逃亡者・石田三成

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逃亡者・石田三成

 石田三成は、関ケ原の合戦後、東軍の追手から逃れ、再起を望み生きながらえていた。往き付いたのは懐かしき母方の故郷である木之本の古橋だった。  憔悴の中、意識が混沌している状態にあった。  真面目にやってる者が成功するのではなく、うまく立ち回る者が成功する…    うん。何だ、空耳か…  三成は、洞穴で過ごしていた。  蝋燭の灯火に自らを振り返り、今後の事に思いを馳せていた時の出来事だった。しかし、自問自答は思考の行き先を袋小路へと誘っていた。そこに聞こえてきたものは、空耳だったのか。自らの行いに向けられた問いかけだったのかは定かではなかった。    真面目って何だ。豊臣政権に良かれと思い取った行動は間違いではなかったはず。それが自分の評価を高めるため、他人を陥れるものであっても。そのためには、重箱の隅を楊枝でほじるなど朝飯前だ。ほじくるものがなければ、作り出すこともいとまがない。それで、職務が全うされるなら悪人呼ばわりされようと嫌われようと構わない…そう、思っていた。いや、その点に何ら疑問さへ抱かなかった。  一方、家康はどうだ。秀吉が強いた大名同士の婚姻を大胆にも破り、勢力を拡大していたではないか。相手が喜ぶことをすれば、支持を得ても当たり前だ。しかし、そんなものを自己都合でやられたら、統制や秩序などは木っ端微塵に吹き飛んでしまう。  家康は大名の要望を組み取り、求心力を手に入れた。規則を破り成功する。これが正しいのか。  真面目とは何なんだ。職務を全うする…いや、自分の行いを見直せば、私は自分の保身と出世だけを見ていたのかも知れない。いや、見ていた。だから、他者を陥れることにも何ら躊躇いも感じなかった。それが職務を遂行するのに役立っていたと自負する。  行いを誤った者を知れば、墓穴を掘りおった、と面白がっていた。実は、私の後ろの虎である秀吉を見て、皆が従っていた。秀吉を失って実感した。  ふん、もう、遅いがな。  虎の威を借る狐…それが私だったのか…。  なら、私と家康の違いは、何なんだ。小早川秀秋は何故、私を裏切った。秀秋の裏切りに備えて配置していた脇坂・朽木・小川・赤座の4隊4200人も。 何故なんだ。人望か。人望って何だ。  うん?、あの時の事か。朝鮮出兵の秀秋を問題視した時の。  私は、秀秋の粗を探して秀吉に進言した。その結果、家禄、領地を削減されただけでなく秀吉の秀秋への信頼も落とし込めた。恨まれて当然か。  一方、家康は、秀秋の誤りを指摘し、悟らせたと風の噂で聞いた。感謝されても憎まれはしないだろう。諭し方か。その違いが人望の差に繋がったのか。そうだったのか、そうだったのか。相手を思いやる気持ち。それを私はいつしか忘れていたのかも知れない。自分の利益になるものには諂い、恐れをなすものには強硬な姿勢を取ってた。訳隔たりのない他者への思いやり…。大事なのは、信頼なのか。人の心を引きつける強い魅力が私にはなく、家康にはあったと言うことなのか。魅力ある者を裏切ろうとはしない。しにくいってことか。私は、それらをどこかに置き忘れていたようだな。今更、遅いが…。  心の中の理解できない蟠りが溶けたような気がした。三成は新たにこの(いくさ)を思い起こして見ることにした。  石田三成の本陣は、浮き足立っていた。  関ヶ原の戦況を山の上から見ていた三成は、「こんなはずでは…」と呆然としていた。期待していた、西軍の総大将の毛利軍は内部分裂、宇喜多軍も成果を出せず、小早川には寝返られる。島津義弘は弁当を食っていると動かず、動いたかと思えば敵陣を強行突破して何処へか消え去った。秀吉に100万の軍勢を任せると言わしめた大谷吉継も寝返られ背後を取られて散った。  何なんだ?これは。これが、(いくさ)という現場なのか?  欲しがる物は、与えると約束した。