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ホテルの一室を貸し切った白とピンクの装飾が美しい披露宴会場。
老若男女問わず華やかで笑顔が溢れる会場内後方、新婦高校生時代関係者様の丸テーブルで一足先に到着していた彼女の姿に私は思いっきり眉を顰めた。
「私あなたを殴る権利あると思うの」
「あっはっはっは」
雪園さんは、アカリさんは、いいや雪園明里さんは聞き慣れた声で快活に笑った。
そう、黒檀の美少女は私の傍にずっといたのだ。少なくとも、この一年間鼓膜を甘く震わせてくれていた。
昨夜とは打って変わって同じ髪型で記憶の通り麗しく艶やかな黒髪、透き通る白い肌に大人っぽいブラウンレッドのアイシャドウ。紺色のレースワンピースは彼女の黄金比シルエットを控えめに美しく魅せまさに誰もが憧れる二十代後半の女性となっていた。えぇえぇ似合いますよそのグラデがかったブラウンネイル。ちなみに髪はウィッグらしい。どちらかは分からないが。
怒りよりも悔しさや呆れが勝っていた。なんで黙っていたの、今までどんな気持ちで私の話聞いてたのなんて言葉はいくつも浮かんでくるけれど、今まで心を支えてくれていたことを思えば怒るに怒れなくなってしまっていた。
そんな悪戯大成功みたいな子どもっぽい顔をして、ヒステリックに喚けるはずがない。
ただ少しでも一矢報いたくて、私は他の招待客がテーブルに来るまで彼女を無視することに決めた。
「目腫れてなくて良かった。昨日はよく眠れた?」「ここまで結構距離あったでしょ? 迷わなかった?」「あーやっぱそのワンピよく似合うわ。想像通り。ネックレスって三倉さんのハンドメイドでしょ? すごーい」「のど飴いる?」「不貞腐れてる顔もかわいい」
おいおい急に図々しいなこの女。
「あ、ドレスに醤油飛んでる」「えっ嘘! あ」
にんまり。あぁこの笑い方。チャーミングだと思ったけど改めて見ると腹立つわね。
私は大きな息を吐いて調子を整えた。いつまでも不貞腐れていても仕方がない、ハレの日に不機嫌な顔を晒すなんて大人のすることじゃない。
「作戦会議しましょ、ア…雪園さん」「アカリと呼んで」「ゆ、き、ぞ、の、さん!」
「で、私は新婦にどんな顔すればいい? 美和と仲良しだった雪園さんなら分かるんじゃないですかねー」
にこにこ楽しそうにしていた雪園さんは、すっと力強い表情で私を見つめる。とくんと心臓が一度小さく鳴った。
「ただ一言、おめでとうと言えばいい。それ以外はあたしが盾になるわ。だってずっと、あの子はあなたのことが――……」
遠くからまだ大きな鐘の音が聞こえる。
午前開始の披露宴のいいところは明るいうちに解放されることだ。二次会は新郎新婦の大学生時代のご友人たちでいっぱいなので、私たちは幸せそうに笑う美和に小さく手を振って早々に退散した。
おみやの入った紙袋をぶらぶらと子どもみたいに振りながら、私と雪園さんはダラダラと駅までの道のりを歩いていた。
「あたし、三倉さんのことをずーっと山部さんから聞かされていたのよね」
「は? 美和が?」
「あんた三倉さんのなんなのよって言いたくなったわ」
それから雪園さんに教えてもらったことは驚きの連続だった。きっと残りの人生を使ってもこの衝撃に勝るものはない。
美和は私がどんな少女で、いかに愉快で楽しい子か延々と雪園さんに語っていたらしい。
クラスメイトたちに言えば茉莉が好奇の目に晒される、でも誰かに聞いてもらいたい、そうだ一匹狼風クールビューティ雪園さんに聞いてもらおう。
「あたしも基本来るもの拒まずだしなんか面白そうなことになりそうだなと思ったら、まさか三年間ずっととは思わなかったわ」
