、怯えに耐え切れず、必ず我らの和睦を飲むに違いない。寒気がなお厳しくなる前に、早期にこの戦いを収め、事を先送りにし、時を稼ぐ事が良策と思う、如何かな」
「余りにも奇想天外の策…上手くいきますかな」
「本音を言えば、分からん。しかし、他に良案がなければ試す価値はあると思う。試す期間は七ヶ日間とする。それで効果が見られない場合は、突入も致し方なしとする」
重臣たちは、家康の策に疑心暗鬼も、強行突入の無謀さも思い知らされた苦い経験が過っていた。
「承知致しました。他に術なき今、試すに値しましょう」
「我ら軍の痛手はない試み、ここは是非とも成し遂げましょうぞ」
思いもよらぬ策に戸惑いながらも、重臣たちは自軍に戻り、家臣に策の詳細を伝え聞かせた。家康からの注文は以下の通りだった。
一、真田丸の正面を除く、北、東、西に隊を終結させる。
一、丑三つ時に、時を変えて、二方向から行うこと。
一、日のある時は、当番でない隊は、武器等の手入れ、隊列の確認、突
入の準備を大袈裟に行うこと。
たったこれだけだった。半信半疑だったが、早速、実行に移した。昼間に武器の手入れ、隊列の配備を賑やかに見せつけた。
「徳川軍の動きが激しくなりましたな」
「奴等、ついに痺れを切らせたか。急ぎ、奇襲に備えよ」
にわかに豊臣軍は騒がしくなった。しかし、待てども、奇襲は愚か、小競り合いも起きなかった。
「ふざけよって、こ蹴落としか」
日が落ち、辺はすっかり闇に包まれ、静寂を取り戻していた。丑三つ時、静寂は異変を如実に浮き彫りにした。
「うぉ~おおおお、うぉ~おおおお」
地響きのような唸り声が、静寂を重く不気味に引き裂いた。
「な、何事か…」
異変に気づいた豊臣の兵達が、安眠を打ち砕かれた。城内は見る見る内に慌ただしくなり、淀殿の耳にも伝えられた。家康の仕掛けた策が実行に移され、安眠を引き裂かれた豊臣軍の兵や下女達は、奇襲の恐怖に包まれていた。
「何事ぞ」
淀殿は驚き側近に導かれ、天守閣に登った。闇に包まれる城外。見渡せば東側のみが明るかった。松明が不規則にまたは規則的に蠢くのが確認できた。
「攻撃の準備はこのためか」
淀殿が天守閣に辿り着くとそこには、既に秀頼と重臣たちも、徳川の動向を知るために、集まっていた。
「家康が仕掛けてくるのか」
淀殿は落ち着かない面持ちで、秀頼に問いかけた。
「分かりませぬ。…万が一を思い、我らも迎え撃つ準備を致しましょう」
「そうなされよ」
準備に取り掛かると東側の松明は少しづつ、消え去っていった。
「闇に隠れて攻めて来るのか、ならばなぜ、松明を」
秀頼や重臣たちは徳川の動きが読めないでいた。その夜は、結局、何事も起こらず、夜明けを迎えた。家康から指示を受けた本多正純は、家康の策を有効に活かす術を練り、実行に移していた。
二日目、家康と重臣たちは和睦の条件を練っていた。その夜、城の灯りが消え始めて一刻程が過ぎた頃、
「わぁ~ああああ、わぁ~ああああ」
と、威勢の良い叫び声が聞こえた。眠りにつき始めた豊臣軍は、慌てふためいて目を覚ました。闇夜には、何一つ、異変を感じなかった。昨夜、蠢いた松明さへも見えなかった。
「昨夜と違い、動きは見えませぬな」
「油断させて置いて、その隙を突く狙いでは」
「ふむ、何とも言えぬな」
「忍びの者を向かわせますか」
「それで良かろう」
直様、忍びが城外に放たれた。しかし、二度とその忍びは戻ってくることはなかった。その夜、丑三つ時にまたもや唸り声が闇夜を引き裂いた。
「うぉ~おおおお、うぉ~おおおお」
天守閣には見張りの者を常備させていた。直様、秀頼に昨夜と異なり、西側から声がするとの報告が入った。秀頼も天守閣に出向いた。それを追うように淀殿も天守閣に現れた。
「この度は西側か」
「そのようで御座いますな」
しばらくして、またもや唸り声がした。
「今度はどこからじゃ」
「北側のようで御座います」
「しかし、松明などは見られませぬな」
「家康め、何を狙っておるのじゃ」
「定かではありませぬな」
「小憎らしい」
「油断は出来ませぬ、備えはしておきましょう」
「そうしておくれ、おちおち眠る事も出来ぬゆえに」
その夜も何事もなく、過ぎ去った。徳川軍は、松明そのものにも困っていた。限りある松明を有効に使える策を本多正純は思案していた。そこで妙案を思いついた。