対戦有利な場所も確保した。軍勢も揃えた。なのに…。人望とは何なんだ?それがそれ程にも大事か?私にはわからない。ただ、分かっていることがある。この戦、もはや、これまで…。  「三成様…」  取り巻きの家臣は、苦悶の涙を流し、声を振り絞っていた。  「皆の者、よくここまで、私を支えてくれた。礼を申す」  三成は、家臣の胸の内を痛く心に刻み、(こうべ)を垂れた。  「うぅぅぅ…」  家臣たちの嗚咽が、信天翁が鳴くごとき、山に染み込んだいった。  「皆の者、決して早まるな。何を言われようと、生きろ。生きてさえいれば、何ごときか良きこともあるやも知れぬ。家康も、そなたらが馬鹿な真似をせねば、命までは取るまい。さぁ、追っ手が来ぬ間に、去るが良い…さあ、行け!行け~!」  家臣たちは、三成の気持ちを察しって後ろ髪を引かれる思いで、一目散に去っていった。山を駆け上がってくる東軍の追っ手の声は、撃ち落とした獲物を狙う猟犬の狂気じみた怒涛として、三成の耳を突き刺してきた。  「我らも参るか、さあ、急ごう」  三成は数人の家臣と共に、本陣を後にした。  伊吹山麓を抜けた所で家臣と別行動を取った。  三成には向かいたい場所があったがそこは、追っ手の網に掛かり易い場所でもあった。それゆえに、家臣と別れた。  単身、母方の故郷である木之本の古橋へと向かった。居場所を失った三成が、最後に思う場所はやはり、故郷だった。追っ手の危険を覚悟の上の郷愁。それでも、何かに突き動かされるように先を急いだ。  安らぎが欲しかったのか?優しき母に包まれた思いに苛まれたかったのか?憎まれようと全て豊臣政権を守るため。良かれと行ったことが、全て裏目に出た。  人望か?任務を着実に遂行していればいいと思っていた。秀吉の時代となり、軍略より知略の時代になったと思っていた。  私は、一体、何を見ていたのか?  木の実を食べ、湧水を飲み、険しい山道をひたすら、歩いた。茶畑で動けなくなった所を村人に助けられた。人の温かみに胸を熱くしつつも、先を急いだ。樵夫(しょうふ)の姿に身をやつし、母方の故郷の古橋へと思いを馳せていた。そこには三成が、若き日に修行を行った法華寺三珠院があった。  「懐かしきや、懐かしきや…」  三成は、苦難の退路を思う間もなく疲れ果て、腰を降ろした縁側で眠りについた。法華寺三珠院を山菜採りの村人が、通り掛かった。  「おい、あそこに、誰かいるぞ」  「あれ、あれはもしかして、三成様じゃないか」  「おう、そうじゃ、そうじゃ、三成様だ、三成様ぁ」  その声は、夢か現実か、三成には分からなかった。重い瞼を開けると男が2人立っていた。一瞬、追っ手かとおののいたが、それが村人とわかると正直、三成は安堵した。落ち武者同様の自分の立場を簡潔に、村人に話した。古橋の村人は、三成に好意的だった。我が村ゆかりの出世頭として、誇りに思っていたのだ。  事の大事を悟った村人は、三成を安全な場所に囲うことにした。村人ふたりに抱えられるように三成は、己高庵から、険しく急な山道を四半刻ほどかけて歩いた。人を寄せ付けない程の山深い場所。そこは、村人でも一部の者しか知らない、大蛇(おろち)の洞穴と呼ばれる洞窟だった。  「ここなら、追っ手もこんけ、ゆっくりと休めばよかと。おらたち村に戻って、食い物や暖を取るものを持ってくるだ」  「かたじけない」  往復するのも険し山道を何度も村人は、三成のために足を運んだ。村人の行為は、三成に対する尊敬と愛情の現れだった。  「留助、宿場町に出て、噂を得てこいや」   「そうするだ、じゃ、早速、行ってくるだ」  三成のことは、一部の者だけが知る秘め事として処理された。宿場町に着いた留助は、得られるだけの噂話をかき集めた。関ヶ原の戦いで、徳川家康に破れたこと。三成が手配人になっていること。その首に懸賞金が掛かっていること、を得て留助は、村に戻った。その噂は、三成にも伝えられた。  家康は、石田三成の行方を血眼になって追っていた。