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心臓がばくばくとうるさい。落ち着け私、何もデリヘルのお姉さんを呼ぶわけじゃないんだ。ホテルだってちゃんと二人分払ったし。
結婚披露宴を明日に控えた前夜、私はビジネスホテルに宿泊し初めての『添い寝コース』一時間一万でアカリさんと直接お話することを決めた。そしてあと十分ほどしたら、彼女はここへやってくる……。
空気清浄機は作動させた、姿見の前でもう一度自分を眺める。
気合い入りすぎなんて笑われないようにパジャマはホテル備え付けのワンピースパジャマ。肩甲骨の辺りまである自慢の髪はヘアオイルでばっちりだ。
すっぴんの素顔に手をあて、はぁ…とため息を吐く。どうせならメイクをきちんとした完璧な姿でアカリさんに会いたかったが、寝るのに毛穴を埋めるなんて到底無理だ。
きれいともそうでないとも言われない顔つき。
二十代も後半に入って少しずつはっきりとしてきた笑い皺。鼻の上にはそばかすが散りばめられ、二重の瞳はよく羨ましがられるが、幼さを強調している気がする。それともぱっつん気味の前髪が悪い?
いや……今夜はせっかくの『添い寝コース』なんだし、デパコスの化粧水で顔もちもちにしたから大丈夫でしょ……!
もう一度、『あるふぁ。』のホームページに行く。
女性のみで構成されたキャストを派遣する『あるふぁ。』は通話コースや対話コース、そして添い寝コースと言った一対一で『話し相手』をレンタルする会員制の対人サービスを行っている。
『――見知らぬ他人だからこそ打ち明けられる話がある、傍にいてほしいぬくもりがある。』をコンセプトに会社によって素性を徹底的に調査された信頼できるキャストを揃え、会員の個人情報保護を遵守し安全と信頼を徹底管理しているのが売りだ。東京圏内のみでほとんど表沙汰にされないが人気を保っていた。
アカリさんに心酔している私は友人はおろかSNSにだって紹介しようとは思わない。
多分、ここのサービスを利用するのは私みたいな人ばかりだ。女性を愛する人や、誰にも言えない秘密や不安を抱えてる、もう何名かの私たち。
メールで送られてきた禁則事項を読み返す。
録画録音禁止(ただしキャスト側は安全性保持のため会話の録音を行います)、キャストも会員も身体的接触はしてはならない、延長不可、などなど。
私はアカリさんに恋はしていない、はずだ。
……いやまぁ、そりゃ話聞いてくれるのも優しくしてくれるのも向こうも商売だし。こういうサービスだからってアカリさんもレズだって限らないし。お店の人に片想いする虚しさなんて大学卒業と同時に置いてきたわよ。
私は両手でぱちんと頬を叩き気合いを入れる。
もう何度もアカリさんの姿を想像しては打ち消してきた。彼女は私がレズであることを受け入れてくれた。なら私だって、彼女がどんな姿で何者かなんて気にするべきじゃない。
心臓がうるさい。嫌われたらどうしよう。期待外れだなんて思わせたら、時間を無駄にさせてしまったら。
いつ以来だろう。
いつかどこかのタイミングで別れがきても仕方ないかなと思っている人間関係の中で、受け入れてほしい、失いたくないなんて思える人がいるなんて。
インターホンが鳴らされる。私はつい「はーい」と声を上げ照れてしまい頬をかく。
ゆっくりとドアを開けた。
「お待たせしまし……た…?」
廊下に立つ女性を見た瞬間、私は言葉を失った。
真っ先に目についた、ピンク色。
前髪も周囲の髪も耳にかかる程度の長さにまっすぐと切り揃えられたショートカットは、ミルクたっぷりのミルクティー色からかわいらしいピンク色へと中心から毛先に向かってグラデーションで染められていた。
そして髪より濃いビビットピンクのMA-1ジャケット! 着崩して着こなしているそれに再び目を丸くした。濃いチョコレート色のインナーと黒のスキニーパンツが引き締め色を果たしている。
すらりとした見事なプロポーションでまるで新商品のお菓子のパッケージのようで。頭の先から足元まで眺めて、呆気にとられながらようやく彼女の顔を見た。
ショートカットと大ぶりなゴールドのイヤリングがよく似合う小さな顔、彫りが深く目鼻立ちがはっきりとした顔立ち。偏光ラメのアイシャドウが眩いマスカラたっぷりの釣り目がちな瞳と艶っぽい唇が悪戯気にきゅっと口角を上げて微笑んでいる。
いったいいくつ何だろう。派手で大胆な見た目を正面から浴びせられるのは初めてで、その眩しさにぽかんと口を開け見惚れてしまう。同い年にも年上にも、もっと若いようにも見える。美人だけどチャーミングで、ちょっと狡猾そう。
これがアカリさん、これが……!