やつらは、暗闇で詳細は分からずじまい。ならば、正直に兵一人を一体と数える必要はないのでは。ならば、ならばですぞ、闇にまみれて、一人で数体を演ずるは如何なものか、そう、それじゃ、それでこの場を凌ぎ申そう。
本多正純は自問自答の中、滑稽とも思える策を見出した。三日目、徳川軍に動きがあった。兵たちが蠢き、何かを作っている様子が天守閣から確認できた。
「何をこしらえておるのでしょうか」
「わからぬは」
「今夜でも、攻め入るつもりか」
「わかりませぬな」
「直様、調べさせよ」
「とは言え、城内から送り出した密偵は誰一人、戻って来ておりませぬ。悪戯に兵力を減らすのは避けねばなりませぬ」
「悪戯とは何事ぞ」
「申し訳御座りませぬ」
秀頼は、蟻も這い出せぬ鉄壁の徳川の包囲に苦汁を舐めていた。
「秀頼様、唯一、突破口が御座いまする」
「ほぉ~言うてみい」
「南方、真田丸より密偵隊を送り出すのは如何なものでしょう」
「ふむ、真田丸からか、あああ、如何、如何」
「如何に」
「そのようなこと母上に知られれば、どのようなお叱りを受けるや」
「しかし…」
「ええい、黙れ、黙るがよい。我らにとって真田丸は禁句じゃ」
東西南北、包囲された大坂城。唯一、弱点とされた南方に築かれた真田丸。秀頼ら豊臣軍の重臣たちの中には、田舎侍の幸村を認める訳にはいかなかった。それでなくても、幸村の提案する徳川攻略の術は、従来の豊臣勢には目を見張るものがあった。そんな現状で、真田丸を借りることは、城内に真田丸に、意義を申し立てた重臣たちを愚弄するほかなかった。決して一枚岩でない豊臣軍において、幸村に助けを乞う真似は、烏合の衆を付け上がらせる要因とも成り兼ねない一大事と重臣たちは捉えていた。
その最も象徴的な存在が淀殿だった。誇り高い淀殿は、烏合の衆を単なる使い捨ての駒としか見ておらず、その者が豊臣に意見するなど、誇りが許さないでいた。それでも、徳川の動きは気にかかる。そこで、今、一度、真田丸以外の方角から密偵を送り出した。しかし、予想通り、誰一人、報告に戻る者はいなかった。
「口惜しい…これでは闇雲に敵の襲来を受けねばならぬのか」
「仕方ありますまい。敵の動きの真意を探り切れぬのでは」
「何を弱気なことを。この戦い、我らが有利なことは明白」
「そうで御座います。ここは相手の動きを注視することに努めましょう」
「そう、そうするしかないわ」
松明の工面に試行錯誤していた本多正純が思いついた妙案とは子供だましのようなものだった。それは、一人の兵に一本の棒を担がせ、その棒の肩幅毎に、松明がわりに廃材に藁を巻きつけた簡易なものだった。簡易ながら、闇夜に紛れて、幽霊を複数作り出すのに充分だった。
これによって、一人が四人に化けて見えるものだった。その作業を、遠くの天守閣から見て、豊臣方は、徳川の奇襲に備えた作業と取り越し苦労していた。三日目の深夜、同時刻にまたもや唸り声が聞こえてきた。
「三日目にもなると、驚きもせぬな」
「御意」
「しかし、昼間の作業は何故のことだったのであろうか」
「秀頼様、あああ、あれを」
「如何致した」
「反対側に大軍が集結し、蠢いておりまする」
「何と…」
秀頼ら重臣は、報告のあった反対側に急ぎ、移動した。そこで見たものは、整列した大軍の蠢く様子だった。
「おのれ、家康め、遂に痺れを切らしたか」
「おおおおお」
その大軍が大挙して城へと近づいてきたのだ。
「皆の者、徳川の襲来である、大戦準備を」
そう重臣が命じると、即座に城内は騒然となった。床についていた者も、浅い眠りをかき消し、大軍が蠢く西側に集結し徳川軍の進入に備えた。煌々と立ち上る炎と煙だけが闇夜を切り裂いていた。待てども、待てども、西門への突入はなかった。四日目、昼
「昨夜の騒動は何事か」
「母上、ご安心なされよ、あれは徳川の戯れで御座います」
「戯れとな、そのようなことで、私は眠れないでいるのか」
「狸親父のやること、お気になさらぬように」
「誠にそうなのか」
「ご安心なされませ」
「そなたが、そのように言うならば、信じましょう」
「今宵からは、少々騒がしくても、気になさらずに」
一方、幸村は、徳川の動きを推し量っていた。
「若様、あの徳川の動きを何と読まれる」
「そうさな、鹿威し、と言ったところか」