三成捕縛が、本当の意味での関ヶ原の戦いの決着だったからだ。  「三成は、どこに雲隠れした」  「追いやられた者が行き着くところは、信頼できる者の所、回帰の気持ちが導く故郷。武士の三成に自給自足は出来ますまい」  そこへ、徳川方の武将である田中吉政が、三成探索に名乗りを上げてきた。田中吉政は、三成と同じ浅井郡宮部村・三川村の出身者であり、旧知の仲でもあった。吉政は何れ誰かに囚われるのなら、自分が囚え、手厚く確保しようと思っていた。  「分かった、三成の故郷は、吉政に任せた。他の者は手分けして、三成の関わった者を片っ端から当たるのじゃ」  家康の支持は、直様各方面に伝わり、三成探索が本格化した。  石田三成が洞窟に隠れて、四日ほどが経っていた。三成は、暗い洞窟の中、蝋燭の炎に自らのこれからを思い描いていた。戦に敗れたとは言え、三成はまだ諦めていなかった。生きてさへ居れば、先行きは開く、いや、こじ開けることが出来る。そう信じ思いを馳せた。  しかし、妙案が浮かぶわけもなく、いつしか考えることさへが虚しいことのように思えた。刻限を知らせる寺の鐘の音もない。朝を知らせる鳥の囀りさへも。闇の無限地獄。三成にはそう思えていた。疲れて目を瞑れば闇。起きても闇。次に目が覚めた時、私がいるのは、この世か涅槃か。死というものを考えるにも疲れ果てていた。  一方、田中吉政は、土地勘もあり、三成の行動を予測し、宿場町に到着していた。その一行に、一人の男が近づいてきた。  留助は、三成の情報を集めに宿場町を訪れた際、普段の生活とは違った華やいだ世界に取り憑かれていた。  「綺麗なべべ着てるおなご、いっぱいおるけん。すっげー、こんなの見たことねぇだ。すっげー。おおお、なぜか柵の中におなごがおるんだ。見世物小屋か」  「お兄さん、遊んで行かねぇか」  「おらとか…、どうやって遊ぶだ」  「お兄さん、お金持ってるかね」  「金か、持ってねぇーだ」  「なら、とっとと帰んな。邪魔だ。ねぇ、ねぇ、そこのお兄さん遊ばない」  留助は、呆気に取られていた。柵越しに楽しくおなごと話し、店に入る者、ひやかす者、皆が楽しく見えた。それ以来、寝ても覚めても、おなごの遊んで行かねぇか、が繰り返し、頭に浮かんでは消えた。  「もう、我慢できねぇだ」  留助は、決意した。どう足掻いたって三成様は捕まるだ。なら、おらが密告すれば賞金が貰えるだ。どうせ、誰かが手にする賞金ならおらが貰ってもええではねぇべか。  「申しあげますだ。石田三成の隠れ場所をおらぁ、知ってるだ」  「何と、それは誠か」  「ああ、本当だ。おらあ、三成をよく知ってるだ。見間違えねぇ」  「そなた、名を何と申す」  「留助と言いますだ」  「留助とやら、それで三成殿はどこにおる」  留助は、賑やかな宿場町に心を躍らせていた。賞金があれば、思いっきり、この宿場町で楽しめる。そんな誘惑に、留助は翻弄されていた。  「その前に、三成の居場所を知らせたら、賞金をくれるのけ」  「ああ、授けよう」  「本当だな」  「武士に、二言はない」  「三成は、古橋の山奥の大蛇の洞穴と呼ばれる場所に、隠れているだ」  「留助、そなた、何故、それを知っておる」  「おらが、食い物や水を運んだから、間違いねぇ」  「そうか、では、褒美を取らせよう、ついて参れ」  田中吉政は、留助を人目につかない場所に導いた。  「お武家様、どこだね、賞金は」  「ちょっと待っておれ、いま取ってくる…留助!」  そう言われて留助は、武士の方に振り向いた。  「恥を知れ!」  その瞬間、留助は、間髪を容れず、切り捨てられた。留助の胴体から離れた首は、ゴトンと土間に落ち、閉じていた目がカッと見開いた。三成殿はどこまでも裏切られるのか…。吉政は、心の中で泣いていた。  「皆の者。三成は、古橋の大蛇の洞穴と呼ばれる所にいるとの密告があった。急ぎ、参るぞ」  田中吉政は、なぜか沈痛な趣だった。  三成が洞窟に隠れ、三日ほどが経っていた。