「ぎゃ、ギャルだ……! え、ていうか本当にアカリさん?」
言った瞬間、後悔して頭を下げる。
「あのっ……ごめんなさい、今嫌なこと言いました」
「あはっ、三倉さんだってレズじゃないですか」
聞き慣れた耳障りの良い声。いたずらっ子みたいな笑い方。ほっと安心していくのが分かる。この声、話し方、アカリさんだ。
「そうでうすよ、レズですよ。アカリさんがギャルだなんてびっくりだなぁ」
「あーしはギャルじゃなくてこういう格好が好きなだけですよ」
「私が知る限り一人称があーしの人は五百パーセントギャルですよ」
マスカラがばしばしの吊り目と目が合い、私たちは二人そろって声を上げて笑った。
ほら、もう楽しい。誰かと一緒にこんなに笑ったのなんて久しぶりで、私はこっそりと目端の涙を拭う。そうだ、私この人ともう一年も通話してたんだった。
「それでは改めて、お邪魔しても? 吸血鬼は家主の許可がなかったら入れないのです」
「仕方ないなぁ。はいはい、どうぞどうぞ。我が家じゃないけど」
失礼します、小さく頭を下げて中へ入る彼女の所作に私は三度驚いた。
なんて綺麗なんだろう。すっと流れるような動作は派手すぎる見た目と反しまるで大企業の有能秘書のように洗練されている。彼女が歩けばふ……と甘い花の香りがし、私は無意識に胸元をきゅっと握りしめていた。
アカリさんから改めて『添い寝コース』の注意事項を受け、私は早速ベッドに潜り込んで仰向けになる。
アカリさんは小型録音機で録音を始めた後、室内照明を落とした後に間接照明で顔が見える程度の明かりを点けた。ベッドのすぐ近くにまで引き寄せた椅子に腰かける。薄暗闇の中で優雅に足を組む姿はどこか蠱惑的で様になっていた。
「一緒のベッドに入らないんですか? 添い寝コースなのに」
「もし入った瞬間を写真で撮られて訴えられたら私は世間と会社から逃げ出さなきゃいけなくなりますね」
「そっかぁ……」「残念?」「別にっ」
嘘、本当は少しだけ期待していた。でも近くにぬくもりを感じてしまったらきっと私はすぐに顔に出してしまい、もう二度と彼女を指名できなくなるだろう。
「明日何時起き?」「八時」「わりとゆっくりなんですね。どんなドレスなんですか?」「えぇ、クローゼットに入ってますよ。見ます?」「見に行こっ」
アカリさんは跳ねるように椅子から立ち上がり真っ直ぐにクローゼットを開けに行った。フットワーク軽いんですね。ちょっとかわいかったです。
「かわいい、ピンクローズのフレアワンピ、あどけない三倉さんのイメージにぴったりね」
椅子に戻ってきてニコニコしながら彼女は私をじっと見つめる。あっ、この視線の意味は分かるわっ。
「想像しないでくださいよ!」「ふふふ、よく似合ってますよお嬢さん。あたしと一曲どうですか」「お一人でどうぞ」
楽しい。くだらない会話ばかりで心が弾む。きっと私の顔は笑ってばかりでふにゃふにゃなのだろう。
私は改めてアカリさんを眺める。彼女が普段からこの姿をしているのか分からない。ただとても彼女らしくて、美しい。
世間的には奇抜で好奇の視線に晒されることだろう。いい歳をして、もう大人なんだから、幻が声を荒げる。決して仕事をする姿じゃない。
たとえば黒髪にして透明感のある肌によく似合うパープルのアイシャドウを差し色に、スタイルをより美しく表現したモノトーンのパンツスタイルなら、みんな見惚れて振り向くだろう。たとえばこげ茶色の髪にゆるくパーマをかけ、くすみパステルのワンピースを着れば人懐っこい笑みにみんな心を開くだろう。
でも私は嬉しかった。アカリさんが自信を持ってこれがあたしだと言える姿で来てくれたことが。ただの客でしかない私に、見せてくれたことが。
だから、今度は私の番。
「あのね、アカリさん。初恋なんです」
「……誰が?」
「美和が。結婚披露宴、明日新婦になる女の子。親友にね、恋してたみたいなんです、私」
しんと静かになった室内で、アカリさんは目を丸くして唇を突き立てた。意外と表情豊かなんですね。でもそれも一瞬のこと、すぐに慈愛に満ちた視線を私に向ける。話を聞く姿勢、でも少し困った表情。
アカリさんの視線が泳ぐ。あ、私今フラれた。
時間はすでに二十分経過している。残りの時間を、私にください。
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