「まさに、そうで御座いますな」
「家康も攻め倦み、苦肉の策と私は思う」
「左様で。困っておりますのでしょう、笑えてきますな」
「笑っておる場合じゃないぞ、今が攻め頃とも言える」
「ほお~、それはどういうことで」
「挑発に乗りやすいと言うことだ」
「なら、何か仕掛けますか」
「仕掛けたいが、秀頼ら重臣が重い腰を上げまい」
「秀頼らは飽くまで持久戦を望んでおりますからな」
「それも、ひとつの手立て。持久戦は我らの有利」
「では、我らは我らで、家康を討ち取る術を練りますか」
「今はそうするしかあるまい。ここで出しゃばり、意見を申せば、要らぬ敵を作り兼ねぬからな」
「城に胡座をかいている者は、相手にせぬことですな」
「左様、この戦いは、豊臣、徳川の戦いであり、我ら真田家との戦いでもある」
「ならば、我らは我らの戦いを全うするだけですな」
幸村は真田丸から、大坂城に向けて放たれる徳川からの挨拶程度の砲弾に、この戦いの行く末を思っていた。四日目、深夜 いつもと変わらない時刻に、徳川の唸り声がした。
「またですな、放っておきましょう」
秀頼ら重臣は、後ろ手に手を組み、花火を見物するように穏やかに徳川の姑息な手を、楽しむようになっていた。
「た、た、大変御座います」
「また、火種が城に近づいて来たとでも言うか」
「その通りで御座います。東門を壊さんばかりに、攻められておりまする。このままでは時間の問題かと」
「小憎らしい家康め。直ちに東門を固めよ、急げ」
豊臣軍は、鉄砲隊を東門に向け、徳川軍の突入に備えた。城内は臨戦態勢に入り、右往左往の騒ぎとなった。
「何事ぞ」
「申し上げまする、徳川軍、東門より進入を試みておるのこと」
「つ、遂に、攻めてきよったか、言わぬことではないは」
淀殿は、寝不足と苛立ちでの疲労蓄積が、限界を迎えていた。
直様、その怒りの矛先を秀頼にぶつけに行った。
「秀頼、そなたが言う通りに気を許しておるとこの様ではないか」
「母上、お叱りの言葉なら後で充分、お聞きします故、ここは危害が及ばぬ所へ参られよ、お願い致す」
「危害が及ぶとは何事か。秀吉公が作られたこの城が落ちるとでも申されるか、何と情けないことを」
「お怒りは充分に…誰か母上をお連れ致せ」
怒りが治まらない淀殿を付き人たちが、恐る恐る重臣と共にその場から遠ざけた。しかし、一刻もすれば東門の騒動は収まった。その気が緩むまもなく、今度は西門で同じことが起こった。豊臣軍は、東門の警備と西門の警備に、戦力を分散された。ここでもまた、一刻もすれば静寂を迎え、朝陽を迎えた。
五日目、昼 明け方まで続いた騒動は、豊臣軍の兵たちに、多大な疲労度を与えるのに充分な成果を導き出していた。淀殿の心中は穏やかにあらず、寝不足もあり、疑心暗鬼や被害妄想の傾向が顕著に現れ始めていた。
昼間から何かに怯え、布団を頭から被り、馬耳雑言を口走り、付き人に当り散らす醜態を見せていた。
「母上の心情を思えば、この戦、早急に幕を引くことが望ましい」
「ならば、城外で一戦をなさると申されるか」
「それはなりませぬ、なりませぬぞ」
「そうですとも、籠城してこその我らの勝利。城外の戦など、徳川の思う壷で御座いましょう」
「そのような事、百も承知。ならば、この場の打開策はあるのか」
「それは…」
豊臣方の重臣たちは、沈黙の殻を破ることはなかった。口火を切ったのは、真田幸村だった。
「お恐れながら、ご意見、申し上げても宜しいか」
「申すがよい」
「徳川が鹿威しを仕掛けている間に、密かに我が軍を城外に」
「どのようにして」
「真田丸には、徳川は手出ししない。故に警戒は少ない。そこを付き申す。真田丸の盛り土の一部に密かに抜け穴を設け、夜毎、兵を城外に送り出す。兵は家康の居る陣営を挟み撃ちするように待機する。陣営が整えば、一斉に襲い、家康を討つ。簡略に申せばですが」
幸村の提案は、豊臣の重臣たちの度肝を抜いた。
「それは余りにも危険。もし、敵方にばれれば、袋の鼠」
「いやいや、下手を打たねば、鹿威しで気が緩んでる最中であれば、目論見を成就させられることも有り得るのではないか」
「あり得るではないか、などあってはなりませぬ。籠城の利を自ら捨て、敢えて危険な賭けにでる必要がどこにあると申される」