静かな畑の風景が、広がっていた。数人の村人が農作業に勤しんでいた。村人は、複数の場違いの武士の出現に、脅威を感じ固まっていた。吉政は、身近にいた村人に問いかけた。  「そこの村人、我らは、徳川家康様の命を受け、石田三成を探しておる。そなたらの誰かが、三成の居場所を知っていると聞き、ここに来た。隠しだてすれば、ここにおる村人全員に、厳罰をもって補ってもらうゆえ、そのつもりで。皆に伝えよ」  問いかけられた村人は慌てて、吉政の指示を周りの村人に伝えた。皆が固まり動けない中、数人、吉政の元に近づいてきた。吉政は、その数人が、三成隠匿の関係者であると感じた。  「そなたら、隠しだてはするでない。大蛇の洞穴へ、案内せい」  村人たちは、黙って、吉政を見ていた。吉政は、村人たちが並々ならない思いで、三成を匿っているのを、痛切に感じさせられていた。三成がこの地を選んだ気持ちが熱くこみ上げていた。  「さて、どうするかな。ちょっとやそっとで口を割りそうにもないな。はてはて、困り申した。手荒な真似はしたくない。他の村人のことを考え、心を鬼にして教えてくれぬか」  それでも、村人は、微動だりとしなかった。膠着状態がしばらく続いた。こうしている内に、三成が逃げるのでは、との思いもあった。この場に及んでも吉政は、自分が知っている三成を信じ、村人との交渉に時間を費やすことを選んだ。村人の一人が、吉政たちの後方に視線をやり、涙目になっているのを吉政は気づいた。その時、膠着した時間は、緩やかに綻び始めた。吉政は、その視線を追った。その先には、小汚い男が立っていた。  「久しぶりだな、吉政。改めて言うことでもないが、私が、石田三成だ」  「お懐かしゅう御座います。三成殿」  吉政は、運命の悪戯とは言え、旧知の者を捕らえる心苦しさを嘆いていた。三成は吉政の無言の表情の中に、自分への哀れみを感じていた。  「吉政殿、そこにおる村人は、見知らぬ者たちです。自らの意思で隠れ、また、ここにおりまする。何卒、この意、お汲み取りくだされ、この通りだ」  三成は、吉政に深々と頭を下げた。  「みつな…」 と、村人が声を発しそうになるのを、三成は大声で制した。  「この者達など知りませぬ。百姓ごときが、私と知り合いであるわけがない。敗れたとは言え、私も武士。無礼者、黙るがよい」  村人は、三成の意を感じ、大粒の涙を流し、膝から崩れ落ちた。吉政もまた、彼らの意を感じていた。  「三成、ここに捕らえたなり」  吉政は、家来が三成に縄をうとうとしたのを制止した。目で三成に吉政は、逃げますまいの確認をとった。それに、三成も逃げはせぬと目線で答えた。  「皆の者、お騒がせした。これ、この通りじゃ、許してくれ」  吉政は、村人に小さくであったが、頭を下げ、三成の気持ちを代弁するかのように言った。  「この村の者たちは、情に熱く、義理堅い者が多いのであろう、私は、この村のことを忘れないだろう」  そう言い残し、吉政一行はその場を後にした。  一行は無言のまま宿場町へと向かった。宿場町に着いた田中吉政は、石田三成とふたりで話すための部屋を用意させた。  「三成殿、その格好では、侘しすぎる。風呂に入り、髭をそり、浴衣に着替えなされ。話は、それからに致しましょう」  「かたじけない。そなた、私が、髭を剃る剃刀で自害するとは、考えないのか。折角、捕らえた罪人を死なせてしまってよいのか」  「はははは、そうですね、言われてみれば。でも、お気付かは御無用。生き死に関係なく捕えよ、との命で御座いましてな。自害なさりたければ、なされば良い。しかし、この宿の者は困りますでしょうな」  三成は、ほくそ笑んで、風呂場へと吉政の家来と共に向かった。吉政には、三成が自害しない確信があった。戦いに破れた武将は、潔く自害するのが、慣例だった。それを三成は、しなかった。自害する気があるなら、敗戦を確信した時、険しい山道で孤独と恐怖、絶望感を背負いながら、重い足取りに疲れた時、洞窟の闇の中で考えた時、幾度となく、機会はあったはずだ。