「うう嘘だ」
「本当よ。自分の趣味のことしか喋んないのがかわいいとか、メイクのこと分かんないのに分かったふりして聞いてるのかわいいとか、クラスの女子と喋ることないからグループワーク可哀想でかわいいとか」「ひどいなあの子!」
「だからあたし、三倉さんのことかわいい生き物なんだなと思ってた」
じっと見つめられカッと顔が熱くなる。知らなかった、私の知らないうちに雪園さんの中では私のイメージが固まっていただなんて。
「……私は美和にそんなこと言われたことない」
「ふふふ、こういうのは本人に言わないから楽しいのよ。あたしだって同僚に……おっとこれは関係ない話だった」「え」
「だから通話相手があなただと確信したとき、やっとあたしの番が来たと思った」
道の先をどこか遠くを見るような目で見つめる彼女に、私は「そう」としか言えなかった。その言葉の真意は今知るべきではないと。
ただきっと、雪園さんも期待して、敵を作って、探りながら今私の隣を歩いているのだろう。ずっと過去を抱えたまま、一年間。
卒業式のあの日、美和はずっと抱えていた秘密を指輪とともに雪園さんに託したそうだ。
――お願い、私がこれを持ってちゃダメなの……!
――多分、私、茉莉のことが……好きだから……指輪なんて、茉莉の人生を台無しにしちゃう。
――私じゃ、ダメなの。女の私は、茉莉を幸せにできない。ねぇ雪園さん、分かるでしょ?
山部美和は雪園明里の前で三年間ずっと道化を演じてきたのだ。冗談交じりに三倉茉莉への想いを吐き出して、精一杯に自分自身を誤魔化してきた。
美和は泣いてしまった。クラスメイトの男子に告白されて安心したのだ。良いきっかけができた。大丈夫、男の子に告白されてちゃんと嬉しいと思えた。そうやって、確認した。
ただ自分にも親友にも裏切るような行いをしたことがずっと心に残っていた。
メール一通送信する勇気がなかった八年間、これが最後のきっかけだと二通の招待状を送った。
一人は懺悔の相手へ、一人は巻き込んでしまった共犯者へ――。
披露宴会場では案の定、私は他の高校時代のクラスメイトに好奇の目を向けられた。だが私以上に晒されたのは雪園さんだった。彼女は言葉巧みに注目が自分へ向くように誘い私をずっと守ってくれていた。
付き合いのない大人の社交辞令はどうやら顔合わせ時に瞬間最大風速を記録するらしい。後は知り合い同士でずっと話し合い、私も雪園さんも二人で話していた。
新婦、旧姓山部美和は大人の女性になっていた。
キラキラと眩しいメイクが施され幸せいっぱいの表情はまるで知らない人だった。ただデコルテの開いたウェディングドレスが良く似合う、見知らぬ女性。私はドキュメンタリー映画を見るような気持ちで眺めていた。
それもキャンドルサービスで幕を閉じた。
私のテーブルに来た美和は、私と雪園さんの顔を目にした瞬間その手を震わせた。点火用のトーチを落としてしまわないよう新郎がしっかりと支え、美和を、そして私たちを見て頷いた。
――茉莉。
声のない声に呼ばれ、私も彼女の名を呼び返す。
その瞬間、私たちは確かに高校の教室の中にいた。
花飾りを纏った色素の薄いふわふわのハニーブラウンの髪、涙に潤んだ垂れ目がちな瞳、コンプレックスだった丸い輪郭、本当はずっとかわいいって思ってたよ。
おめでとう、本当に。だから、お幸せに。
そう伝えると、美和は一筋の涙を流して頷いた。
「あ、三倉さんちょっとストップ。履き替えるわ」
道の端に寄り、雪園さんは自前の手提げ袋からソールの分厚い黒のダッドスニーカーを取り出した。ハイヒールを脱ぎ迷いなくそれを履く潔さに私は思わず笑ってしまった。