「ならば、幸村殿の策以外に、何かこの場を打破する術がおありか、あるなら、ぜひお聞かせくだされ。無いなら、幸村殿の策に同意を頂き申す」
「…」
豊臣軍は、籠城と奇襲の二派に別れ、論戦に熱を帯びた。結論が出ぬまま、夜を迎えた。秀頼は、熱を覚まさせるため、結論を翌日に持ち越させた。幸村は真田丸に戻り、家臣たちに議論の結果を報告した。
「やはり、腰抜け共の意は決しませぬか、情けない」
「仕方あるまい、態々、危険を犯せと言っているようなもの」
「戦に、危険は付き物。その危険を如何に軽減するかで、勝敗が決するのに、哀れなことですな、戦国武将とは豊臣にはおらぬのか」
「そう言うな、もし、我らの提案が反古にされた暁には」
「そうですな、我らだけで行いましょう」
「そう致しましょう。天下に真田家ありを見せてやりましょうか」
「そうだな」
すっかり、真田軍は奇襲作戦に酔っていた。幸村は、兄・信之のことを思うと、心、穏やかではなかった。しかし、兄弟が敵味方に分かれる際、何れかが生き残り、真田家を維持する約束を糧に、幸村は、決断の意思を固めてた。
五日目、夜 いつもの時刻に豊臣軍は、緊張の度合いを増していた。今日こそは、攻め入ってくるのでは…その思いが眠れぬ夜に忍び寄る不気味な影を落としていた。その思いを嘲り笑うように、その夜は何事もなく過ぎ去った。六日目、昼 徳川からの使者が大坂城の門を叩いた。しかし、豊臣軍は和議に答えられぬと使者を追い返した。
徳川秀忠は一気に攻め落とそうと、家康に進言するも「戦わずして勝利を収めよ」と、襲撃を認めず、心理戦を成就させる当初の戦略を推した。
家康は、購入していた異国の大砲と、堺の職人に作らせてた国産の大砲で、大坂城を脅かした。直接、届くことなく、鉄球の砲弾は破壊力はあるものの、爆発するものではなかった。その砲弾の一発が、風に乗り、奇跡的に本丸にまで届いた。
「おお、当たりよったわ。もしかして、天海殿の陰陽道の術とやらで神風でも起こしたか…、まさかな、あははははは」
砲弾は御殿に命中し、淀殿の侍女八人が、犠牲になった。
「うわぁぁぁ、何てことよ…何てことよ」
「落ち着きなされよ、落ち着きなされよ」
「何を落ちるけるか、難攻不落の城も宙を飛んでくる砲弾には、太刀打ち出来ぬではないか、恐ろしや恐ろしや」
この偶然の出来事が、豊臣家の実質最高権力者であった淀殿を窮地の底に落とし込んだ。豊臣方は、兵糧不足や大砲で櫓・陣屋殿も被害を受け、将兵の疲労も限界を迎えようとしていた。
「難攻不落の大阪城に籠れば小細工など使わずとも敵を退けられる」
という考えが豊臣側にはあった。その自信が、一発の砲弾で崩壊した。
淀殿は、交渉を受け入れる意思を徳川に印した。折しも、朝廷から後陽成上皇の命により、17日に広橋兼勝と三条西実条を使者として家康に和議を勧告してきた。家康はこれらを拒否し、あくまで徳川主導での交渉を目論んだ。
「若様、豊臣が徳川との和解を申し出たそうです」
「そうか」
「やはり、名ばかりの腰抜けども目が、恥を知れ」
「まぁ、そう言うな、これも戦よ」
「ああ、この腹だしさを何処へぶつければいいのか」
「くそ~」
幸村一行は、思いがけない終結に落胆の色を隠せないでいた。
一方、徳川方は、念には念を入れ、終結までは砲弾の数を増やし、豊臣方の完全戦意喪失を狙っていた。豊臣方、特に淀殿が耐え切れず、和議の申し立てを徳川へ打診し、翌18日にその運びとなった。
交渉は、徳川方の京極忠高の陣において、家康側近の本多正純、阿茶局と、豊臣方の使者として派遣された淀殿の妹である常高院との間で行われた。
交渉の運びとなっても家康は、砲撃を緩めることはしなかった。翌日には講和条件が合意。20日に誓書が交換され和平が成立した。同日、家康・秀忠は、諸将の砲撃をやっと停止させた。
講和内容は豊臣側の条件として本丸を残して二の丸、三の丸を破壊し、外堀を埋めること。淀殿を人質としない。その替わりに大野治長、織田有楽斎のふたりは、息子を人質として差し出すこと。が、徳川家に提出された。これに対し徳川家は、秀頼の身の安全と本領の安堵。豊臣軍の譜代・浪人問わず処罰しないこと。を約束することで、和議は成立した。これで幕引きを見たかのように思われた。
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