しかし、そうはしなかった。  三成は、死を恐れるような腑抜け者でなく、生への執着心がある男だと言うことを吉政は確信していた、いや、そう、信じたかった。  決して、命乞いではない。世の中を変えたい、変えなければならない、その強い意志が、武将として、生き恥を晒すかもしれない茨の道を選ばせた。生きていればこその未来への希望や期待を、吉政は、三成に見ていたからだった。  三成は、風呂に浸かり、心身ともに洗い流していた。  「これが、最期の風呂かも知れぬな…」  首筋に冷ややかな感触が当たる。このまま、スーッと力を入れれば、湯によって体が癒されているように、命も安らかになる。そう考えて、思わず弱気になっている自分を笑った。  「吉政め、自害すれば、宿の者が迷惑すると、見透かしたような言い方をしよって。小憎らしい奴め」  自分を信じてくれる者がここにいる、その喜びに、何かが吹っ切れたように三成には、思えた。  吉政は、別の風呂を用意させ、自らも浴衣に着替え、部屋に戻ってきた。障子の前には、家来が座っていた。  生きておったか、そう、思うとほっとして、自然と口角が上がった。ひと声かけ、部屋に入ると、膳と酒が、ふた組み用意されていた。三成は、用意された座布団の後方に、正座して待っていた。  「三成殿、まあ、前に来て座りなされ。それでは、話もできん。さあさあ、まあ一献酌み交わそう」  三成は、吉政の気持ちを察し、指示に従った。二人は、殆ど無言だった。それでも、お互いを理解し合うのに十分な時間を過ごしていた。これが、ふたりでの最後の晩餐となった。最後に三成が、何かを言おうとした。  「三成殿、分かっておりまする。そなたに掛かった懸賞金は、村人に渡るようにこの吉政が、手配致しましょう」  「お願い申す」  土下座する三成を横目で見、吉政は涙をこらえながら、背中で、障子を閉め立ち去った。  三成が洞窟を出て、村に現れたのは、村人から、自分の首に懸賞金が掛かっていることを知った翌日だった。  村人が、知る程に噂は広まり、手配が身近に迫っている。これ以上、匿われたままでいれば、遅かれ早かれ、匿ってくれた村人に迷惑がかかるだろう。最悪は、厳しい咎めが村人に及ぶやも知れない。それは避けなければならない。  その思いで、最後に礼を言うために、山から降りてきたものだった。そこに東軍の追っ手がいた。茂みから村人と吉政のやり取りを静観していた。  このまま、逃げ通そうかと思うも、村人が、追っ手を前にしても、何も語らない姿を見て、その律儀さに応えるべきと判断し、自ら姿を現したのだった。  1600年9月21日に田中吉政らにより、石田三成、捕縛。  25日には、大津に滞陣していた徳川家康に送還された。家康は、三成を厚くもてなした。それは、余裕と優越感を見せつける以外の何物でもなかった。  26日には、家康と共に大坂に入り、見せしめの如く、三成は、大坂・堺・京都の市中を引き回された。  1600年10月1日、京都の六条河原にて処刑された。  石田三成、享年41歳だった。  堺での市中引き回しの様子を、堺の豪商・越後忠兵衛と黒衣の宰相こと天海は、貸し切った旅籠の二階から見下ろしていた。  「どうだす、特等席でおまっしゃろ。よ~見えまっせ」  「ああ」  「天海殿、これで家康様の時代で御座いますな」  「まだ、秀吉親派が暗躍しておるわ」  「次は、その親派の切り崩しでっか。お~怖。見た目は人助けのお坊様でも、ひと皮剥けば、…食えまへんなぁ」  「そうか、そなたよりは、旨いと思うがな」  「参りましたなぁ。でも、徳川幕府って言うんでっか、(ちか)おますやろ」  「そなたの思うようになった訳だ」  「何をおっしゃいますやら、ふふふふふ」  「忠兵衛、家康を使って、何をしようと言うのじゃ」  「まあ、おいおい、考えますわ」  「嘘をつくでない。