「ヒール疲れるの分かるけど、ダッド」
「いーでしょあたしらしくって」
「うんうんよく似合うよ、ミスマッチだけどよく似合う」
私も持参していた踵の低いパンプスに履き替える。ヒールの高い靴は可愛くてテンションが上がるけど、やはり爪先への不可が強いのだ。きびきびと履きこなす女性には尊敬の念しか浮かばない。
歩きやすくなった足元で足取りが先ほどより軽い。私はふと雪園さんを見上げる。ダッドスニーカーの分背が高くなった彼女はなぜか一瞬目をそらした。
「雪園さんって私が『あるふぁ。』の会員になるまで私のこと覚えてたの?」
「残念だけど。たまに預かった指輪見返してはあーそういえばって思い出す程度」
「えっ、まだ指輪持ってんの?」
「指輪を守ることがあたしの役目、大切に保管しておりました……」
あろうことか彼女はバッグから指輪を取り出した。もう当時の苺柄ではなく、何か買い物をしたときにもらったのであろう小さな袋から、劣化した様子のない記憶通りの品物が現れた。
「火山口に捨ててよ」「愛しいしと…ひどいこと言わないで…」
雪園さんが太陽に指輪をかざす。琥珀色のクリスタルがきらりと光った。色のついた、ただのガラス細工。今ならもっと良い材料で作ることが出来る、だけどそれはこの指輪を超えることが出来ないだろう。
心は不思議と凪いでいた。やっと、私の初恋は終わったんだ。
「いいの、雪園さん。今までありがとう、もう大丈夫だから捨てていいよ」
指輪の輪からぼんやりと空を眺めていた雪園さんは、すっと指輪を自分の左薬指にはめた。
「じゃーあたしがもらう」
「えっ!? ちょ、ダメダメ、絶対やめて!」
「いらないんでしょ? あたしだって三倉さんとの思い出欲しーい」
「雪園さんまでそんなこと言って……」
「だって三倉さんもう、うちの会社利用するつもりないでしょ」
音が消える。雪園さんの言葉だけが私の脳に届いて刺さる。
意味を理解して世界の音が戻ったとき彼女を顔を私は見た。唇を尖らせて、つまらなさそうに指輪を眺めている。
「あたしだってこの一年間、楽しかったんだから。記憶の中のかわいい生き物の、本当の姿を教えてもらえて」
期待していいんだろうか。どうせ営業だよと悪魔が囁く。でも雪園さんはそんな人じゃない。少なくとも、八年間も押し付けられた指輪を預かり続けたこの人なら……。
「ゆ、雪園さん」
勢いよく彼女の左手を引いて両手で握りしめる。彼女は突然のことに目を丸くして私を見下ろす。
顔が熱い、いたたまれない、帰りたい、でももう、逃げたくない。
「れっ、連絡先教えて! 雪園さんに似合う指輪作ってはめてあげる! ひっ、左の薬指に!」
言った、言ってしまった。
急激に恥ずかしくなって慌てて彼女の手を離す。しかし今度は彼女に手を掴まれた、それも強い力で絶対に逃がさないと言うように。
「期待して、いいの……?」
私がこくんと頷くと、彼女は耳まで赤くなりながら口角をじわじわと上げていく。
「おっけ、じゃああたしのプライベートアドレス、はいこれ。怖気づいて会社の方から指名しないでね」
「わ、分かってるよ」
「はーお腹空いた。ねぇ三倉さん、天気もいいことだしケーキでも食べに行かない?」
「え、和菓子じゃなくていいの?」
「いい!!」
踊るように雪園さんが先を歩く。あの頃の彼女からは想像できないほどの豪快さと、かわいらしさで。
きっと今日さよならをした瞬間からまた会いたくなってくる。
「ねぇ、雪園さんは何色が好き?」
「ビビットピンク」
「だと思った」
その時は、教えてもらったアドレスに。
END
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