何ら思惑もなく、そなたが動くわけがないではないか」  「買い被りで御座いますよ」  「知っておるぞ、寝返った武将にくノ一が一役も二役も買っていたのを。懐の金とと(しも)の金を握ってのご活躍であったことを」  「そんな話、私は、知りまへんなー、ふふふふふ」  「それじゃ、それ。その不敵な笑い。それが出る時は、図星であろう」  「ほ~怖。天海様は、人の心をお読みになるようで、くわばらくわばら」  「ふざけよって」  「まぁ、これからも微力ながら協力させて貰いますわ。だんだん、わても天下取りとやらの絵図が面白うなってきましたは」  「戯れではないぞ」  「すいまへんなぁ、こんな言い方しかできまへんよって、この通りだす」 と、忠兵衛は頭を垂れた。  「でもね、天海様。わてはあんさんを助けてほんま、良かったと思うております」  「何を今更」  「いやねぇ、道楽の限りを尽くして退屈してましたさかい」  「私たちは、そなたの退屈凌ぎか」  「いや、生きがいだす。ほんま、生きてるーって気がしますんや。三途の川の渡し賃は六文銭でっしゃろ。それだけ残して、後はパーッと使ってやりますは。せやさかい何でも言うてくれやす」  「好きにするが良いわ」  「おおきに。この歳になってこんな楽しいことに出会えるのは、何よりの幸せだと神に仏に、感謝しなあきまへんな」  「物好きな神様や仏様がおられて、良かったではないか」  「ほんまでんなぁ」  『あはははは』  ふたりは、これからの大きな舞台の緞帳の上がるのを実感していた。  三成の生への執着心が現れている出来事が、あった。  処刑場に向う途中、喉の渇きを三成は訴えた。その思いは聞き入れられた。そこで渡されたのは水ではなく、干し柿だった。  「干し柿ですか、胆の毒になるますな。それであれば、お気持ちだけ頂いていきまする」  最後の最後まで、三成は、生きる望みを捨てていなかった。  田中吉政は、三成との約束を果たしていた。吉政は、家康に村人の協力を得ての捕獲だ、と報告し、懸賞金授与の手続きを滞りなく遂行していた。その金数と自らの手紙を吉政は、使者に託した。使者は、古橋に出向き、村人を集め、懸賞金の報告をした。  「ここに、徳川家康様からの懸賞金を預かっておる。さらに、田中吉政様からの文も預かっておる。と言っても読めまいて、私が読んで、そなたらにも分かるように、聴かせるゆえ、しっかりと聞くがよい。これを聞いて、そなたらが納得が行けば、懸賞金を渡す、良いな」  村人は、三成の敵からの金数に、明らかな苦悶の表情を浮かべていた。あたかも、自分たちが、懸賞金欲しさに、三成を売った、と思われていることにだ。  「では、読んで聴かせる。この懸賞金は、三成殿から、そなたらへの感謝の気持ちと受け取るが良い。それを、三成殿が一番望んでおられた。この金数を受け取るには条件がある。あの日のことは、一切、他言無用。三成殿は、そなたらを気遣っておられた。その意を田中吉政様が汲み取り、上手く処理された。そなたらにも、お咎めなしとされておる。匿っていたことが、公になれば、どんな危害が、そなたら村人に、襲い掛かるか、容易に想像できよう。繰り返す、一切、他言無用。この懸賞金は、三成殿からの、そなたらへの礼として、受け取るが良い」  村人たち皆が、大粒の涙を流しながら、三成の名前を呼んでいた。  使者は、その姿を見て、村の長に金数を渡した。その金数に向かい、村人は膝を崩し、額を土につけ、頭の上で、両手を合わせていた。  静かな村に、村人の咽び泣く声が、そよ風のように流れていた。使者は、吉政の文をその場で焼き捨てた。  「しかと、申し渡したぞ。では、達者でな」  使者は、馬を走らせながら、込み上げる熱いものを感じていた。この使者は、捕獲の現場、最後の晩餐のやり取りを障子の外で控えて、聞いていた者だった。使者もまた、あの日の出来事を溢れ出る涙と共に、記憶から流し消し去っていた。
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